ソウルヨガ

主流秩序、DV,スピシン主義、フェミ、あれこれ

大学改革というが、主流秩序そのままで 意味なし

 

大学の序列は昔からあったが、それを一層強化し、偏差値の下の方の大学は、ローカル大学と呼んで、実学、実践力養成、職業人育成だけやればいいというようにしようとしている。あからさまな身分制=主流秩序の強化そのものだ。

 

私はまず、従来の大学教育の在り方がいいなどとは全く思っていない。だから大学改革に期待などもっていない。いまの教員のままで小手先でいくら触ってもほとんど変わらないのは目に見えている。

 

主流秩序の観点からアカデミズムに批判的だ。現実に役立つ学問であるべきとも思っている。

しかしそれは今すすめられようとしている資格取得促進やL大学化ではない。

デートDVのことを学んだり消費者として騙されない教育、人生で躓いたときに対処できる力などが必要だ。

同時に、いまの社会構造=主流秩序を批判的に見抜き、だまされない知性・力、その意味で「考える力」[リテラシー力 ]を各人が持つ教育も必要だ。エンパワメントする教育もいる。

 

偏差値ひくい学生はアカデミズムでなく実践的な技能を身につけろと言うような政策とは全く違う。産業競争力会議が、人を序列化しようとすることにはうんざりする。それに加担するなんて・・・。

司法書士の合格率アップや就職率アップに熱心、それによって自分の大学を淘汰競争で生き残らせる、などというのは、あまりにも愚かしいことだ。

 

朝日新聞で体験を語っている人が言っている言葉がまともと思う。。

「実践と抽象的思考は対立するものではなく、両者の行き来が大切と思う。だから時代に対応するために人文的教養を切り捨てたり、逆に旧来型の学問にしがみついて実務不要と開き直ったりするのは、どちらもよくない。より良い方向へ、共に変わることが、大学改革になるはずです」

 

 一方、大学改革を意義あるかのように言っている教員が言っている言葉には何の魅力も感じない。

 

少子高齢化が著しい高知県は、日本社会が将来抱える課題の先進県です。この田舎の「強み」を、私たちは生かしたい。厳しい現実に向き合い、地域の人々と協働するなかから活路を見いだす。そんな経験を通じて磨き、学んだ技は、どんな世界でも通用すると思うんです。結果は仮に失敗だったとしても。」

 

というような言葉に欠けているのは、その地域の人も教員も含めて、主流秩序の上で動いていということを反省的に自覚していない点だ。狭すぎる。小さ過ぎる。そんなことしても何も大したものは生まれない。

適応のテクニックを学ばせることに僕は興味が持てない。

**********

以下の意見は少しまとも。

 

 

 ■革新的成果、実現は疑問 名古屋大学准教授・日比嘉高さん

 産業競争力会議が大学改革を議論していることが象徴的です。大学はカネになる、日本が稼ぐためのタネがある、と考えているのでしょう。でも聞こえてくるのは、いま成功している主に理系の特定の分野に資源を集中させるような話ばかり。

 イノベーションとは、予想もつかないところに芽が出るから革新的なわけでしょう。誰もが思いつくところばかりに水をやって、革新的な成果につながるでしょうか。

 ガバナンスのあり方も気になります。学長を選ぶ権限は学外者が多く入る学長選考会議に移り、教職員の投票ではトップになった人が学長に選ばれない事態が起きています。その学長に権限を集中させている。トップダウンで改革を加速させたいのでしょう。 「グローバル化」や「地域貢献」を掲げた新しい学部が、今後各地に次々とできるでしょう。そこに運営費交付金の一部を政策的に配分するためには、何とか違いを見つけて評価し、序列化しなければなりません。機能別に分化を推し進めると、評価は必然的に大変な作業になる。膨大な雑務が生じるだけで、得をする人は誰もいないと思うんですが。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

全く賛成できない意見。

 (争論)文系学部で何を教える 冨山和彦さん、日比嘉高さん

2015年3月4日05時00分 大学・短大への進学率/国立大の学科別学生数の割合

  •  
  •   〈議論のポイント〉 ・身につけるべき教養とは 【実践力】実社会に通じる教育こそ重要 経営コンサルタント・冨山和彦さん 大学進学率が5割を超え、大学が大衆化したいま、卒業生の大半が進むのはサービス産業を中心としたローカルの世界。ところが、その生産性は欧米諸国に比べて相当低い。
  • 急速な人口減で労働力も人材も不足しています。今後、ローカル経済圏の生産性をいかにして高めていくかが、日本の未来を考える上でとても重要です。 そもそも日本には文系学部が多すぎる。全国各地にミニ東大をつくって総合大学化した、あしき結果です。対応できない教員には辞めてもらうか、職業訓練教員として再教育を受けてもらえばいい。 
  • 昨秋以来、文部科学省有識者会議で何度か持論を展開し、たくさんご批判をいただきました。その典型が、博士号まで持っている大学教員たるものに職業訓練をさせるなんてアカデミズムへの冒涜(ぼうとく)だ、というものです。私はそこに一種の差別意識を感じましたね。学術こそが高尚で、実学をやる人間は二級市民だというような。  アカデミズムというのは本質的にグローバルです。だって人類普遍の真理を探すわけですから。ローカル大学でも本当にやりたければ、世界で通用する研究に自力で取り組めばいい。
  • 成果はネットで社会に公開したらどうでしょう。ただ、それを学生に押しつけるべきではない。むしろ卒業後にちゃんとメシが食えるよう、実学を教えてあげるべきです。 実学を教えるのは嫌だ、でも世界に通用するアカデミズムでは闘えないという人には、じゃあ大学はいったい誰のため、何のためにあるのですかと私は問いたい。     
  • *  
  • いま目の前で「役に立つ」ように見える一部の分野に、学生の能力と関心を絞り込んでいくことの恐ろしさを、もう少しリアルに考えたほうがいいと思います。 ところが大学を職業訓練学校にするような議論は、そんな機能を大学から奪ってしまう。
  • 技術は日進月歩ですから、せっかく学んでも少し時間がたてば、あっという間に陳腐化するんですよ。 そもそも実社会が求める人材、ニーズとは何か。それは重層的な判断力でしょう。ネットが発達したいま、ちょっと検索しただけでも情報があふれ出てくる。何が正しいか、どう評価したらいいかを様々な角度から考え抜き、選択しなければならない。自分の頭で考える力が求められています。
  •  大学の文系学部で鍛えるのが、この力です。たくさん本を読み、膨大な学説と向き合い、いろんな可能性を検証してつぶしていく。時間がかかって面倒臭いプロセスを背負い込む。そうやって身につけた教養は、どんな分野に進んでも役に立つ力になるはずです。 地方には選択肢が少ない、という現実もある。経済的に厳しくて実家から通うしかない学生が増えている昨今。地方の恵まれない学生の選択肢を狭めることが、社会の利益になるとは思えません
  • 。 いまや日本は借金だらけ。大学のお金は切り詰めて「社会的要請の高い分野」に回し、あとは私立大学に任せたいという狙いはわかります。いわゆる「選択と集中」ですね。ある程度は、仕方のない流れなのだろうと私も思います。 大学はいまのままでいい、と言っているわけではありません。振り返って考えるべきことは多々あります。自らの研究と教育にどういう価値があるのか。
  • 信じるところを具体的に語り、社会に返していくことが求められていると感じます。ただ、それは市場主義にのみ込まれる形ではいけない。 目先の利益にとらわれた改革が進めばどうなるか。教育は壊滅的な打撃を受け、社会は資産や出身地によって階層化し、格差が広がるでしょう。私たちは、そんな未来を望んでいるのでしょうか。     
  • * 
  • ひびよしたか 72年生まれ。日本近代文学・文化や移民文学を研究。5月に「いま、大学で何が起こっているのか」を出版予定。 <国立大学改革> 文部科学省は昨年9月、人文・社会科学系や教員養成系の学部について「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」を促す内容の通達を出した。国立大学が策定中の第3期中期目標(16年度から)の参考としてもらうため、同省の審議会である国立大学法人評価委員会の考え方を示したものだ。
  • ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
  •