坂口安吾に怒られている―――安倍に取り込まれたメディア人
安倍首相が夜な夜な、財界人やメディア人と夜食会をもち、メディアを操作しているという情報がどんどん出てきています。
私は毎日新聞を購読していたときに、慰安婦問題などで朝日新聞たたきがおこり、それに毎日新聞が加担し、「毎日新聞は、朝日と違ってこんなふうに慰安婦問題でも慰安婦批判していますよ」というパンフを作って各戸にばらまいたので、怒って毎日新聞の購読を辞めました。
そのパンフに載っていたひどい記事を書いたのが「風知草」の山田孝男であり、あまりに事実を知らず、不勉強で、右翼の言説と同レベルなのであきれました。
この山田氏が”安倍のすし友”で何度も他の安倍シンパ(田崎史郎ら)と一緒に食事していることが週刊誌報道で分かり、やはりそうだったのだと納得したわけでございます。嗚呼、恥ずかしき人たちよ。
坂口安吾は「白痴」で、報道陣や芸術家たちの体制翼賛ぶりをバッサリ切っていますが、戦時中の思考停止のその恥ずかしい俗物たちと、山田氏などは同種ということでございましょう。
せっかくですので、ほんの少し、坂口安吾の言葉を紹介しておきます。最近の人たちは、あまり読んでいないようですので。
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坂口安吾「白痴」より
新聞記者だの文化映画の演出家などは賤業中の賤業であった。彼等の心得ているのは時代の流行ということだけで、動く時間に乗遅れまいとすることだけが生活であり、自我の追求、個性や独創というものはこの世界には存在しない。彼等の日常の会話の中には会社員だの官吏だの学校の教師に比べて自我だの人間だの個性だの独創だのという言葉が氾濫(はんらん)しすぎているのであったが、それは言葉の上だけの存在であり、有金をはたいて女を口説いて宿酔(ふつかよい)の苦痛が人間の悩みだと云うような馬鹿馬鹿しいものなのだった。
ああ日の丸の感激だの、兵隊さんよ有難う、思わず目頭が熱くなったり、ズドズドズドは爆撃の音、無我夢中で地上に伏し、パンパンパンは機銃の音、およそ精神の高さもなければ一行の実感すらもない架空の文章に憂身をやつし、映画をつくり、戦争の表現とはそういうものだと思いこんでいる。
又ある者は軍部の検閲で書きようがないと言うけれども、他に真実の文章の心当りがあるわけでなく、文章自体の真実や実感は検閲などには関係のない存在だ。要するに如何(いか)なる時代にもこの連中には内容がなく空虚な自我があるだけだ。流行次第で右から左へどうにでもなり、通俗小説の表現などからお手本を学んで時代の表現だと思いこんでいる。事実時代というものは只(ただ)それだけの浅薄愚劣なものでもあり、日本二千年の歴史を覆(くつがえ)すこの戦争と敗北が果して人間の真実に何の関係があったであろうか。
最も内省の稀薄な意志と衆愚の妄動だけによって一国の運命が動いている。部長だの社長の前で個性だの独創だのと言い出すと顔をそむけて馬鹿な奴だという言外の表示を見せて、兵隊さんよ有難う、ああ日の丸の感激、思わず目頭が熱くなり、OK、新聞記者とはそれだけで、事実、時代そのものがそれだけだ。
師団長閣下の訓辞を三分間もかかって長々と写す必要がありますか、職工達の毎朝のノリトのような変テコな唄を一から十まで写す必要があるのですか、と訊いてみると、部長はプイと顔をそむけて舌打ちしてやにわに振向くと貴重品の煙草をグシャリ灰皿へ押しつぶして睨みつけて、おい、怒濤(どとう)の時代に美が何物だい、芸術は無力だ! ニュースだけが真実なんだ! と呶鳴(どな)るのであった。
演出家どもは演出家どもで、企画部員は企画部員で、徒党を組み、徳川時代の長脇差と同じような情誼(じょうぎ)の世界をつくりだし義理人情で才能を処理して、会社員よりも会社員的な順番制度をつくっている。
それによって各自の凡庸(ぼんよう)さを擁護し、芸術の個性と天才による争覇を罪悪視し組合違反と心得て、相互扶助の精神による才能の貧困の救済組織を完備していた。内にあっては才能の貧困の救済組織であるけれども外に出でてはアルコールの獲得組織で、この徒党は国民酒場を占領し三四本ずつビールを飲み酔っ払って芸術を論じている。
彼等の帽子や長髪やネクタイや上着(ブルース)は芸術家であったが、彼等の魂や根性は会社員よりも会社員的であった。伊沢は芸術の独創を信じ、個性の独自性を諦(あきら)めることができないので、義理人情の制度の中で安息することができないばかりか、その凡庸さと低俗卑劣な魂を憎まずにいられなかった。
彼は徒党の除け者となり、挨拶しても返事もされず、中には睨む者もある。思いきって社長室へ乗込んで、戦争と芸術性の貧困とに理論上の必然性がありますか。それとも軍部の意思ですか、ただ現実を写すだけならカメラと指が二三本あるだけで沢山ですよ。如何なるアングルによって之(これ)を裁断し芸術に構成するかという特別な使命のために我々芸術家の存在が――社長は途中に顔をそむけて苦りきって煙草をふかし、お前はなぜ会社をやめないのか、徴用が怖いからか、という顔附で苦笑をはじめ、会社の企画通り世間なみの仕事に精をだすだけで、それで月給が貰えるならよけいなことを考えるな、生意気すぎるという顔附になり、一言も返事せずに、帰れという身振りを示すのであった。
賤業中の賤業でなくて何物であろうか。ひと思いに兵隊にとられ、考える苦しさから救われるなら、弾丸も飢餓もむしろ太平楽のようにすら思われる時があるほどだった。
引用、終わり
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というわけで、もし読んでいない人がいるなら『堕落論』『続堕落論』と併せてぜひ読むことをお勧めする。
私の主流秩序論の精神は、70年前に坂口安吾が書いているものだった。(ただし彼は、其の虚無にとどまるしかなかったが。)
で、山田などの安倍のちょうちん持ち批判の文章を以下二つ紹介しておく。
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安倍晋三の食事に呼ばれたジャーナリストは如何に迎合記事を書くか。例―山田孝男
[孫崎享のつぶやき]
http://ameblo.jp/junzom/entry-12045190411.html
ラエリアンムーブメント:アジア大陸代表のブログ】2015-07-01 08:10:49
米国は、ジャーナリストが政府等の饗応をうけることに厳しい。30ドルを超える食事にはまず参加しない。
しかし、日本では新聞、テレビの上層部が何の躊躇もなく、高級レストランの食事に参加する。それは極めて危険な現象である。
まず首相動静を見てみたい。
24日夜: 7時19分、東京・銀座の日本料理店「銀座あさみ」。
朝日新聞の曽我豪編集委員、
読売新聞の小田尚論説主幹、
日本経済新聞の石川一郎専務、
NHKの島田敏男解説副委員長、
日本テレビの粕谷賢之メディア戦略局長、
9時51分、東京・富ケ谷の自宅。
今、集団的自衛権でそれが憲法で容認されるかという論を行っている。それを見事に別の方向に誘導しようとしている。公平を期すため、まず全文を紹介したい。
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風知草:どんな国になるのか=山田孝男:
毎日新聞 2015年06月29日 東京朝刊
安保論戦は関連法案を通すか、つぶすかの一点に傾き、日本の平和を守るために何をすべきかという総合的な討論はない。
この偏りは、国防リアリズムの極致・スイスと比べるとよく分かる。
スイスは中立国だから同盟国がない。集団的自衛権もない。国連決議に縛られて紛争にかかわることを嫌い、2002年まで国連に加盟しなかった。
以前の「絶対的中立」から国連に入って「制限的中立」へ転換したが、実態は武装中立である。
中立を守るために国民皆兵制を採り、20歳以上の男子に兵役義務がある。初年兵学校で受け取った小銃は自宅で保管する。
初任訓練後も30歳までは毎年、一定期間の訓練が義務。理由なく忌避すれば公民権停止である。
まだある。国境の道路には戦車の侵入を阻む甲鉄板が埋め込まれ、橋脚には爆薬を差し込む溝。
家庭用核シェルターの設置も義務づけられ、普及率100%。この政策の背景には、原爆投下後、放射能が弱まる2週間をシェルターで過ごせば被害を最小に食い止められるという考え方があるという。
有事に備え、収穫した小麦の半年間の備蓄を義務づける法律もある。
これらの政策が独裁者の号令ではなく、直接民主主義の討論、投票によって採用されているところにスイスの面目がある。
ひるがえって日本。
中国海空軍の急速な発展により、海という天然の障壁が事実上、取り払われた今、日米安保強化、集団的自衛権で対抗するという提案は、純粋に軍事的な選択肢としてはそれなりに理屈が通っている。
もちろん、この提案にはさまざまな問題が伏在しているが、反対派の批判には国防全体を見渡す総合性がない。政府の情勢認識は認めつつ、矛盾を突くが、では、どう国を守るかという具体的構想はない。
反対派のこの無責任、無計画を見透かした政府・与党は「言うだけ言わせておけ」と割り切っている。法案の「7月中旬、衆院通過」は公然の秘密。反対派はもっぱら「法案をつぶせ」と連呼している。
すると、毒舌の作家と自民党国会議員が「マスコミつぶせ」と反撃、新しい戦線を形成したというのが先週までの流れだ。
スイスのリアリズムとかけ離れた日本の国防論議の底には、世界3位の経済大国でありながら、米国に守られて栄えるという、他の経済大国には見られぬ歴史的特異性がある。
経済大国は元来、平和的存在とは言えない。他の大国と対立、競争し、しばしば弱小国を圧迫する加害者的な存在である。
日本が経済大国であるということ自体、異郷で日本が紛争に巻き込まれるかもしれぬ--などという悠長な状況ではなく、通商、貿易、観光など、日本人の日常活動自体が不断に国際紛争の火種をかき立てていると見るべきだろう。
法案さえ葬れば平和とも思えぬゆえんである。
経済大国の防衛ラインを縮めるには経済の水準を下げればいい。経済の専門家は「わずかな縮小でも破壊的、狂気の沙汰」と取り合わぬが、環境重視派は「経済発展継続なら破滅」と警告している。
日本はこのジレンマをわきまえ、国際平和と節度ある豊かさを探っていく。そういう国家戦略、世界構想が描けていない。攻守ともに描いてほしい。=毎週月曜日に掲載
終わり
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この論がリベラル的様相を持つと言われる毎日新聞に掲載されていることが、まず、驚きである。
今集団的自衛権が論じられている。
それは米国戦略のために自衛隊を利用しようとするものである。
近時の米国軍事展開を見れば、イラク戦争、アフガニスタン戦争、リビアへの武力行使、シリアへの武力行使等、地域や世界の安定に全く貢献していない。それを憲法違反を行いながら実施しようとする政府の対応が問われているのである。
何故この論が緊急性を要するかと言えば、まさに政府が集団的自衛権関連法案を通そうとしているからである。
中国の軍事力は確かに強化されてきている。
これをどのように評価するかは極めて重要である。
その際、たとえば米国においてどのような議論が行われているか。
最も信頼に足る文献の一つに国防省が議会に詠出する『中国の軍事力』がある。
たとえば2012年版は次の構成を行っている。
1.中国の軍事力の増強は著しい、 2.しかし、この軍事力を行使し、世界の秩序に挑戦する動きはないとみられる、 3・中国にとって経済発展が何よりも重要で、その際、国際協調を必要とする 4、ただし、国境問題がからむと、国民の意識が強くなり、ここでの武力行使の可能性がある。
山田孝男氏の論調は明日にでも中国が日本本土を軍事的に攻撃するかの印象を与える論を展開しているが、それはない。軍事専門家に問われればよい。彼の論は軍事リアリストの論ととても言えない。
単に中国の脅威を煽り、それでもって集団的自衛権を容認させようとするデマゴーグ的論である。
ついで、尖閣問題がある。これは軍事衝突の可能性をはらんでいる。しかしこの問題は尖閣諸島の棚上げ合意を守れば対立はない。
中国の軍事力が日本にどのような害を与えるかの問題は、日本独自の軍事力をどうするかや日米間ぽ条約の問題であり、これが今危機に瀕しているとか、将来対応できないという話はない。
残念ながら山田孝男氏の論は、集団的自衛権の是非をめぐる緊迫した時期における焦点ずらしととられても仕方がない。
それを、首相との食事の5日後、毎日新聞に掲載した軽率は批判されてしかるべきである。
官邸側はほくそえんでいるだろう。
{ほらみたことか。日本のジャーナリストってちょろいよ、夕食食わ
せてやれば、我々に都合のいい記事を書いてくれるのだから}
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《安倍晋三の「すし仲間」朝日・曽我豪は政治部長じゃなくて編集委員》
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150123/1421969013
山本太郎が安倍首相とマスコミ幹部の「接待会食」を追及! 政府と報道各社の対応は?|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見 に、安倍晋三とマスコミ幹部との会食のメンバーが書かれている。
- 秘密保護法成立後の13年12月16日
出席者=田崎史郎「時事通信」解説委員、山田孝男「毎日新聞」専門編集委員、曽我豪「朝日新聞」政治部長、小田尚「読売新聞」東京本社論説委員長、粕谷賢之「日本テレビ」報道局長
- 靖国神社を訪問した13年12月26日
場所=東京・赤坂のANAインターコンチネンタルホテル東京内日本料理店「雲海」
出席者=報道各社の記者
- 翌4月2日
出席者=赤座弘一「BS日テレ」社長、原田亮介「日本経済新聞」常務執行役員ら報道各社の政治部長経験者
- 集団的自衛権行使容認の検討を公式に表明した14年5月15日
場所=西新橋「しまだ鮨」
出席者=田崎史郎「時事通信」解説委員、山田孝男「毎日新聞」専門編集委員、島田敏男「NHK」政治解説委員、曽我豪「朝日新聞」政治部長、小田尚「読売新聞」東京本社論説委員長、粕谷賢之「日本テレビ」報道局長
- 衆議院選が行われた14年12月14日の翌々日
場所=西新橋「しまだ鮨」
出席者=田崎史郎「時事通信」解説委員、曽我豪「朝日新聞」政治部長、山田孝男「毎日新聞」専門編集委員、小田尚「読売新聞」東京本社論説委員長、石川一郎「日本経済新聞」常務、島田敏男「NHK」政治解説委員、粕谷賢之「日本テレビ」報道局長
上記のリストを見ると、朝日の曽我豪、毎日の山田孝男、読売の小田尚、時事の田崎史郎、日テレの粕谷賢之の5人が出席した会食が3回あることがわかる。そのうちあとの2回にはNHKの島田俊男が加わり、最後の1回には日経の石川一郎が加わっている。
彼らを固定メンバーとした会食のようだ。周知のように、朝日の曽我豪は、『文藝春秋』2008年10月号に掲載された麻生太郎の「論文」を代筆したとされる。また、毎日の山田孝男は、東電原発事故の直後に原発批判で名を売った人間だが、実はゴリゴリの右派記者で、一昨年(2013年)、あの故岩見隆夫ですら反対を表明した秘密保護法案に賛成するコラムを自紙に書いた。いかにも安倍晋三とつるみそうな人たちだと思う。
ところで『LITERA』の記事で曽我豪の肩書きが「政治部長」になっているが、もうとっくに政治部長を退任して「編集委員」になってるよ。『LITERA』の記事を書いた野尻民夫氏は気をつけた方が良い。
また、毎日の山田孝男もかつて政治部長だった。その点で曽我豪と共通している。
ただ、曽我豪と山田孝男は、ともに自紙に腐ったコラムを書くけれど、それぞれの社論を代表する記者というわけではない。それどころかその立ち位置はむしろ社内でも異端だ。これに対し、小田尚は読売の「論説委員長」であり、もろに社論を代表している。その違いは押さえておいた方が良い。
とはいえ、曽我豪や山田孝男のような人間を政治部長に据えた朝日・毎日もまたダメ新聞であることも確かだが。大新聞の政治部なんてろくなものではない。
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