ソウルヨガ

主流秩序、DV,スピシン主義、フェミ、あれこれ

『女装して、一年間暮らしてみました』

 

 

クリスチャン・ザイデル『女装して、一年間暮らしてみました』サンマーク出版2015

 

朝日新聞に紹介があったので興味を持ちましたが、まだ読んでいません。

ネットにあった読書感想はつまらないものでした。その人はフェミ視点がないから浅く的外れな事しか書いていませんでした。

 

この本が面白いとすれば、性差別の実感、性差別の解明がどれほどあるかとか、性別、ジェンダーというものへの深い考察があるかどうかだと思います。女性がいかに性的な存在にされているか、男性から女性になったから見えるのか、女性だから見えるのか、両方なのか。女性といっても外見や年齢などによっても違いがあるでしょう。

 

 

以下、この本の一部というところを紹介しておきます。

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 テレビ業界で働いていたころから、僕はいやというほど男の醜さを目の当たりにしてきた。

 常にほかの人よりも気の利いたコメントを発し、機知に富む(あるいはそう聞こえる)ジョークを飛ばさなければならない。誰もが実際以上に自分を大きく見せようと必死だ。そういう男たちを見るたびに僕は「痛々しい」と感じていた。腐った友情を捨てられない男や、自分と違う意見をもつ相手はこてんぱんにやっつけなければ気がすまないやつらも同類だ。そんな連中とは距離を置きたいと願うようになっていた。

 男とはこうあらねばならない。女はこうふるまうものだ、などといった堅苦しい偏見に抵抗するための手段として、僕は女性に変身することを思いついた。性別という壁に対する個人的な抵抗運動だ。革命と言っても過言ではない。そうすることで、自分がもつ偏見も明らかになることだろう。まわりの人々も巻き込むことになるかもしれないが、望むところだ。

 

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 著者が女装をして電車に乗ったときの話。

 すると横のほうで三人の背広姿の男たちが立ち上がった。それまで彼らは女性の話をしていたのだが、僕の顔を見たとたんに口を閉ざした。僕に気づかないふりをしながら、横目でじろじろとながめてくる。

 身に覚えがある。僕もそうしていたから。じろじろ見られる女性がどう感じるのか、初めてわかった。小声で友人と話している限り、その女性の耳には何も聞こえないはずと男の僕は思っていた。チラ見しても気づかない、何を考えているのかなんてわからない、ちょっとぐらい聞こえてもだいじょうぶ。そう思い込んでいた。でも錯覚だった! 性別の垣根を越えてみて、初めてわかった。女性は動くアンテナ。すべてを感受できるのだ。

 女性になることで、僕のアンテナは“送信”から“受診”に切り替わっていた。常に何かを発信していなえればならないという男の習性が消えていた。

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 年寄りに比べて若い人たちのほうが寛容だ、と僕は思い込んでいた。道徳や礼儀にうるさい人々とは違い、「カジュアルな、ときにはだらしないとすら思える服装をした」気さくな人々は、僕のことを受け入れてくれるだろう、と期待していた。でも、逆のほうが多かった。圧倒的に多かった。

 一見“自由に”生きている人々に限って、心ない言葉を投げてくる。ほとんどが男だ。高齢者のほうが僕に寛容で、興味を示してくる。男女とも、高齢になればなるほどオープンになる。それに、寛容さが求められる職業(セラピストや俳優)に就いている人に限って、極度に了見が狭いのもショックだった。自分の世界観を壊したくないからだろうか? いずれにせよ、もっともらしいことを言いながら僕を拒絶する。

 苦しかった。いったい何を信じて生きていけばいいのだろうか?

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