安倍首相に代わって、主体的に「日本国首相・戦後70年談話」(独自案)
以下の様な動きがあるそうです。紹介しておきます。首相がこんな「独自案」の内容を言ったら面白いです。
--- 転送歓迎 ---
討論会 戦後70年・日本人民は何を振り 返るべきか ~首相談話「独自案」をたたき台に~ http://livingtogether.blog91.fc2.com/blog-entry-139.html
■日時 2015年8月14日(金) 18:00開場/18:30開始
■場所 なかのゼロ 西館1階 学習室A・B 東京都中野区中野2-9-7 中野駅南口・徒歩10分
■内容 1.「日本国首相・戦後70年談話」(独自案)の発表 ヘイトスピーチに反対する会
2.「独自案」と日本の現状についてコメント 千地健太さん(朝鮮学校に教育保障を! オッケトンムの会)
3.会場全体で討論
■資料代 500円
■主催 ヘイトスピーチに反対する会 livingtogether09@gmail.com
今年は戦後70年。安倍晋三は新たな首相談話を発表すると予告していますが、それをめぐって国内では「安倍首相は何を言 うのか」「中国や韓国はどう反応するのか」といったことばかりが論じられています。 そんなことでいいのでしょうか。
首 相談話をめぐる議論は、戦後日本の国家体制が何をしてきたか、何をしてこなかったのか、今後どうするべきかをめぐる、日 本人民による主体的総括の機会とす べきではないでしょうか。
そしてこの総括は、国際反ファシズム同盟にたいする日本帝国主義の敗北という事実の認識にもと づいて、行われるべきではないで しょうか。
そのような考えから、当会では、首相談話の「独自案」(下記)を作成しました。この「独自案」は、日本国首相、自由民主 党、公明党、その他国会に議席を有する政党に送り、検討を要請する計画です。
しかし政党だけに議論を任せるのではなく、市民社会においても議論を発展させていかねばなりません。つきましては、上述 のとおり討論会を開催しますので、万障繰り合わせのうえ、ぜひご参加ください。
【首相談話「独自案」ここから】
日本国内閣総理大臣談話案 「戦後70年 歴史修正主義に抗して」
作成: ヘイトスピーチに反対する会
2015年7月28日
皆さん 今年は、先の大戦であるアジア・太平洋戦争が終結してから70年になります。 1995年、当時の村山首相は「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題する談話を発表しました。この談話で日本は自 らが行なった植民地支配と侵略に対 して「痛切な反省」と「お詫びの気もち」を表明し、すべての犠牲者に「深い哀悼の念」を捧げました。いま、70年の節目 の年を迎え、私は日本国総理大臣と して、日本を代表して、再び痛切な反省にもとづくお詫びの気もちを表すとともに、これからいくつかのことを申し述べたい と思います。
さて、私は 日本を代表して、と申しました。このことについては補足が必要です。昨今、日本においても過去の侵略戦争の事実を認めない歴史修正主義が台頭し勢力を増し ています。そのため、日本を代表して私がこれから述べようとすることは、残念ながら日本国民の集合意志を代表して、とい うことではありません。しかしだか らこそ、私は日本を代表して、すなわち、日本国の「国家意志」を代表して、述べなければならないと決意したのです。
それではここで言わんとする 日本国の「国家意志」とは何か。日本国は大日本帝国が引き起こした侵略戦争とその敗北の結果として誕生した国家です。こ の事実を覆すことはできません。そ の政治的起源は、日本という国家に深く刻みつけられています。従っておよそ日本と呼ばれる国家が存在し続ける限り、あの 侵略戦争の記憶と責任を継承し、後 世に伝えることは、日本国の「国家意志」なのです。
私は、日本を代表して、という言葉を、このような意味で用いたいと思います。 日本の近代国家形成の歴史は、その始まりから侵略と収奪によって特徴づけられています。明治以降、台湾に出兵し、琉球王 国を併合し、朝鮮へは軍事的干渉、 北海道へは入植とアイヌの同化を進めました。そして日清戦争からアジア太平洋戦争敗戦に至るまでの半世紀の間、脱亜入欧 の膨張主義を国の指導者だけでなく 多くの国民も歓迎し、強欲とアジア蔑視に駆動された侵略の道を突き進みました。
朝鮮全土で三一独立運動が起こった時も、台湾の霧社で抗日蜂起が 起こった時にも、日本の警察と軍隊は凄惨な虐殺と拷問でこれに応じました。関東大震災の混乱に乗じた朝鮮人への虐殺の多 くは、軍人ではない市井の人々の手 によるものでした。
こうして、大日本帝国の膨張に抵抗する人々の命と生活を次々と奪った日本国家は、治安維持法などの立 法を経て、あらゆる自由と権利を抑 圧した国家総動員体制を確立しました。そして植民地や戦地からは、労働力や「慰安婦」を強制連行で「調達」し、アジアへ のいっそう大規模な侵略にのり出し ていったのです。
この夥しい犠牲と踏みにじられた人間の尊厳を思うとき、当時の指導者たちが膨張主義を志向しない国づくりを追求しな かったこと、国内外であげられた抵抗の声に耳を傾けなかったことに、深い痛惜の念を覚えずにはいられません。
さらに日本が立ち返るべき時間があります。敗戦への直面を避けるためだけに費やした時間です。米英中政府代表が「カイロ 宣言」を公表したのちも、日本政府 は2年近くにわたって戦争終結を決断しませんでした。天皇位にあった裕仁の地位と生命の保証に確信が得られなかったため です。
その引き換えに大陸および太 平洋諸地域で日本軍の活動がもたらした人命の損失、生活基盤の破壊の巨大さを直視しなければなりません。
また、「ポツダム宣言」の受諾を公表し た1945年8月14日以降にも立ち返らなければなりません。日本政府はドイツ、イタリア両政府と共にファシズム枢軸を 形成し、自らの帝国主義的な野望を 突き進みました。敗戦は、この野望が何より帝国主義とファシズムに抗する人々の力によって挫かれたことを意味します。
ところが日本はその意味を 認めてきませんでした。朝鮮半島における日本人の生命と財産を守るために、日本政府が半島南部を米軍政下に引き渡す手助 けをしたことはその表れです。朝鮮 の人々が作り上げようとした朝鮮人民共和国を破産させ、その後の分断の契機を作り出した責任の一端は、米国への敗北とし てしか敗戦を受け入れなかった日本 にあるのです。
続く1946年に新たな日本国憲法が公布され、日本は新憲法のもと「戦後」を歩んできたと言われます。しかし、その歩 みは日本が受諾した「ポツダム宣言」に立脚したとは言いがたいものでありました。
憲法は「基本的人権の尊重」を政府に課しています。しかしどうでしょうか。帝国主義的膨張政策の誤りを認めるならば本来 戦勝国民・解放国民として遇するべ き朝鮮人を、日本は外国人登録令により管理・弾圧しました。こうした在日朝鮮人への人権抑圧体制を今なお日本は続けてい ます。「人権」は「国民」の特権と して理解されており、人々が普遍的に認め合うべき権利として理解されていないのです。
また憲法は「平和主義」を政府に課しています。しかしどう でしょうか。日本ははやくも1950年には朝鮮戦争での米軍の作戦行動に海保を参加させています。
また、一度は米国に軍 用地として割譲した沖縄は、今でも 米軍の前線であり続けています。1951年のサンフランシスコ講和条約によって日本は独立を回復しましたが,日本は当時 の冷戦構造を口実に全面講和を積極 的に希求することもなく,この部分的な講和に日米安全保障条約を加え「戦後レジーム」の基礎としました。
この固い岩盤の 上に、戦力不保持の憲法を有しなが ら軍備を再開し、日本は再び周辺諸国民の脅威となり得る軍事力を持つに至ったのです。
アジア諸国への戦時賠償については、戦時加害の真相究明や 事実認定といった、本来あるべき被害回復の手続きを踏まずにやり過ごしてきました。日本は、賠償の問題を二国間の、とり わけ政府間の援助の問題へとすり替 えてきたのです。
その象徴的な現れが韓国に対して「日韓条約によって賠償問題は解決済み」としてきた歴代政権の姿勢で す。その結果、日本軍による組織的な 「慰安所」経営により、性奴隷として強制連行された方々の抗議の声を黙殺し続けているのです。さらに朝鮮民主主義人民共 和国との間には、賠償はおろか国交 を開くこともせず、敵視と挑発を繰り返してきました。
いま日本では、戦前の国家体制を美化し、現体制を戦前のそれに近づけようとする意 見と、戦後の「平和主義」を守ろうという意見とが、ぶつかっていると言われています。ところが、以上のように近代日本史 を振り返ってみると、戦前は言うま でもなく、戦後体制にも、多分に美化や虚飾が施されていることに気づきます。
そうしたごまかしは、今からでもやめるべきです。具体的には、戦 争・植民地支配の被害者への個人補償を行うこと、在日外国人を権利の主体として認めること、自衛隊を合憲とする憲法解釈 を見直すこと、そして日本帝国主義 に責任のある天皇制を廃止すること。こうした政策や改革に向けて日本は歩みだすべきだという決意の表明をもって、結びと いたします。