ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

主流秩序論的なもの

 

 

私は主流秩序という物差しを使って多くのことを「見える」化している。

 

2006-8年ごろ、よく「格差社会だ」という話があった。ネットカフェ難民とか、ワーキングプアとか言われた。派遣村報道に注目が集まった。

 

しかし多くの人はそれを見て、ああはなりたくないと思って余計に主流秩序に適応しようと焦って、資格取得などに走り、自己責任論がはびこった。

問題が解決されるのではなく、また貧困な人への対策が充実したり、共感が広がるのではなく、格差は温存されたままだ。

 

ある大学では正社員と非正社員の生涯年収の差をい万円札の札束の量の差で見せて、だから就活ガンバるようにと煽った。

 

だから格差があるという事実を伝えるだけではだめなのだ。それに対してどうするのかという立場をとうような、思想的な深化を伴うような営みがいる。

 

そのために、主流秩序というように見せて、自分の加担性、自分の生き方を問うようにした。そうしないと単に「格差論」の消費になり、それでメディアが儲かり、学者が儲かるだけで終わるということを言いたかったのだ。

 

其れは最近「下流老人」という言葉がはやっていることでも同じ。其れは中流から転落するぞという脅しとして興味を引き立てているだけ。自分だけでも何とか転落しないように今から準備し努力していく、という個人の対策マニュアルの前提情報となっているに過ぎない。

 

其れはブラック企業論でも同じで、自分だけはブラック企業に行かないようにしようというだけで、労働問題として労働運動をする、労組に入って戦うというようには、多くはならない。(一部はなっているから頼もしいと私は思っているが、それはほんの一握りだけ)

 

そうした中で、この序列社会、競争に追い立てられる格差社会でどう生きるのか、を考えるために、自分をその重要な要因に入れこむ議論が主流秩序論だ。

そして主流秩序への適応・加担ではなく、主流秩序からの離脱の方途を具体的に語るところが眼目だ。

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