ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

「空論(ごまかし)と幻滅の繰り返し」という指摘は当たっている

 

 

以下の朝日新聞インタビューは2つとも面白い。主流秩序の欺瞞性をついている側面があるから。

 

とくに片山杜秀さんの意見には同意する点が多い。ものはいいようになっており、嘘を平気で言っていて、あいまいな、ごまかしで安倍政権が突っ走っていると批判している点は賛成。みんなが諦めてこれでいい、しかたない、とおもってしまう状況、つまり今のネットの多数派のように、―――主流秩序に従属している人が多数になると―――「みんなが、それでいいと思うとき、民主主義は容易にファシズムに転化するのです。」というのは全く正しい。主流秩序によって今は民主主義、選挙というものがヒトラーや橋下や安倍や石原というファシストの道具になっている。

 

しかし、「もはや政治が理想を語り、何か新しく大きなことをやりますと叫んでも、とても無理な時代なんです。」というのは半分正しいが、半分まちがっている。

彼は結局「どうせだれがなっても政治は同じ。派手ないいことなどできない」というよくある諦念認識をいっているだけで、そこは政治経済・制度については見解が俗論的素人的でだめだと思う。

 

社会システムについては、「だれがなっても同じ」ではない。

今の自民党のように、米国型新自由主義のシステムで行くのか、北欧型の社会民主主義にするかどうかはめちゃくちゃ大きな違い。

 

財政が悪化し、その付けがあるので、バラ色の世界は来ないが、社民主義にしつつ、脱成長の社会に転換していけば、主流秩序の下位の者にとっては今と全然違う世界になる。その代り今の主流秩序で利益を得ている者は苦しくなる。全体のパイが大きくなるのではなく配分、社会設計思想、生き方、幸福感が変わるのである。

 

しかし、安倍政権も含め、物質主義・成長主義のままの底の浅い「理想」『打ち出の小づち』のようなもの―――アベノミクスとか、郵政民営化とか、東京オリンピックとか、集団的自衛権とか、都構想とか、公務員改革とか政権交代とか、組合批判とか、復興とか―――を言って当面の選挙で勝って、それが数年たって夢が破れてひとびとがが幻滅し、また次の『打ち出の小づち』をつくりだす。それが続くのだろう。

おろかというしかない。

そしてそのうち、戦争という最大の熱狂装置を使って、人々を数年間、支配することさえありうるのだろう。資本主義はそのシステム維持のために時々戦争をしないといけないとレーニンが帝国主義論で書いていたようなことが繰り返される。愚かしい。

 

 

複雑な社会だなどと言っているだけでは無力。実はそんなに複雑じゃない。主流秩序の観点を持てば見えてくるものがある。それが見えていない者が「複雑だ、だれが正しいとかは言えない」と言ってしまう。自分で考えてこなかった者は簡単なレトリックに騙される。郵政民営化や都構想がそのいい例だ。

 

主流秩序を見抜いて立場をはっきり決めてみていくような人が増えることが必要。米国で、ただ一人、戦争に反対したバーバラ・リー議員のようにひとりひとりがなること。

閉塞感に対しては、自分だけでも主流秩序に対抗するという展望が見えること。自分の人生で未来社会を生きること。それが私の主張です。

 

*******

 

(耕論)虚と実 片山杜秀さん、UKさん

朝日2015年9月15日05時00分

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11964364.html

 

 安保法制の議論では、政権が発する言葉のあいまいさが、多くの人々の不信を生んでいるのではないか。ネットのデマに乗っかる政治家まで現れた昨今。「政治は虚々実々の世界」とは言うけれど、虚構と現実を混同されてはたまらない。

 

 ■ごまかしと幻滅の繰り返し 片山杜秀さん(思想史研究者)

 

 東京五輪は、手詰まりななかでも何とか実現できる「夢」だ。

 安倍晋三政権は、そう考えたんでしょうね。だから、福島第一原発について「汚染水が相次いで漏れる状況です」なんて正直に言ったら夢も希望もなくなるわけで、「アンダーコントロール」と首相自らが言い切った。「希望のためなら、ウソともとれるあいまい語も許される」という空気が、震災後の日本には流れていますから。

 

 いまから思えば、東京五輪は2年前のあの招致演説から現実感の失われた世界に漂い始め、新国立競技場や五輪エンブレムの惨状につながったようにも見えます。

 政治には、夢みたいに思える理想を「必ず実現する」と説くことで、人気を集める技という面があります。だから理想主義的な政治家には人気が集まりやすい。

 

 人口が増え、経済成長で税収も増えて財源が確保できた時代には、政治が大胆な理想を掲げて実現することは可能でした。それが、いまや先進諸国はどこもパイが縮み、財政も苦しい。

 

 民主党は、それで失敗しました。事業仕分けをすれば、財源がドンと出てきていろいろ改革できるはずだったのが、話が違った。米国でも、「チェンジ」と叫んだはずのオバマ大統領への幻滅が広がっている。もはや政治が理想を語り、何か新しく大きなことをやりますと叫んでも、とても無理な時代なんです。

 

 ■行き詰まった国

 それでも、政治家は何か魅力的な言葉を振りまかないといけません。虚構を掲げてでも人々に夢を見させ、刹那(せつな)的でもいいから人気を集めないといけない。でないと政治は回りませんから。

 だから、すごいことが起きるって言う。でも、それは起きない。人々は幻滅する。ごまかしと幻滅。この繰り返しが、いまの政治なんですね。閉塞(へいそく)感で満ち満ちているわけです。そのなかで東京五輪は確かに、予算面でも政策面でも実現可能な、数少ない選択肢の一つではあったんでしょう。

 

 正論を言えば、政治家は率直に現実と向き合い、正直に語るべきでしょう。いま我が国は借金だらけで、原発もリスクがいっぱい、災害列島なのに予算には限りがあり、福祉も現状維持ですらアップアップで、もはや大したことはできません、って。でも、そんなことを言ったら、みんな生きる気力を失ってしまいますよ。何よりも選挙で勝てない。ここに21世紀の民主主義の限界、高度資本主義国家の行き詰まりがあります。

 

■慣れっこの怖さ

 さらに日本では、政界再編で政党が離合集散。来年まだ残っているかどうかもわからない政党が、ごろごろあります。小選挙区制になって政治家の劣化も著しく、国の10年先を考えるどころか、次の選挙をいかに生き残るかで精いっぱいの、浮草のような政治家が増えた。その結果が、最近の有り様なんでしょう。

 

 世の中はますます複雑になり、わかりにくくなっています。安保法制の議論でよく出る「事態」にしても、どこまで本当に急迫したものかは、複雑怪奇な国際情勢の煙(けむ)にまかれ誰もよくわからない。判断が難しいと、厳密に定義した言葉は使えません。逆にいえば、モノは言いようになるんです。

 そこに付け込み、安倍政権はあいまいな言葉を連発しています。原発再稼働もそう。いかにあいまいなゾーンを広げ、いかにごまかして政策を押し通すか、ということで政治が回っている。

 怖いのは、みんないつの間にか、飛び交うインチキな言葉に慣れっこになり、状況に流されて、「しょうがない」と現実をどんどん肯定し始めることです。そうなると少数意見は排除され、世の中は一色に染まっていく。

 これは一種のファシズムです。民衆自らが、それでいいと思ってしまうのですから、民主主義とも矛盾しません。みんなが、それでいいと思うとき、民主主義は容易にファシズムに転化するのです。

    *

 かたやまもりひで 63年生まれ。慶応義塾大学法学部教授。音楽評論家でもある。著書に「未完のファシズム」「国の死に方」「音盤考現学」など。

 

以下、UKさんの意見委続きますが、

UKさんについては次ブログで・・・