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ソウルヨガ

主流秩序、DV,スピシン主義、フェミ、あれこれ

朝日バッシングのおかしさが明らかになった 2

 

 

 

産経新聞従軍慰安婦報道」のみっともない真実(2)

「韓国人慰安婦を強制連行」と書いたのは朝日でなく産経新聞だった! 植村記者に論破され阿比留記者が赤っ恥

2015.09.26   LITERA

http://lite-ra.com/2015/09/post-1529.html

 

 昨夏の朝日報道問題で「捏造記者」の濡れ衣を着せられた元朝日新聞記者・植

村隆氏と、「安倍晋三シンパ」の3本指に入る産経新聞の名物編集委員・阿比留瑠

比記者との"インタビュー対決"が話題になっている。

 

 と言っても、産経新聞紙上に掲載された記事のほうではなく、その後、産経の

Web版で公開された"インタビューの全文書き起こし"と見られるやりとりについて

だ。なんと、そこには、"ホーム"であるはずの産経の阿比留記者と同行した外信

部・原川貴郎記者が、"アウェー"の植村氏に論破され、くるしい言い逃れに終始

している模様が描かれていたのである。

 

 本サイトは前回、そのインタビューに至る経緯や、前半のハイライト部分を紹

介した。今回解説していくのはその佳境、いわば"KOラウンド"だ。引き続き、一

問一答を産経新聞Web版から引用(一部省略)しつつ、"対決"の様子を解説席から

お届けしていこう。

 

 ──産経側はかねてから、植村氏が1991年にスクープした慰安婦問題の記事に

ついて、"元慰安婦の金学順さんがキーセン(韓国の芸者)として人身売買された

ことを隠し、「女子挺身隊」として国家によって強制連行されたように書いた"と

主張していた。しかし実のところ、植村氏の記事には「強制連行」という言葉は

いっさい出てこない。だが、阿比留氏らはそれでも"植村記事の「女子挺身隊の名

で戦場に連行され」との記述は、軍や官憲の指示で「強制連行」が行われたとし

か読めず、虚報である"と言ってはばからない。

 

 そんななか、インタビュー中、植村氏が、1991年12月7日付の産経新聞(大阪版)

をおもむろに取り出し、阿比留記者に見せると……。以下はそのやりとりだ。

 

植村「一つお聞きしたい。そうしたら、阿比留さん、この記事はどう読む?」

阿比留「ああ、(記事は)間違っていますね」

植村「間違っている?」

阿比留「はい」

植村「どこが間違っているんですか?」

阿比留「『日本軍に強制的に連行され』という(部分)」

植村「これは産経新聞の記事ですね?」

阿比留「だから、うちが間違っているんですね」

植村「訂正かなんかやられたんですか」

阿比留「これは今日、初めて見ましたから訂正したかどうかはちょっと分かりま

せん」

 

 まるで、急激に青ざめていく阿比留記者の顔色が見て取れるかのようだ。植村

氏が示した産経新聞の記事には〈金さんが17歳の時、日本軍に強制的に連行され、

中国の前線で、軍人の相手をする慰安婦として働かされた〉とハッキリそう書い

てあった。これは金学順さんの記者会見での発言を元に書いたものだという。さ

らに、1993年8月31日付の産経新聞大阪本社版にはこんな記事も載っていた。

 

〈太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年ごろ、金さんは日本軍の目を逃れるた

め、養父と義姉の3人で暮らしていた中国・北京で強制連行された。17歳の時だ。

食堂で食事をしようとした3人に、長い刀を背負った日本人将校が近づいた。「お

前たちは朝鮮人か。スパイだろう」。そう言って、まず養父を連行。金さんらを

無理やり軍用トラックに押し込んで一晩中、車を走らせた〉。

 

 日本軍が暴力によって現地の人々を強制連行していく──まるで「吉田証言」

のような話である。しつこいようだが、これは産経新聞の記事だ。

 

植村「これも強制連行ですね。両方主体が日本軍ですけど、それはどうですか」

阿比留「間違いですね」

植村「間違いですか? ふ~ん。これがもし間違いだったら、『朝日新聞との歴史

戦は、今後も続くのだと感じた』って阿比留さんは書かれているんだけど、産経

新聞の先輩記者と歴史戦をまずやるべきじゃないですか。原川さんどうですか」

原川「私、初めて見ましたので、どういう経緯でこうなったか、どこまで調べら

れるか。これちょっと日付をメモらせてもらって」

植村「いや、あげますよ。調べて、間違いだったらそれがどうなのか、どうする

のかも含めて知らせてください。歴史戦というものは、もし歴史戦を皆さんがや

っておられるんであれば、たぶん真実のためにやっておられると思うんです。皆

さんがね。であれば、先ほど間違ったとおっしゃったことに対しても、謙虚に向

かうべきだと思います」

 

 なんのことはない。「朝日は世界中に慰安婦に関する嘘をばら撒き、日本を貶

めた」と批判している産経新聞こそが、「(金学順さんは)日本軍に強制連行さ

れた」とハッキリと報道していたのである。ちなみに、朝日には金学順さんに関

して「強制連行」と書いた記事はひとつもない。なぜなら、第一報を書いた植村

氏に、金さんが強制連行されたという認識がなかったからだ。

 

 そして、何より驚くのは、産経新聞慰安婦報道の先頭に立っている2人の記者

が自社の慰安婦報道についてほとんど把握していなかったという事実である。他

社に対して"歴史戦"を挑むというなら、まずは自社の報道ぶりを検証するのが最

低限の作業だろう。しかし、それどころか、阿比留記者らはまさに自分たちが批

判している植村氏の記事すら、きちんと読んでいなかったようなのだ。

 

 いったい、彼らは何と戦っていたのだろうか。真実を探索するという本分を忘

れ、"朝日叩き"それ自体が目的化しているとしか思えない。これはなにも、阿比

留記者個人だけの話ではないだろう。昨夏以来、ある雑誌は、こんなふうにして

「朝日慰安婦報道の検証」に気炎を上げていた。

 

「廃刊せよ! 消えぬ「反日」報道の大罪」(14年10月号)

「言い逃れは許されない 「慰安婦」報道の国辱責任」(14年11月号)

「決定版40ページ! 朝日慰安婦報道「有罪」論」(15年4月号)

「訂正1年 朝日は「慰安婦」を反省したか」(15年9月号)

 

 すべて、産経新聞社刊行の論壇誌「正論」の表紙に踊った見出しである。産経

新聞社は、自社の慰安婦「強制連行」報道を訂正せぬまま、しかも、社員記者た

ちは植村氏の記事をまともに読んですらいないまま、この1年間、ひたすら「廃刊」

「大罪」「国辱」「有罪」と、がなりつづけていたわけである。

 

 この時点ですでに勝負あったというのはおわかりいただけただろうが、上で解

説したのは、長い長いインタビューのほんの一部の入口に過ぎない。

 

 その後、インタビューは一連の植村氏からの"逆質問"が終わり、攻守が代わる。

ところが、阿比留記者らからの質問は本当に重箱の隅をつつくようなものばかり。

その典型が今年8月4日付の特大記事でも執拗に見出しに使われている「証言テー

プ」に関するものだ。阿比留記者らはこのテープの存在に異様にこだわり、「テー

プはいまどこにあるのか?」「テープを聞いたのは一度だけか?」「たった1回聞

いただけで記事にしたのか?」「テープには『挺身隊』という名前は出てきてい

るのか」という質問が繰り返される。

 

阿比留「それでですね、私ども、ちょっと不思議なのはですね、誰とも分からな

い、挺対協が出元とはいえですね、誰とも分からない、名前も分からない、証言

テープだけですね、しかも1回聞いただけでですね、このような記事にできるもの

かなあと不思議なんですね」

植村「うーん、なるほどね」

阿比留「記者の作法としてですね」

 

 阿比留瑠比は1966年生まれ、植村隆は1958年生まれ。記者としての経験は植村

氏のほうが明らかに長い。ここで植村氏が再び問うた。

 

植村「阿比留さん、僕の記事(1991年8月11日付朝日新聞大阪本社社会面記事)っ

て読まれたことあります? きちんと」

阿比留「きちんとと言うか、どの記事ですか」

植村「だから僕のその、批判されている記事」

阿比留「ああ、読みました」

植村「じゃあ、ちょっと見てみましょう…」

 

 植村氏の記事は新聞記者として訓練を受けた人なら誰でもわかるような基本的

セオリーに則って書かれている。植村氏はまず、当時のソウル支局長から聞いた

「ソウルにいる元朝鮮人従軍慰安婦の女性が語り始めたらしい」という情報を元

に、以前から取材で知り合っていた挺対協の尹貞玉・共同代表に取材を申し込ん

だ。ところが、証言者はマスコミの取材を受けることを拒否しており、名前も教

えられないと言われた。だが、挺対協が聞き取りをしたテープは聞かせてもらえ

るということになり、植村氏は、元慰安婦の証言テープを聞いた上で、尹代表の

話を元に記事を書いた──という経緯である。

 

 したがって、記事はこの経緯に沿って(1)元慰安婦の女性がソウル市内に生存

し、挺対協が聞き取り調査を始めた、(2)挺対協は女性の話を録音したテープを

記者に公開した、(3)以下、挺対協の尹代表らによると……という構成になって

いる。つまり、テープはあくまでも尹代表らの話の真実性を裏付ける材料のひと

つに過ぎず、記事は尹代表らの話を元に書かれているということだ。もし、この

報道が"記者の作法として"許されないのだとしたら、警察の発表記事などいっさ

い書けないことになってしまう。いまや産経の「顔」とまでいわれる阿比留記者

が、それを知らないはずはないのである。

 

 もうひとつの争点(?)である「慰安婦」と「挺身隊」の混同・誤用問題も、

植村氏の話には説得力がある。これは朝日新聞社も昨年8月の検証記事では混同が

あったと認めているが、植村氏の主張によれば、そもそも当時の韓国では「慰安

婦」という言葉は一般的でなく、この問題に関心のある学者も調査団体の関係者

も、あるいは元慰安婦の人たち自身も、みんな「挺身隊」という言葉を使ってい

たというのだ。「挺身隊」は韓国語で「チョシンデ」という。金学順さんが名乗

り出たときも、「チョシンデハルモニ(挺身隊のおばあさん)がついに名乗りを

上げた」と言われたそうだ。なにより、韓国の慰安婦問題に関する調査団体が

「韓国挺身隊問題対策協議会」と名乗っていることからしても明らかだ。

 

 当然、当時は日韓の新聞の多くが「挺身隊」という言葉を使っていた。1991年

9月3日付産経新聞大阪本社版には〈『挺身隊』の名のもとに、従軍慰安婦として

狩りだされた〉と、ほとんど植村氏の記事と同じ表現が使われている。読売も、

毎日も例外ではない。にもかかわらず、植村氏だけがバッシングされ、新しい職

場に「辞めさせろ」「殺せ!」といった抗議や脅迫が届くといった事態が起きて

いるのだ。いかに異常なことかがわかるだろう。

 

 しかし、植村氏は「他紙も間違っているではないか!」とは非難しない。それ

は、どの会社のどの記者も、その時代時代で真実を追求しようと一生懸命に取材

し、記事を書いた結果だからだ。実際、阿比留記者らをそう諭す場面もある。

 

 だが、一方の阿比留記者らは、植村氏が韓国語ができ、韓国の留学経験もある

韓国の専門家だから一般の記者とは違う、といった訳のわからない理屈を展開し

ようとしたり、阿比留記者も原川記者も実は元慰安婦を直接取材したことがない

ということが明らかになったり(理由は「韓国語ができないから」。植村氏も

「通訳を使えばできるよ」と当然のツッコミを入れている)、とにかく読みどこ

ろ満載の"インタビュー対決"なのだ。

 

 しかも、産経がみっともないのは、8月4日付の紙面で〈「強制連行」「挺身隊」

本紙も過去に使用〉とこっそり記事を載せている点だ。元朝日記者の植村氏から

の指摘でわかったということにはいっさい触れず、謝罪も訂正もしていない。朝

日新聞に対して「廃刊してお詫びしろ」と迫っていたのに、自分たちの誤報に対

するこの態度はいったいなんなのか。

 

 しかも、これは「産経は正義、朝日は廃刊しろ!」と叫んできた右派知識人や

ネトウヨたちも同罪だ。

 

 そもそも朝日新聞バッシングは最初から右派メディアと官邸によって恣意的に

仕掛けられたまったく中身のないものだったのだ。「国賊」という言葉は、朝日

ではなくバッシングを仕掛けた連中にこそぴったりの形容詞である。

(野尻民夫)