日本中、世界中で、メディアに紹介されてほめられるようなこともなく、ただ誰かを助けたり、一緒に居たり、そばに寄り添っていたりする人がいる。どこの場にも困っている人がおり、人権侵害があり、抑圧があり、暴力被害がある。解雇されたりパワハラされたりして困っている人がいる。
それなのにそういうこと(地味だが身近にある要支援状況、地元での相談支援活動、労働運動など)にはかかわらずに、阪神大震災や東北大震災がおこったときに遠いところからそこに駆けつけたり、その後も通い続けて、「支援しています」といってメディアに取り上げられている人がいる。
それはそれでいい面もあるのだが、目立つところだけ動く人ってなんだかなあと思う。
それがその時注目される大事件で、そこで活躍すれば主流秩序を上昇できることに無意識に気づいて動いているようだ。中には意識的に利用している人もいるだろう。
そもそも、どうしてメディアに取り上げられるのか。何か自分は他の人より偉いと思っているから、メディアで取り上げられる価値があるとおもっていないか。メディアで発言できる「権利」を自分の特権意識として持っている人がいる。自分には特別な能力がると思っている人がいる。
そういう気持ちがあるから得意げに話せるのではないか。
よく観察すると、有名人とか、学者とか、タレントと科講演する人って、他の人に語る内容が本当にあるのか。大したことでもないのに、大したことのように思って語り、髙いお金をもらったり、持ち上げられたりしていないか。
集会などでもどうして有名人は特別に発言の機会を得られるのか。大した内容もないのに語っている人は多い。それよりもその問題の当事者や地味にその問題の分野で活動してしてきた人が、語ってくれた方がいいのではないか。当事者、無名の人が下手でも語るようなことが大事なのではないか。
無名の人の声に寄り添うとはそういうことではないか。
そう思うことがよくある。
それは自分にも返ってくる。(私はマスメディアに出るようなことはないが、)大学の講義で話したり、時々講演や学習会に呼ばれたりしているが、その時、上記したようなおごりが自分になかったか。自分は人前でえらそうに語るような内容を持っているのか。あのテレビなどでエラそうに語っている人と同質になっていないか、と考える。あのようにはなりたくないなと思う。
とすればどうしたらいいのかと思う。
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沖縄の新聞と本土・中央のメディアとのギャップ問題、そして沖縄に耳を傾けることは、上記の問題とかかわっていると思う。
9月12日に政府が辺野古作業再開することに対して、NOをつきつける動きが国会前であったが、琉球新報や沖縄タイムスの大きな扱いに比べ、本土のマスメディアはかなり小さい扱いだった。
沖縄の人々の声を拾っているかどうか。
当j者の声を大事にしないとこうなる。