ソウルヨガ

主流秩序、DV,スピシン主義、フェミ、あれこれ

「主流秩序論」の思い

 

なぜ主流秩序論なのかと聞かれたことがある。

それの答えの一つとなると思うので、

『閉塞社会の秘密──主流秩序の囚われ』の「あとがき」を紹介しておきます。

 

 『閉塞社会の秘密──主流秩序の囚われ』

 

私の周りには、やる気はあるし能力もあるが、機会に恵まれず非正規労働で低収入(年収が100万円台から200万円少しぐらい)で恋人もなく生きている仲間・友人がかなりいる。そうした友人たちが自分自身を肯定して生きていけるために、現実的なちょっとしたヒントがあればいいなと思う。

 

彼ら彼女らが、正社員になって収入が高くなって、少し広い家に住めたり、素敵なパートナーができたら、それはそれで個人的にはよかったねと思うが、また社会制度的に大幅に良い制度に変わって皆の権利が満たされるようになったらいいなとは思うが、それが現実には難しい中で(少なくとも皆がそうはなれない中で)、どうしたらいいかと私は考えてきた。

 

韓国の歴史ドラマを見ていたら、政治の中心である宮廷から離れて、地方の末端で貧民の中に入って暮らしている民間学者やインテリや活動家が時々出てくる。王様はその知性や実力に驚き召し上げようとするが多くの者はそれを拒む。宮廷にいる者たちには不思議である。せっかく華やかで中枢である場所に王様に呼んでもらえるのに来ないとはどういうことなのだと。

 

ドラマは架空の話であろうが、こうした少しものが見えるがゆえに、権力側につかないがゆえに、無名で生きていく人、ひっそりと死んでいった人は多くいるのだろうと思う。主流秩序という欺瞞的構造に気付き、そこにのって得意げに発言するようなことに加わらないということは、無名で、そして無力に生きるということである。この本も社会を変えることに対してはほぼ無力だろう。

 

歴史上そうした人は多くいた。私もその「葬列」の一人になろうとしている。だが静かにちゃんと生きたいと思って良心に沿って生きている名もない普通の人が、自分の人生の残りを律していくときに、ああ、これでよかったのだ、私にはこの道しかなかったんだと思えるような、そんなことに少し役立つ本であろうとした。

主流秩序に絡め取られている者は、本書を読むのが苦痛であろう。勢いある得意げなものには生ぬるい空論に見えるであろう。今さら・・と立ちすくむ人もいるだろう。

 

しかし今からでも道は2つに分かれている。主流秩序にしがみついて生きていくのか、そこから離脱するのかという2つの道である。主流秩序という「ものさし」をもたないがゆえに恥を知らぬものは、死ぬまで主流秩序への従属を自覚せずに奴隷的「勝者」で終わるであろう。それよりは、「敗者」になっているあなたはまともである。

 

現実的には、「貧困や寂しさからの脱出」は難しい。ほんとに厳しい時代だ。格差は厳然としてある。だから、社会制度がよくならない中で、その低収入の苦しい生活の中で、それでも「自分はちゃんと生きている」とおもえるようなことに、少しでも役立ちたい。そう問題を設定して、その狭い隙間の領域に向けて書かれたのが本書である。

 

本書の出版を探っているときに、ある出版社から、自社は理論的なもの、蜂起や革命などを含め直接行動も辞さない方向性で行くので出版できないと言われた。私は本書の提起していることこそ革命的で直接行動的なのになと思った。またほかの出版社ではもっと学術的なものか、逆にわかりやすい啓発的なもの、エッセイ的なものなら出せるが、本書はどちらでもなく売れる見込みが不明という形で断られた。「主流秩序」という「造語」への抵抗感が総じて強かった。本書はよくある自己啓発本・生き方論ではないのかと言われたこともある。

 

自己啓発本と本書の違いがわからない人や、「学術的なものがいいと信じることを批判する本書の意図がわからない人」はいるものだと改めて感じた。主流秩序論を従来の階級概念の延長で捉えようとする提起もあったが、それは違うと思った。総じて、新しい概念に対しては、既存の権威がないと正面から受け止めない人が多いのだなと感じた。言い換えれば自分で考える人が少ないなと感じた。

 

発達障害の傾向が少しあるかもしれない子の子育てに格闘している人、親を亡くし孤独の中で、自分の芯をキープしながら非正規で頑張っている人、高学歴だけどとても不安定な塾のバイトで何とかやっている人、恋人がいなくてずっと一人で生きてきた人、鬱が長引いてなかなか「普通」になれない人、低学歴でハローワークに何度もいってようやく厳しい仕事にありついて頑張っている人、家族の重い問題を背負って生きている人、

セクマイで文化的なビッチで小説を書いている非正規の人、才能は持っているけど精神疾患を抱えて生活保護生活をしている人、バイトをして少し足りない分生活保護で補っている人、左翼的な組織の中にいながら新しい方向に変化していっている人、DV被害に苦しめられてきたけどなかなか離れられなくてもがいてきた人、

毎日絵を描きながらつつましやかな生活を送っている人、親の介護をしている人、いろいろな道を通ってある宗教団体にたどり着いてその中で元気にやっている柔軟な人、離婚して自分の生き方をじっくり考えているけど迷うことも多い人、

治療法のない難病にかかって残り時間と向き合って生きている人、小さな組合で何とか有期雇用で切り捨てられることに抵抗しようと格闘している人、自分の手術の失敗を引きずって精神疾患になってもう死ぬしかない状況のがけっぷちにいる人、

そんなみんなに、少しでも役立つところがあればうれしい。

 

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本書が意識した対象者は都市の若者・青年層になっているようなので、「過剰な情報や消費を煽る商業施設から疎遠な生活環境にいる人や地方在住者や中高年は、主流秩序下での疎外感をどの程度認識しているのか」という質問をある人から受けた。

確かに都市の若者ほどにはコミュニケーション能力に敏感であるとか情報に溺れているとはいえないと思うが、私の感覚では、地方在住者でも、中高年者でも、テレビやネットを通じて「中央の価値観」に侵害されており、家や車や服を買う、うまいものを食べる、できるだけ貯金・財テクをする、子どもをいい学校にやり結婚させ家を継がせ土地を守る、遺産を相続させたい、といった主流秩序にとらわれた人は多いと思う。

マイルド・ヤンキーと言われるような人たちの保守性は、地元で結婚しなかまと暮らせればいいという主流秩序への無批判性の一つの表れであろう。「主流秩序に囚われている」ということは必ずしも本人が主観的に「囚われていてクタクタ」と感じているとは限らない。本人の自覚なく主流秩序に囚われているということは多い。

多いからこそ本書を記している。金や出世や情報や物欲や忙しさや美の鎖や学歴や普通の家庭やジェンダーに囚われているのに、それを「しんどい」と思わずそこそこ楽しくやっている場合はかなりある。だがそれは主流秩序がないとか主流秩序に囚われていないということでは全くない。そうした意味で本書の議論が「地方在住者や情報にあまり触れていない人々や中高年」に当てはまらないとは思っていない。  

 

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出版がなかなか決まらない中で、アットワークス社の塩見誠さんが出版を引き受けてくださった。私としては今一番言いたいこと(最近よく話していること)を書いたので、ぜひ早く出したかった。ここに感謝の意を記しておきたいと思います。

 

なお、本書を作成するにあたってかなりの削除をしたので、それを再構成して『主流秩序社会――いかに生きるかの具体的テーゼ』という本を電子出版の形で近いうちに出版する予定である。そちらも是非参考にしていただきたい。

 

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