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政権批判に過剰にビビる大学

 

放送大学の今年の単位認定試験問題を巡り、大学側が「現政権への批判が書かれていて不適切」として、試験後に学内サイトで問題を公開する際、該当部分を削除した。

過剰対応だ。削除されたところはまったくまともな意見のひとつだ。こんな意見があったっていいじゃないか。

 

朝日社説が次のように言うのはまともだ。

異論があったにせよ、削除して「なかったこと」にするのではなく、オープンに議論すればいい「中立」の名目で考えを排除したり、表現を制限したりすることは、学問の危機につながる。

 

放送大学:政権批判の問題文削除 大石泰彦・青山学院大教授(メディア倫理)の話

毎日新聞 2015年10月20日 東京朝刊

 

 ◇「検閲」に無自覚

 放送大学放送法との関係で微妙な立ち位置にあるのは確かだが、大学である以上、学問の自由や自治はある。また、放送法が定める公平性は、一つの番組ではなく、放送局の番組全体を見て担保されていればいいというのが定着した政府見解で、個々の試験問題まで公平性は要求されていないはずだ。

社会問題を扱う科目では、教員のスタンスを切り離して考えることはできない。異議を唱える人もいるだろう。だが、問題文の特定の部分が不適切かどうかは、大学ではなく教員自身が考えるのが原則だ。大学側は、検閲的な行為をすることの危険性に無自覚なのではないか

 

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◆放送大の削除 自由の侵食を憂う

朝日社説 2015年10月22日(木)付

 

 学問の自由は憲法で保障された権利である。自由に真理を探り、新たな知見を創造する営みが民主社会の基盤をつくる。

 その最高の学府であるはずの大学で、自由を縛る自主規制とも言える出来事があった。

 放送大学が、7月に行った試験問題に不適切な内容があったとして、学内サイトに載せる際に一部を削除した。

 問題は「日本美術史」で、戦前・戦中に起きた芸術家の弾圧などの歴史についての設問。安倍政権が進めた安保法制と絡めて、「平和と自国民を守るのが目的というが、ほとんどの戦争はそういう口実で起きる」などと記した5行分が消された。

 

 受験者670人のうち1人から「現政権への批判ともとれる。教育者による思想誘導と取られかねない」との指摘が大学に寄せられていたという。

 出題者の佐藤康宏・東大教授は「いまに生きる自身の問題として考えてほしいとの意図で書いた。設問に必要な導入部だった」と削除の撤回を求めたが、大学側は聞き入れなかった。

 

 放送大学はテレビやラジオなどを通じて教育する通信制の大学・大学院だ。放送の内容には「政治的公平」という放送法4条の規定が適用される。大学はそれを根拠に、「一般大学より中立性に配慮せねばならない」と説明している。

 

 だが、放送法の目的は「放送による表現の自由の確保」である。ましてやここは、「大学」である。政治、社会、科学、芸術の分野を問わず、自由な思索を表現し、批判し、論じることこそが学問の基本である。

 教授の問い方に異論があったにせよ、削除して「なかったこと」にするのではなく、オープンに議論すればいい「中立」の名目で考えを排除したり、表現を制限したりすることは、学問の危機につながる。

 

 放送大学のホームページによれば、学生の8割以上が30歳以上で、大半が社会的経験を積んだ大人である。教授の意見を自分なりに受け止め、読み解く力は十分あるはずだ。

 

 最近、公民館など公共の施設で、「政治的公平」を理由にさまざまな市民活動が妨げられる事例が後をたたない。

 削除された佐藤教授の文章には、過去を振り返った、こんなくだりもあった。「表現の自由を抑圧し情報をコントロールすることは、国民から批判する力を奪う有効な手段だった」

 自由という価値観が、往時のような権力の行使ではなく、自主規制で侵食されているとすれば、実に危うい風潮だろう。