ソウルヨガ

主流秩序、DV,スピシン主義、フェミ、あれこれ

セックスワークと貧困を語る姿勢において主流秩序の加担者になっていないか

 

12月中に、ようやく『閉塞社会の秘密──主流秩序の囚われ』の続編を出します。
『主流秩序

社会の実態と対抗――閉塞社会の秘密2 電子版―』というようなテーマになるかと思います。
そこに書いたことですが、以下、その一部を載せておきます。

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主流秩序論でつかみたいこと/めざしたいことは多様である。出した言葉は直ちに自分に向かう。主流秩序に加担しないほうがいいとはいえるが、誰もが程度の差はあれ加担しているわけだし、あまり加担しなくてすむような場所に居れる人が、「主流秩序に加担せざるを得ない場所で生きている人」を知らぬ間に傷つけるだけの言説になっては何の意味もない。

 

大事なことは何のための言説(意見、発言、構造)かということだ。「分析だけして、誰かを傷つけるが、何ら苦境・差別の現実を変えないようなもの」が多い中で、主流秩序論もそうならないか、常に点検がいる。


そのことをつい最近もつきつけられた。
私が書いたものに対して、一定の評価はしたうえでだが、性(セックス)労働(ワーク)(セックスワーカー)に対するバイアスや自分の性に対する価値観に引きずられた問題点があるのではないかという指摘を友人からいただいた。これは私にだけではなく、「貧困とセックスワーク、性の商品化」に関して論じる人たちに向けて言われたことだ。論じる前提の中に、本来は避けたい仕事がセックスワークであるが、最近は貧困化でますます主流秩序社会化が顕著になってきて、金のためにセックスワークをせざるを得ない状況になっているという、性労働へのマイナスイメージがあるように感じるというのだ。論者の多くは、貧困問題をいいたいがために、セックスワークをとりあげ利用しているだけで、本当にはセックスワーカーの役にたっていないではないかという指摘だ。

一つの文章で何もかもは言えず、ある局面で何に重点を置くかで書き方も印象も違ってくるが、忘れてはならない面として友人の指摘は重要と思う。ある仕事を過剰に美化するのでも、過剰に否定するのでもなく適切に伝えることがいる。特に、若い人に伝えるときに注意がいる。そしてどんな仕事でも、不当なことがあるとちゃんと相談したりして対処できること、支援があることが大事である。


このように、多くの人自身の主流秩序への加担を意識していれば、セックスワーカーだけをことさら批判することには多くのバイアスがあることは明白だろう。貧困とセックスワークというテーマを、主流秩序を強化しない方向で考えていかねばならない。現実的に考えて、ひどい労働が蔓延している中で、少しでも生き延びるためにセックスワークを頑張っている人がいることに対して、その人たちを上から目線で、自分は主流秩序の上位にいながら「金第一の秩序やジェンダーの秩序を強化している」と批判するように論じてはならない。それこそが主流秩序を強化しているのだから。

 

「持たざる者」(主流秩序の下位者)に対して「持つ者」(主流秩序の上位者)が、偉そうに言うことに警戒的になる必要がある。だがともすれば、「持つ者」は自分には「才能がある、努力している、賢い」から高地位高収入でいいのだ、正当な対価だと思考停止して、自分のいやらしさも意識せず裕福な暮らしをしている。


ある意味、「持たざる者」がいるから相対的に「持つ者」がいるのであり、下の苦悩がなければ、上位者は幸せになれないのだ。それなのに、セックスワーカーが家でも買うと非難され、学者が家を買っても非難されないとはどういうことか。主流秩序上位者はおおむね高収入で多くを消費し、環境破壊にも加担し、結婚してジェンダー秩序を強化しているのに、自分の加担性を言わされない一方で、弱者が「差別構造に加担してすみません」と言わされるのはどういうことか。

つまりほとんどの報道や学問は主流秩序を変えていない。それこそが問題なのである。