ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

文科省は国会デモに行く人物の映画には金を出さない

 

 夏の参院選で野党共闘を実現、支援するために学者や学生グループ「SEALDs(シールズ)」などが結成した組織「市民連合」が1月23日、東京で初めてのシンポジウムを開催した。
その中での森達也氏の発言。的確。


 「1995年のサリン事件の後をみていると、ほぼ予想できた。言い方を過激にすれば、オウム(真理教)の中で起きていたことが、この国、社会全体に起きている。言葉にすれば集団化だ。全員がまとまろうとする。依拠しようとする傾向がとても強い。その過程の中で、そうした動きに同調しない者はドンドン排除する。集団化したら、外部に敵を作りたくなる。敵を作った瞬間に全体が連帯できる。そういう状況が今進んでいる」


「特に表現やメディアだ。先日、知り合いのドキュメンタリー映画のプロデューサーが文部科学省助成金の申請に行った。ある方のドキュメンタリーだ。文科省の対応は『この方は国会デモに参加していませんでしたか』『反原発のデモにも行ったのでは』と。『それだと厳しいですね』と。そのあとに『オフレコですけど』と言って、『いまそういった雰囲気が文科省の中でとても強い』と言われたそうだ。オフレコなのに言っちゃったが。これも1つの集団だ。文科省の中で、誰かが指示をしているわけでもないが、まずいのではないかと。言葉にしなくてもみんなが忖度(そんたく)して自主的に規制している」


「きっかけは『靖国』というドキュメンタリー映画だ。あのときも文科省助成金を出したということで、自民党から激しく反日映画だという声が出た。反日映画なら『ザ・コーヴ』や『アンブロークン』もあるが、もっともっと反日的な映画はたくさんある。僕もつくっている。なぜ問題にならないか。さっきの3本は全部監督が日本人ではないからだ。だから反日だという本当に恥ずかしいぐらいに浅薄な理由でどんどん排除されてしまう」


「それに対してだれもものを言わない。言ってもいいのに、何か言うとまずいのではないかと。テレビもそうだ。反体制的なこと、反政権的なことを口にしたキャスターがどんどん外されている。別に安倍政権から圧力があったからではない。局内での自主規制だ。あるいは過剰な忖度だ。自主規制と言ったが、自主じゃない。他律だ。つまり危ない橋は渡らない。火中の栗は拾わない。これはジャーナリズムの自殺だ。何よりも権力を監視すべきだ。原因は圧力ではなく、自分たちの過剰な忖度であり、他律的で一応自主的な自制。みんな思い込んでいる。とても恥ずかしい状態だ。こうした形でどんどん時代が進んでいる」