ソウルヨガ

主流秩序、DV,スピシン主義、フェミ、あれこれ

政権批判する先生はダメなのか ③

 

第8に、以上のことに関して、「責任の取り方」について私の考えをまとめて伝えておきます。Aさんには、私がそういうことを伝えたかったんだとわかってほしいです。そしてそれはこの授業で皆さんに伝えようとしたことでもあります。

 

過去に何かをしてしまった場合、どう責任を取るのか。分野や事の性質、程度などによっても変わるでしょうが、相談にのっていたり、教育したり、加害者プログラムをしていると、この問題にかかわることがよくありますので、一般的なことを簡単にまとめておきます。慰安婦問題や侵略戦争のことなどの歴史問題における日本政府やメディアの態度の問題にもつながります。



先ず過去に起こったことは変えられません。
そこで過去に相手にひどいことをしたことについては、まず謝罪することです。
そしてその誤りの原因を解明し、今後それをしないように行動することが責任のとり方の基本です。


過去、それが「どうしようもなかった」というのではなく、過去、そうならない道もあったのに、まちがった選択をした点で責任があり、今後それをしない選択をすることで、責任を取っていくのです。
被害者の心情を考えると、謝ったからすむということはおよそなく、ことにもよりますが、半永久的に傷がいえないということがよくあります。それに対しては謝罪し続けるしかありません。それを受けて時間がたって、被害者側がもういいとか、許すとかという気になることはあります。それをまつしかありません。



ですから加害者側が「もう謝ったからいいだろう」「いつまで謝りつづけないといけないのか」「もう許してくれてもいいだろう」というのは間違いだとおもいます。「どうすればいいんだよ!」と怒るのも間違いです。もう謝らなくてもいいという時期を決めるのは加害者側ではありません。
許すことができるのは被害者側です。

口先の謝罪に心がこもっていないと反発が来るということもあります。その意味でほかの態度も含めて真摯な姿勢があるかどうか、言葉や態度に本気さがあるかどうかは重要です。


ですからいやいやな感じを含みこんで「傷つけたとしたらすみません」とか「遺憾に思います」というような、あいまいな「逃げの言葉」とか、口先の言葉とは裏腹に「本気では反省も謝罪もしていないな」と感じる態度ではだめでしょう。
「金を出したからいいでしょう」とか、「どうせそちらは金目当てでしょう」などと相手に不信感を持っているような態度ではだめです。土下座をすることは、相手に威圧的な態度であり鈍感な間違った態度です。こころの中で汚いものを持っている人ほど簡単に土下座します。



誠実なら、安易な土下座とか、「危機対応マニュアル通りの謝罪の仕方」などをしないでしょう。むしろ答えがない中で苦しみ続けることこそ、被害者の苦しみに寄り添うことなのです。上手く早く処理するようなことこそインチキです。



次に過去は変えられないのだから、いくら謝っても、演技だけかもしれません。しばらくの間、反省の態度をとるのは簡単です。それを継続できるかどうかが大事なのです。ですから今後の言動が謝罪と反省が本物かどうかを見極める点で一番大事です。



具体例でいくつか見ていきましょう。
DVならもうしないこと、エラそうな言いかたや怖いような行動をとらないことなど再発しないことが一番大事です。そうして、相手に安心感を持ってもらえるようにしていくしかありません。それには時間がかかります。毎日の実践で、非暴力的な態度をとっていくことを積み重ねることです。相手が少し攻撃的挑発的にかかわってきたときでさえ、決して暴力で対応しないようになることです。そのために共感的尊重的・シングル単位的な態度の練習をし、それを日常で実践していかねばなりません。



それはほかのケースでも同じです。
過去に「浮気」をしてしまって相手を傷つけたなら、信頼を取り戻すよう、日々いい関係を積み重ねていくしかありません。その途中には、相手からの怒りの表出もあるでしょう。それを甘んじて受け続けることです。
間違った対応は、相手が攻め続けることに逆切れし、「いつまで謝らないといけないんだ」「いつまでそのことを言い続けて僕を非難するんだ」と反撃することです。



過去の戦争や性奴隷制について反省と謝罪を本当にするなら、「もういいだろう」とか「金目当てだ」「政治的パフォーマンスだ」などといったり、侵略や性奴隷の事実を否定・軽視したり言い訳・正当化するなどもってのほかです。「いつまで謝らないといけないのだ」「過去の人のことで今の我々には関係ないし責任もない」というのは完全に間違いです。

 

過去の事実を認めるならば、未来に向かって共に平和な社会[戦争しない、軍事的対立しない、非軍事化していく]を作っていく行動を実際にとることこそ大事です。それは今の世代の責任です。教科書から侵略や慰安婦などの真実を消して戦争を正当化するのではなく、今生きている「元慰安婦の方やその支援者団体や遺族などに敵対する」のでもなく、いまの教科書に事実を書き、今生きている「元慰安婦の方やその支援者団体や遺族など」に誠実に謝罪し、戦争にならないよう憲法を守り軍事的に縮小(軍縮)していくことです。その他外交的に非暴力で信頼関係を構築するなど非戦にむけてできることをすることです。それは未来に向かっているのです。



相手がナイフを持っているかもしれない、突き刺してくるかもしれないと言って、こっちもナイフをいつももとう、ナイフの使い方を練習しておこう、ナイフ以上の武器(スタンガンや銃)などを持つようにしようとすれば、緊張が高まり、余計に危険になります。


そう思うと今の日本政府や保守系メディアがやっていることはことごとく、「適切な責任のとり方」の逆です。



いじめでも虐待でも、パワハラ、セクハラでも、過去にしたことを謝罪するとともに、その加害者が、未来に向けて「壊してしまった人のつながり、平和的な社会、信頼感」を再構築していく努力を示すしかないのです。自分が穏やかな人になり、二度と「いじめ、虐待、パワハラ、セクハラ」をしないようなひとになることです。



そのためには、口先で謝るとか、ただ「逮捕されないようにがまんする」というだけではだめです。なぜそれをしてしまったのか、自分の中の「それをもたらした暴力肯定の考え」「ゆがんだ思考」に気付き、そうではない「非暴力的な言動になる適切な考え方」を身に着けることです。それを実践できるよう自分の環境を整えて、自分が変わるようにしていきます。



具体的には学ぶ場所に行き、学んで理解し、それを実践し、それを継続していくこと(定着化、身体化)です。理解の後、習得し、活用・応用・定着させていきます。
バッティングフォームの例でいえば、打撃のフォームの間違いを見つけ、理論を含めて適切な打撃フォームを「理解」し、それをなんども練習してまず基本形をできるようにし(習得)、そのうえで応用的な状況でも状況に応じてそれができるように練習を重ねていき、本当に自然に実際のゲームでそのフォームで結果を出していくようにしていくこと(活用・応用・定着)です。

 

DVなどの問題行動の反省については、改善した日々の時間的な継続が大事であり、日常を点検し続け、微調整を続け、それを死ぬまで続けることこそ、責任をとっていくということです。


そういうことをつたえたかったので、DV問題と慰安婦問題は同時に語るべきことだというのが私の考えです。

第9に、Aさんやその意見に賛成する人には、ぜひ「「お前は人権の臭いがする」 国と同化、自己肯定の差別」という作家・中村文則さんの文章(朝日新聞、2016年1月11日)を読んで、考えてほしいと思います。

 

中村文則の話は、「お前は人権の臭いがする」「(バイトに対して)正社員をなめるなよ」「お前、在日?」、といった言葉が投げかけられる社会になったことを、2004年のイラク人質事件の人質バッシングと結びつけて論じているものです。


韓国のことを某国といって何となくひどい国だと馬鹿にするような姿勢は、石井孝明や池田信夫などの右翼言説人・ヘイトスピーカーたちと似ていると思います。「反日韓国」「エセ日本人」などとレッテルを張る人と同じような主張をすることに恥を感じてほしいと思います。

 

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Aさんの意見にこれだけいろいろ応答したのは、これは大事な問題と思うからです。あまりにネットのひどい情報に流されすぎと思います。まともな研究や情報に触れて真実を見てください。私はこれを本気で言っています。


Aさんのような立場から産経新聞的な主張を支持していると、そのうち、大学でいろんな意見が言いにくくなり、体制に反対の意見が攻撃され、そのような教員が追い出されたり、つるし上げられたりし、そのうち、物理的暴力で排除するようになっていくでしょう。それが歴史の事実です。


今戦争前夜になってきている時に、もう少し政権を批判するような意見が言えることを大事にしていくことがいると私は思っているのです。

 

憲法を変えて緊急事態という名のなんでも権力者が超法規的にできるようにしていこうという動きさえある時代です。ナチスがやったことをちゃんと知ることが必要です。そんな時代だからこそ、私は暴力にもっと敏感になってほしいと思っています。
以上