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ソウルヨガ

主流秩序、DV,スピシン主義、フェミ、あれこれ

高市総務相の「電波停止」発言

 

あまりに自明なので、記録として記事だけ載せておきますが、問題はメディアが自主規制し、かなりの国民が安倍を支持し続けることです。
悪いのは主流秩序に加担する人、つまり、メディアの中で声を上げない人であり、安倍を支持する人たちです。

 

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高市総務相の「電波停止」発言に田原総一朗氏ら抗議
日刊スポーツ 3月1日(火)9時56分配信

 

 田原総一朗氏(81)岸井成格氏(71)ら民放のテレビキャスターやジャーナリストらが2月29日、都内で会見し、高市早苗総務相の「電波停止」発言に「私たちは怒っている」と抗議する声明を発表した。「表現の自由を保障した憲法放送法の精神に、著しく反する」などと指摘している。

 田原氏は「恥ずかしい発言。全テレビ局が抗議すれば、高市さんは恥ずかしいと思い直すはずだが、テレビ局は何も言わない」と苦言。岸井氏は「憲法放送法の精神を知らずに発言しているなら大臣失格。知っていて曲解しているなら言論統制に進みたい意図があると思われても仕方ない」と述べた。ジャーナリスト鳥越俊太郎氏(75)も「メディアに対するどう喝。最近の安倍政権のおごり高ぶり、メディアや国民をなめきった態度が高市氏の発言となり現れた」と訴えた。

 

 テレビ界では「NEWS23」の岸井氏ら、安倍政権に批判的なキャスターが今後、次々と番組を降板する。田原氏は「骨のある人ばかりが軌を一にしてやめるのは、テレビ局が自粛したと思われかねない。断固、はね返さなければならない」と指摘。鳥越氏も「これは、政治権力とメディアの戦いだ」と訴えた。

 「政権批判に取られるのを恐れ、自粛している」「おかしいことをおかしいと言えない」など、テレビ報道の現場の声も、匿名で紹介された。岸井氏は「政治的な公平公正と、一般の公平公正はまったく違う。権力が強くなれば、腐敗し暴走するのが政治の鉄則。そうさせてはならないのがジャーナリストの役割だ」と訴えた。【中山知子】
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高市早苗の“電波停止”発言に池上彰が「欧米なら政権がひっくり返る」と批判! 田原総一朗岸井成格らも抗議声明
リテラ2016.02.29

 

 高市早苗総務相が国会で口にした「国は放送局に対して電波停止できる」というトンデモ発言。これに対して、ジャーナリストたちが次々と立ち上がりはじめた。
 まずは、あの池上彰氏だ。民放キー局での選挙特番のほか、多数の社会・政治系の冠特番を仕切る池上氏だが、2月26日付の朝日新聞コラム「池上彰の新聞ななめ読み」で、高市大臣の「電波停止」発言を痛烈に批判したのだ。
 池上氏は、テレビの現場から「総務省から停波命令が出ないように気をつけないとね」「なんだか上から無言のプレッシャーがかかってくるんですよね」との声が聞こえてくるという実情を伝えたうえで、高市発言をこのように厳しく批難している。


高市早苗総務相の発言は、見事に効力を発揮しているようです。国が放送局に電波停止を命じることができる。まるで中国政府がやるようなことを平然と言ってのける大臣がいる。驚くべきことです。欧米の民主主義国なら、政権がひっくり返ってしまいかねない発言です。〉
 池上氏がいうように、高市発言は、国が放送局を潰して言論封殺することを示唆したその一点だけでも、完全に国民の「知る権利」を著しく侵犯する行為。実際、海外では複数大手紙が高市大臣の発言を取り上げて問題視、安倍政権のメディア圧力を大々的に批判的しているとおり、まさにこれは、民主主義を標榜する国家ならば「政権がひっくり返ってしまいかねない」事態だろう。


 さらに池上氏は、高市発言に象徴される政府側の論理の破綻を冷静に追及。停波の拠り所としている「公平性」を判断しているのは、実のところ、政府側の、それも極端に“偏向”している人間なのだと、ズバリ指摘するのだ。
〈「特定の政治的見解に偏ることなく」「バランスのとれたもの」ということを判断するのは、誰か。総務相が判断するのです。総務相は政治家ですから、特定の政治的見解や信念を持っています。その人から見て「偏っている」と判断されたものは、本当に偏ったものなのか。疑義が出ます。〉
 まったくの正論である。とくに、高市氏といえば、かつて『ヒトラー選挙戦略』(小粥義雄/永田書房)なる自民党が関わった本に推薦文を寄せるほどの極右政治家。同書は、本サイトでも報じたとおり、ヒトラーが独裁を敷くために用いた様々な戦略を推奨するもので、堂々と「説得できない有権者は抹殺するべき」などと謳うものだ。こんな偏っている大臣がメディア報道を偏っているかどうか判断するというのは、恐怖でしかない。

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 ◆「電波停止」発言 高市氏は2月8日の衆院予算委員会で、放送局が政治的公平性を欠く放送を繰り返したと判断された場合、番組の政治的な公平性を求めた放送法4条違反を理由に、電波法に基づき電波停止を命じる可能性に触れた。その後、「1つ1つの番組を見て全体を判断する」とした、政府統一見解も出された。

 

 

「上から目線の国権主義が安倍政権の本質だ」維新・柿沢氏、高市発言を批判
産経新聞 3月1日(火)12時52分配信

 

 維新の党の柿沢未途衆院議員は1日午前の衆院予算委員会で、高市早苗総務相が電波停止に言及した問題を追及。「国家権力が言論を統制するという、上から目線の国権主義が安倍政権の本質だ」と批判し、安倍晋三首相をいらつかせた。

 東大卒業後の約4年、NHK記者として働いた柿沢氏は「ジャーナリズムの自由を国家権力で侵害するかのような高市氏の言動が危険視されている。私もジャーナリストの端くれとして高市氏に異様なものを感じてきた」との見方を示した。さらに「日本を代表するジャーナリストが怒りの声を上げた」として、田原総一朗岸井成格鳥越俊太郎池上彰の4氏の名前を挙げ、「ある種の恫喝だ」(鳥越氏)といった高市氏批判の声を紹介した。

 答弁に立った首相は、怒りを押し殺した口調で「今、延々と演説しておられたが、自民党へのレッテル貼りやイメージ操作はやめていただきたい」と反論し、民主党政権時代にも平岡秀夫総務副大臣(当時)が高市氏と同趣旨の発言をしていることを指摘した。

 それでも柿沢氏は質疑の最後に、安倍政権を「国権主義」と批判し「私たちは国民、庶民の側にたった民権主義の政党を(民主党と合流して)結成したい」と声を張り上げた。閣僚席に座る高市氏はぶぜんとした表情でため息をついた。
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(論壇時評)メディアのいま 縮こまっているのは誰? 作家・高橋源一郎
2016年2月25日05時00分

 

 優れた映画というより、観(み)る者を深く問いただす映画であるように思えた。
 「ヤクザ映画」というジャンルがある。ファンも多い。そこには「ヤクザ」が出てきて反社会的な行為をするが、しょせんフィクションなので、わたしたちは安心して観ることができる。けれども「ヤクザと憲法」(〈1〉)は違う。ドキュメン タリーだから、出ているのは「ほんもの」のヤクザだ。殺人罪などで約20年服役した会長がしゃべる。組員たちが怪しげなふるまいをする。それが彼らの「日常」だ。だが、彼らは同時に追い込まれてもいる。様々な法によって。


 会長がカメラの前に分厚い紙の束を置く。全国のヤクザたちからの悲鳴にも似た「人権侵害」の訴えだ。親がヤクザなので幼稚園に通うことを拒否された。銀行に口座を開くことを拒まれた。だが、反社会的な集団である彼らは人権など主張できないのではないか。ふと、そう思う。すると、画面に唐突に、こんな文字が浮かび上がるのである。
日本国憲法第14条
 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又(また)は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」
 もう一度書く。彼らのような反社会的集団には憲法が保障する人権は適用されないのか。そのことを考えたくなる。そして、憲法や人権が何なのかも。だが、それはいまとても難しい。論じる場所がないからだ。当事者であるヤクザを登場させるだけで、便宜供与をしたと批判される。ならば、そんな厄介なものには手を出さない。メディアが逃げ腰になりがちなテーマを掲げたこの挑発的な作品が、一テレビ局によって作られたことに、わたしは感銘を受けた。
     *
 この春のテレビの番組改編で、安倍政権に批判的な看板キャスターやコメンテイターが同時に降板する。川本裕司の綿密な取材(〈2〉)が明らかにしているように、政治的な圧力のせいなのか、それとも「自主規制」なのか。
 毎日新聞は、海外メディア東京特派員の声をとりあげた(〈3〉)。「利用価値のあるメディアの取材には応じ、批判的なところには圧力をかける『アメとムチ戦略』。そうやってリベラル勢力の排除を徹底しているのが安倍政権だと思います」という声。あるいは、総裁再選直後の会見で、質問が自民党記者クラブの所属記者だけに限られたことについて。
 「外国人記者外しは、逆に言えば、日本人記者の質問は怖くないと政権・与党になめられているということ。それに対して、なぜもっと怒らないのですか」
 「世界報道自由度ランキング」で、民主党政権時11位だった日本は、昨年3月61位と先進国で最下位にまで落ちこんだ。だが、そのことに対する危機意識は、意外なほど乏しい。メディアはもう「萎縮」してしまっているのだろうか。
     *
 去年のノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの受賞記念講演が雑誌に掲載された(〈4〉)。タイトルは「負け戦」。旧ソ連時代のウクライナに生まれたベラルーシ白ロシア)の作家である彼女の主著は文庫化され、手に入りやすくなった。権力の好まぬ彼女の物語を、いまこそ読みたい。

 最初の本は『戦争は女の顔をしていない』(〈5〉)。旧ソ連は、第2次大戦時、他国と違い、百万を超える女性が従軍し、ときに兵士として戦った。そんな女たちの声を集めた。それから『ボタン穴から見た戦争』(〈6〉)。ドイツに占領されたベラルーシでは実に人口の4分の1が亡くなったが、その戦争を目にした子どもたちの声を集めた。そして『チェルノブイリの祈り』(〈7〉)。チェルノブイリ原発事故でもっとも甚大な被害を受けたのは、彼女の母国、人口1千万の小さな国ベラルーシだった。その一帯では、多くの人間が亡くなり、故郷を追われ、家族を失った。そんな人びとの間に入り、彼女は声をひろいつづけた。

 

 アレクシエーヴィチが書くのは小説ではなく、「『大きな歴史』がふつう見逃したり見下したりする側面」「見落とされた歴史」だ。彼女は「跡形もなく時の流れの中に消えていってしまう」無数の声を丹念に一つ一つ、ひろい上げてきた。
 「それは文学ではない、ドキュメンタリーだという意見を何度も耳にしました……では今日、文学とはいったいどういうものを指すのでしょうか? この問いに答えられる人はいるでしょうか?……あらゆるものが自分のいた岸辺を離れます。音楽も、絵画も。ドキュメンタリーでも、言葉がドキュメンタリーの枠を超えてほとばしります」(〈4〉)


 いま、独裁化の進む母国ベラルーシにあって、アレクシエーヴィチは「萎縮」も「自主規制」することもなく「大きな歴史」が見逃してきた人びとの声に耳をかたむけつづけている。誰かが、その仕事を担わなければならないのだ。
 アレクシエーヴィチはこういう。
 「私が関心を持ってきたのは『小さな人』です。『小さな「大きな人」』と言っても構いません。苦しみが人を大きくするからです」(〈4〉)
 歴史から忘れられてきた無名の「小さな人」たち。だが、彼女の本の中で、彼らは大きく見える。自分の過去と向き合い、何が起きたかを、勇気をもって自分の言葉で語りはじめているからだ。
 「萎縮」や「自主規制」していたのはメディアだけではなかったのである。
     *
〈1〉映画「ヤクザと憲法」(土方宏史監督、東海テレビ制作)
〈2〉川本裕司(朝日新聞記者)「NHK『クロ現』国谷キャスター降板と後任決定の一部始終」(http://bylines.news.yahoo.co.jp/kawamotohiroshi/20160213-00054354/
〈3〉毎日新聞「特集ワイド 海外メディア東京特派員らが語る 日本『報道の自由』の危機」(2月12日夕刊、堀山明子)
〈4〉スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ「負け戦」(世界3月号)
〈5〉同『戦争は女の顔をしていない』(岩波現代文庫、今月刊)
〈6〉同『ボタン穴から見た戦争』(同)
〈7〉同『チェルノブイリの祈り』(岩波現代文庫、2011年刊)
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 たかはし・げんいちろう 1951年生まれ。明治学院大学教授。論壇時評をまとめた著書『ぼくらの民主主義なんだぜ』の抜粋版が、スマホなどで聞けるオーディブル版でも公開中(声は大竹まことさん)。