ソウルヨガ

主流秩序、DV,スピシン主義、フェミ、あれこれ

大阪市立大学は非正規切り捨てをやめろ!

 

本日、ユニオンぼちぼちは、他の組合の応援も得ながら、非正規労働者の雇用に責任を取ろうとしない大阪市立大学に対して誠実な対応を求める申し入れと抗議行動を行いました。
こちらの要求に対して誠実に対応しない場合は、今後も抗議行動をしていきますので、ご注目下さい!

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抗議文:大阪市立大学は短時間労働者の雇用に責任をもて!
http://rootless.org/botiboti/blog/blog-entry-1962

 大阪市は緊縮財政の下、大阪市立大学の運営費交付金を大幅に減らし、その結果、多くの労働者の解雇・雇い止めが行われてきました。解雇・雇い止めに遭う労働者の相当部分が、必ずしも臨時的ではなく実態として日常的・継続的な運営業務を支えているにもかかわらず、不合理に期間の定めのある契約を結ばされ、またこの春にも更新回数にかかわらず使用者の都合で一方的に辞めさせられようとしています。

 関西非正規等労働組合の組合員であるAさんも、ネットワーク・サーバの管理・運用といった恒常的な業務に就き、これまでは形式的な手続きによって「自動的」ないし「無条件」に雇用が更新されてきました。そこで、そもそも実質的に期間の定めのない雇用契約であることの確認を求める団体交渉を申し入れたところ、あろうことか団交申入後に、団交申入前日付とした「雇い止め通告」が届きました。そして交渉の場で大阪市立大学は、雇い止めをするのであるから4月以降のA組合員の雇用や生活はおろか、研究についても知ったことではない(継続中の科研費さえも廃止すればいい)という態度を取り続けています。

 A組合員はこれまで長らく教育・研究に携わると同時に、共同研究拠点の情報基盤を担うサーバ管理者として一所懸命働いてきました。また大阪市立大学は、A組合員の雇用契約を「形式的に」「無条件で」「自動的に」反復更新してきました(この点は客観的な事実として団体交渉において大学側も認めています)。それにもかかわらず、実質的に無期雇用の契約となっていることを頑なに認めようとせず、法令や判例を無視して「契約書に書いてある」「就業規則に同意の上で署名したのではないか」と繰り返し主張することは、遵法意識に欠ける、大学として社会的責任を放棄した行為だと言わざるを得ません。

 そもそも大阪市立大学には、短時間労働者の生活などを顧慮するつもりは一切ないのかも知れません。というのも、まず毎年のように改訂される「公立大学法人大阪市立大学短時間勤務教職員就業規則」第5条では一年以内の契約期間を定めるとしていますが、短時間勤務だからといって期間の定めを設けることになんら合理性はありません。
次に、第6条では、契約の期限、更新及び通算について職種毎に5年あるいは10年の上限が列挙されていますが、その根拠について、大学は「法人が決めたことだ」という説明にならない説明しか出来ませんでした。これは、必要以上に短い契約期間を反復しない配慮(労働契約法第17条)の欠如と言わざるを得ません。

 また、最近の改訂では、更新の特例や通算方法について採用期日や在籍期間、勤務時間別に委細にわたる事細かな附則が追加されてきましたが、その日付の意味を詳細に点検したところ、これらのすべてが労働契約法(第18条)およびその大学等特例法における無期転換申込権(労働者が申込みをしたら使用者は断ることができない)をのがれるための、実質的に法の効力を無化する脱法的な目的以外に、まったく合理的な理由は考えられません。

 最後に大学は、こうした配慮を欠く脱法的な就業規則を、短時間勤務教職員当事者の声に一度たりとも耳を傾けることなく勝手に作成し、改訂を繰り返してきました(大阪市立大学杉本キャンパスには労働者の過半数を代表するものはいませんから、労働基準法第90条に抵触します)。しかも当組合との団体交渉の場で、こうした附則等の年限規定すべては無期転換させないことのみを目的したものではないか問いただしたところ、法人はひらきなおるかのようにアッサリとその事実を認め、そればかりか「短時間を無期限で雇うことは無理だから、無責任なことは約束できない」と平然と答え、所長である法学研究科の教授さえ法を潜脱することの問題性に一切わるびれる風もありませんでした。


 大阪市立大学は、明治以後の近代化の中で現れた都市の矛盾、社会問題や労働問題にいち早く取り組み、日本の社会政策をリードしてきた大学であったはずです。しかし今や見る影もありません。関西非正規等労働組合は、A組合員の雇用に責任をもつことを求めるとともに、大阪市立大学が大学としての社会的責任、そして研究大学としての矜持を取り戻すことを求めるものです。