ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

映画『わたしの自由について〜SEALDs2015〜』

 

試写会で『わたしの自由について〜SEALDs2015〜』(西原孝至監督)をみた。

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改めてこの反安保(反戦争法案)の流れを振り返って、彼ら彼女らの動きや考えがわかる。多くの人に見てほしい、特に若い人は自分はどうなのかと考えてほしい。

 

SEALDsを批判する人がいるが、私はよく頑張っているな、たいしたものだなと思う。安倍政権をはっきりと否定するのにそれに説得力があるのはすごい。いいセンスでむつかしさを乗り越えている。

コールにみられるスタイル、スピーチのときの言い方、その本気さ、まっすぐに伝わる文章センス、音感、そして一人一人が自分の名前付きでなぜ法案に反対するのか、それを語る、そういうことを大事にしていることなどがいい。

 

何人かの学生の心からの言葉がスピリチュアルでいい。
特に、奥田さんと一緒に活動するある人が「キングの死ぬ前の演説を聞いて、何かを受け取ったんですよね。ガンジーとかキングとかから受け取っちゃったんですよね」「だからそれを次の世代にバトンわたさないと」みたいなことを言っていた(記憶だけなので不正確だけど、内容的にはそんなこと)。

 

それはとても“まとも”なことを言っていると感じて、それは私が20年前からスピリチュアリティといっているもの、そのものだ。
世界的には、おおむねそのような高い志とか、嫌いな心とか、勇気をもって平和的に生きる人の精神性を、魂、スピリチュアル、スピリチュアリティというような概念で表現してきた。

 

私もそれを受けてスピリチュアル、<たましい>、という様な事をいってきたが、それがわからない人は、わけわからんとか、あっち(宗教)の世界に行ったとか、自己啓発セミナーだーとか馬鹿にしてきた。

私は著書・講義・講演などでスピリチュアリティは空中浮揚とか奇跡とかの神秘というインチキなもののことではなく、例えばパートの賃金を上げる運動のよな具体的な行動や制度改革に現れるといってきたが、そこを理解しない人が、私の主張を学ぼうともせず批判してきた。ほんの数人だけど。

 

愚かしいことだと思うし、そういう人は何か問題を抱えている人で相手にする必要もないので、私は自分の道を歩んできたし、今も私にできる主流秩序への対抗を地道に実践している。

 

今回、SEALDsのみんなの活動を見て、彼らも頑張っているなあとうれしくなったし、何人かの<たましい>のこもった言葉に涙した。

 

学者や評論家が嫌いだな、だめだなと思うのは、こういう動きを高みから批判することが多いからだ。

人の批判をネットや学者空間でしていることなど横に置いといて、自分のやるべきとおもうことをする、というそういう行動している老若男女に尊敬の念を持つ。足りないところに目を向けるのでなく、やれていることに目を向けて、批判せずに応援したいと思う。

 

世界的には反グローバリズム(反WTO)などのアナーキスト的な運動、それの日本への波及としての、反原発や今回の反安保法の動きの前には、2000年代初めからの若者たちの音楽を伴った反貧困やクイアなどのパレード、デモなどの運動があった。SEALDsはそのつながりのひとつだ。

 

まだまだこうした路上での動きに触れて“感染”した人は一部だ。でもとても希望がある。そのことがわかる映画だから、2011年,2015年を生きているのに、この動きを知らないでまだ主流秩序に絡み取られている人は、早く縛りからわが身を引き離すきっかけに出会ってほしいと思う。


小熊英二の『首相官邸の前で』とあわせて多くの若者が見てほしいなと思う。

 映画は、5月14日から第七芸術劇場や渋谷アップリンクで公開され、順次全国公開される。

 

自己啓発セミナーと、この映画に出てくるような、あの運動にかかわった一人一人の<たましい>の言葉の区別がつかない者には、何を言ってもわからないだろうと思う。