蜷川幸雄の暴力性には批判的になるべき 2
蜷川さんの暴力性には批判的になった方がいいんじゃないかということを先日書きましたが、
この問題は鈍感な人には全くわからないようで、そんな小さなことにこだわって良さを否定するな、となりがちですね。
むかしから大きな目標のためには、その人物のダメなところには目をつぶれとか。
大島渚監督とかも怒鳴ってなんぼでした。
田原総一郎もその手の人です。
映画監督といっても、ジム・務ジャームッシュとかは違うスタイルでやっているという話が昔ありました。
僕が好きな、リチャード・リンクレイター監督(『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』『ビフォア・サンセット』)なんかも、違うスタイルだと思う。
野球監督でも怒鳴るタイプとそうでないタイプ、ありそう。
モデルボクサー高野人母美さんがジムの会長のおっさんを怒らせて試合させてもらえないとかも、ウザい暴力性を感じるなあ。
以下はデートDV関係で、よく示している図。
つながってるんだよねー
もちろん橋下も安倍も石原も暴力性むちゃくちゃ。
暴力というと、例えば、誰かが殴られていても、自分がまきこまれるとまずい(自分がけがすると自分の家族が悲しむ)と思ってかかわらないようにする、なんてのは、私は、とても暴力的な感覚だなと思いますけど、通じないだろうなとも思います。
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