「経済制裁」
第3部・非正規スパイラル (5)ハラスメント:新貧乏物語:中日新聞http://www.chunichi.co.jp/article/feature/binboustory/list/CK2016042202100019.html
◆物言えば「経済制裁」
これから二週間分が真っ白に空いた勤務表を見て、大倉治さん(39)=仮名=はため息をついた。「ついに自分もやられたか」
東京・青山にある高級和食店。芸能人も足しげく通う職場が忙しくないわけがない。
人手が必要なはずなのに埋まらない勤務表は、アルバイトの間で「経済制裁」と呼ばれる正社員からのいじめだ。
大倉さんのように週四、五日シフトに入り、収入のすべてを時給に頼るバイトにとって、勤務を外されれば生活が立ちゆかなくなる。
そんな嫌がらせを時折受けるようになったのは、一年半ほど前。店の運営会社に、残業代の未払いを訴え出た直後からだ。「アルバイトにだって労働者の権利がある。当然のことを言っただけだった」
非正規で働き始めて、もう十年になる。就職氷河期の二〇〇一年春に東京農業大を出て、一つしかなかった内定先の消費者金融に正社員で入った。でも、多重債務者に無理な返済を迫る自分に疲れ、二年で退社。
別の道を求めて電機関係の専門学校で学び直したが、卒業後に三十歳近くになっていたことがネックとなり、正社員の口はなかった。
「仕方なく派遣で電機大手の技術者になったけれど、それなりに満足していた」。月収は三十万円台半ば。電子回路の設計図を描く仕事は、専門知識を生かせるやりがいもあった。
だが、中国や韓国の台頭で陰りを見せていた電機業界を、〇八年のリーマン・ショックが襲った。会社は派遣社員を大幅に削減し、大倉さんもその対象になった。「そこからは、右肩下がりで…」
食いつなぐため、再び派遣で別の電機大手の子会社に滑り込んだが、月収は二十万円程度に急減。大量の中古テレビを持ち上げて次々に修理していく仕事は、肉体労働に近かった。
何よりつらかったのは、ここでもはびこっていたパワハラだ。慣れない仕事を正社員に聞いても「自分で考えろ」。ミスをすればその場で二時間立たされ、同じ仕打ちを受け続けた派遣の同僚は心を病んで職場を去った。
見かねた大倉さんは社長に手紙で窮状を訴えたが、逆にそれを知った派遣元の上司に怒鳴られた。「派遣先の方が立場が強くて、頭が上がらない。僕ら派遣社員を守るはずがないと思い知らされた」
五年前に今の和食店に移ってからも、会社や正社員に少しでも意見するバイトが「経済制裁」に遭い、追われるように辞めるのを見てきた。自分は週四で勤務に入り、月収は十八万円程度。社会保険料や年金も払えていない。「食べていくには、何も声を上げずにいる方がいい」と、自分を納得させてきた。
それでも大倉さんが覚悟を決めて残業代の支払いを求めたのは、一緒に暮らしている女性(34)との間に長男(1つ)が生まれたからだ。会社や雇用形態にとらわれず、個人でも入れる労働組合に加入し、今は店の運営会社と交渉している。
手元の計算では、五年分の未払い額は二百万円以上。それを手にできれば、滞納中の保険料などを払って結婚に踏み切れる。何より、帰宅するたび疲れた心身を癒やしてくれる小さな寝顔を裏切れない。「こんな働き方、どこかで食い止めないと。この子たちの世代に申し訳ないから」
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