ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

自分を語ることで少しまともな医者

 

親が統合失調症で大変な苦境に生きてきた人が医者になった。でもそのことは隠してきた。最初は普通の医者だったろうと思う。でも、いま、親のことをカミングアウトして、患者の立場からどうなのかの調査もして、より患者の実態の方に、寄り添っていくという姿勢に至った医者。
医者の権力性を見直す、まともな方向の人と思う。

 


(インタビュー)本音の精神科医療 児童精神科医・夏苅郁子さん
朝日新聞 2016年9月7日05時00分

 


「過去は変えられないが、考え方を変えれば、運命は変わります」

 精神疾患を抱える人は全国で約320万人。精神科を受診する人は珍しくないが、いまだ偏見も存在する。児童精神科医の夏苅郁子さんは、母親が統合失調症を患い、自らもうつや摂食障害で苦しんだ。精神科医療に求められるものは、何か。患者の家族、患者、そして医師という三つの立場を経験し、見えてきたものがある。

 

――4年前に出版された本で、お母さんが統合失調症だったことを公にしました。


 「母がおかしいと気づき出したのは、私が10歳の頃でした。夜眠らず、ささいなことで急に怒り出し、『お前なんか死んでしまえ』などと言う。掃除もせず、独り言をぶつぶつ言うようになりました。部屋のカーテンや雨戸は閉まったままで、室内にはネズミがはい回っていました。そんな母には嫌悪感しかありませんでした」


 「会社員だった父はその前から外に愛人がいて、家にはほとんど帰らず、お金もあまり入れなかった。母の症状はさらに悪化し、2度入院した後に離婚しました」
 「私自身は大学の医学部に進んでから摂食障害や重度のうつになって2回自殺未遂を起こしました。精神科に7年通いました。こうしたことも本に記しました」


 ――勇気のいることです。きっかけは何だったんでしょう。


 「『わが家の母はビョーキです』という漫画です。中村ユキさんが統合失調症の母親との日々を描いた作品で、何十年も私が隠してきた思いが表現されていた。ただただ泣きました。精神科医の立場で、自分の経験を発信しようと決心しました」


 「本を出して当事者から『あなたは大学を出て医者になっている。いいじゃないか』などと批判されました。確かに私は恵まれている。ならば、医師であることを最大限に生かそうと思いました」

 

 ――直接話を聞きたい、という依頼がたくさん来たのですね。


 「各地で講演を計150回ぐらいしました。そこで、患者や患者家族から、医師に『一生治らないからあきらめろ』と言われたとか、退院の時期を聞くと『そんなことを聞くな』と怒られた、という話を聞きました」


 「私は小学6年のころ、一度だけ母が入院していた山の中にある精神科病院に行ったことがあります。母は『家に帰りたい』と泣いていた。手土産を持った父は医師にペコペコして、『退院はいつできるのか』など、とても聞ける雰囲気ではありませんでした。精神科医療の現場は、母が入院していた50年前と変わっていないと感じました」
 「自分の診療を思い返す機会にもなりました。私は以前は、冷たい医者でした。自分の過去もあって、家族の方がいろいろ話しても『仕方ないですね』という態度でした。でも、本を出して、診察室では聞くことができなかった患者や患者家族の本音を聞き、それを医療側が知ることがよりよい診療につながると考えました」


    ■     ■
 ――昨年、患者や患者家族が精神科医の診察をどう評価しているか、全国調査されました。


 「家族会や患者団体などの協力で書面とインターネット合わせて7226人が調査に応じてくれました。私の予想に反し、7割以上の人が主治医の診療態度を良いと評価していました」

 「ただ、これは現在の主治医に対してで、過去の担当医が4人以上というのが半数近く、なかには18人という人も。いい医者に出会うまでにたくさんの医者にかかった、とも読めます。治療の選択についての十分な情報や、副作用も含めた薬の説明、症状だけでなく生活全体へのアドバイスなどは、医師の努力がもっと必要と考えているという結果も出ています」

 

 ――医者を敵に回す、と調査に反対の人も多かったそうですね


 「批判のための調査ではないので、医師に言われてうれしかった言葉も聞きました。『自分の子どもだと思って治療するから』『あなたは心を開いてくれる、いい患者さんだ』などがあがっています。新鮮でした。医師としてより、生身の人間としての言葉がうれしいのだと思いました」


 「一方、医師に直してほしいところは、『治せないのに治せるふりをしている』『家族が安心して相談できる医者になってほしい』『減薬の相談に聞く耳をもたない』『親の会に1年に1回でもいいから来て、親の本音、状況に耳を傾けてほしい』など、耳の痛いことが並んでいます。

医師を目の前にしては言えないことばかりです。事例集にして全国の医師に無料配布したいと考えています」

 「精神科医療を変えたいという人はたくさんいます。でも感情論や攻撃するだけでは医師も守りに入ります。私は医者、患者家族の経験もあり、患者でもあったので、調査結果で、こんなところが足りないということを示して橋渡しをしたいのです」

 


    ■     ■
 ――患者だった経験は何をもたらしましたか。


 「医学生のとき、『家族について』というリポートの宿題が出ました。書き進めるうちに、父も母も殺してしまいたくなり、一時期カバンの中に出刃包丁を入れて歩いていました。母の奇異な行動や家族に無関心だった父への恨みからです。包丁を持っているとホッとした。

 

結局、私が自殺を図り、殺すことはなかったですが」
 「誤解を恐れずに言うと、殺人と自殺は紙一重。私の場合、あと一瞬で惨事になっていたかもしれません。でも、その一瞬をしのげば何とかなる。だから、緊急避難できる場所をつくることが有効です。生活を奪う長期入院ではなく、家族も患者も休みを取れるように、一時的に休憩するための場所が家族にも患者にも必要です」


 「研修医だったとき、私の主治医だった教授が私を見るなり、『おい、薬はちゃんと飲んでいるか?』と言いました。悲しかった。薬のことよりまず『元気か?』と聞いてほしかったですね」

 

 ――日本の精神科医療は薬漬けだという批判があります。


 「薬を飲むことは苦しい。副作用があるからです。頭がぼんやりしたり、のどが渇いたり、便秘になったり。患者としては、どんな副作用があって日常生活ではどう影響があるのかを説明してほしい。いつまで副作用に耐えればいいかという見通しも必要です。『3カ月飲んでまた考えましょう』と言うだけでも違います」


 「薬は悪いとは思いません。でも、必要なときだけにして減薬に努めるべきです。私自身は念のために処方することはしないようにしています。『悪くなったら困るからこのまま』ではなく、少しずつ減らして微調整する。『悪くなったらまた出す』ということが大切だと考えます」


    ■     ■
 ――患者家族が社会の偏見に苦しみ、患者への対応に悩んでいることも少なくありません。


 「父は母を『わがままなやつだ』と言っていた。医者にもう少し、母の病状やこうすればいいということを父に説明してほしかった。父は病気とわがままの区別がつかなかったのだと思います」


 「私が父母を恨んでいたのは、暮らしが不自由だったからです。たとえば親類などだれかがもう少し家に出入りして、家のことを手伝ってくれていたら違ったのかもしれない。運動会のお弁当が料理しなくていいウィンナーとキュウリで、これがみじめで、つらかった。子どもに大切なのは生活支援です」


 「でも、精神疾患の親をもつ子どもが一律に不幸だとは思わないでほしいのです。私が診ている女性患者の場合、その子どもたちを祖母が大切に育て、母親である患者を受け止めています。私自身は包丁を持ったけれど、環境がよければそうはならなかったはずです」

 ――患者、患者家族と医師はどんな関係であるべきでしょうか。


 「患者や家族が本当の気持ちを医師に伝えることが当たり前でなければなりません。医師は知識優先ではなく、まずは患者の話を丸ごと聞く。患者が後ろ向きのときは、後ろ向きの気持ちをそのまま聞く。病気のことや薬の副作用などをしっかり説明し、具合が悪くなったときは必ず会う。医師は当てになる存在になることです」


 「患者、家族、医師は上下や対立の関係ではなく、運命共同体と考えるべきです。私が診た患者で約10人が自死しました。生の人間を相手にするのは怖いことでもあります。患者にとっては1回きりの人生です。できることはやらなくてはいけないと思っています」

 

 ――偏見を持ちがちの社会に伝えたいことはありますか。


 「いろいろありましたが、私はいまは温かい気持ちで人生を全面肯定できるようになりました。人が回復するのに締め切りはありません。患者家族が結婚し、その子どもが幸せになることを積み重ねていけば、社会の偏見や認識も変わっていくと思います。心の病は『あなたの人生のどこかで出会う病』です。自分はならなくても、身内や子どもがなるかもしれません。そういう目で、精神疾患を理解してもらいたいです」
 (聞き手 編集委員・大久保真紀)
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 なつかりいくこ 1954年生まれ。勤務医を経て2000年、静岡県焼津市で夫と「やきつべの径(みち)診療所」を開業。著書に「心病む母が遺(のこ)してくれたもの」。

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