ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

慰安婦問題のドキュメンタリー映画『沈黙』 クラウドファンディング

慰安婦問題のドキュメンタリー映画『沈黙』
子の映画の応援のうごきです。「アジア女性国民基金」のことを忘れないためにも大事な映画だと感じました。
紹介しておきます。

*********
https://motion-gallery.net/projects/silence


拡散希望!応援お願いします】

 朴壽南(パク・スナム) 81歳が生涯をかけて取り組んだ「慰安婦」問題のドキュ
メンタリー映画『沈黙』。来年の公開実現に向けて、ご支援をお願いするクラ
ウドファンディングは終了11/18(金)まで8日に迫りました。

 現在100名の応援を頂き目標達成率60%まできましたが、あと1歩足りません。

 続々のご支援、チラシ配布もご協力ありがとうございます。目標150万円達成
に向けて本作へのご賛同と協力を重ねてお願いします。

○MotionGalleryのクラウドファンディング
https://motion-gallery.net/projects/silence


在日女性監督朴壽南(パク・スナム、81歳)の最新作ドキュメンタリー『沈黙』完成と全国上映に向けてご支援下さい!

このプロジェクトについて
2016ソウル国際女性映画祭出品、監督朴壽南(パク・スナム、81歳)の最新作『沈黙』。「慰安婦」被害者15名の密着記録と現在をつなぐドキュメンタリー全国上映に向け完成・配給宣伝費用にお力を貸して下さい!


監督朴壽南(パク・スナム・左)とイ・オクソンさん
2016年9月30日 映画『沈黙』は、韓国DMZ国際ドキュメンタリー映画祭にて
<特別賞>を受賞しました!
今年81歳を迎えた在日コリアン2世、監督朴壽南(パク・スナム)は、当事者たちと歩んできた歳月の記録と現在をつなげ、日韓両政府の「合意」から取り残されている彼女たちの肉声を届けるために、第4作目ドキュメンタリー映画『沈黙』の完成に全力をあげてきました。
そして去る6月、第18回ソウル国際女性映画祭<戦争と日本軍慰安婦>セクションで初の上映を迎え、韓国だけでなく海外の研究者から多くの関心と公開を望む声が寄せられました。


これまで本作は、日韓のドキュメンタリストたちに無償の技術提供を頂き、そして< 朴壽南さんの映画を完成させる応援団>のご支援で、自主製作で作品を完成させてきました。
しかし資金不足のため、音楽やサウンド編集を完成させる事が出来ず、ソウル映画祭では<限定版>として上映、日本公開のためには日本語字幕・サウンド編集の製作費、配給宣伝費用が必要です。ぜひ皆様のお力をお貸し下さい!
全国上映実現に向けてあと一歩です。


主人公イ・オクソンさん(89歳)
   映画『沈黙』(英題: The Silence)
• 監督:朴壽南 
• 撮影:大津幸四郎 ハン・ジョング 朴麻衣他
• 編集:朴麻衣
• うた:イ・オクソン
• 制作:アリランのうた製作委員会
• 2016年/100分/カラー/DCP/日本・韓国
• 協力:プルンヨンサン


• 映画評 : KMDb ムン・ジョンヒョン(ドキュメンタリー監督・韓国語です)
♢報道 週間金曜日 9月10日横浜、音楽や字幕が未完成でしたが試写会を行いました日韓両政府の「合意」に一石投じるドキュメンタリー「慰安婦」テーマの映画『沈黙』
♢なぜ今、「慰安婦」の映画を?
戦後71年目を迎える今年(2016年)、現在韓国で登録されている「慰安婦」被害者の生存者は40名になりました(2016年7月現在)。その中の一人イ・オクソンさんは、今から22年前の1994年、14人の仲間たちと日本政府の謝罪と補償を求め立ち上がり、日本へやってきました。


映画『アリランのうたーオキナワからの証言』で「慰安婦」問題を提起してきた監督朴壽南は、この「慰安婦」被害者たちの活動の受け皿となって「ハルモニたちを支える会」を立ち上げ、彼女たちの人権と名誉の回復をかけた4年間(1994年~1998年)のたたかいを共にしました。
密着した貴重な記録には、「謝罪・賠償・慰安婦・解決」と一括りにされ繰り返される、大義やイメージを突き抜ける、生き生きとした当事者たちの姿があります。
高校に招かれ子ども達へ歴史の真実を伝えるイ・オクソンさん(1995年・神奈川県立高校にて)


イ・オクソンさんが高校生とふざけあって笑う時、慰安所の記憶は一言話しては、涙を流し黙ってしまうユ・ボクスンさんが、歌を唄い踊る時、日本に来ても人を怖がり、外出できないハ・スイムさんが交渉の場面で、堂々と話をする時…。
様々な場面、事件、状況、個性、証言が、彼女たちを一人の「人」として浮き上がらせます。


一つの方向ではない「慰安婦」当事者たちと、監督という立場を超え、当事者運動の現場に携わった朴壽南だからこそ見えた「慰安婦問題解決」を巡る矛盾と不条理ー。
15名のハルモニのうち現在(2016年7月)、生存されているのは3名です。日韓両政府によって進められている解決の「合意」を当事者の眼差しで見るために、20年前の記録をつむぎ、すでに他界されたハルモニたちと、そして今、この政治決着と向き合っている生存者イ・オクソンさんのメッセージを伝えたいのです。
1994年5月来日した15名のハルモニ達とボランティアの方々。(監督朴壽南・前中央 / 神奈川県・江ノ島


在日コリアンとして
ー被害者の声に耳を傾けて半世紀ー
監督朴壽南(パク・スナム)は日本で生まれた在日コリアン二世として、一貫して歴史の闇に葬られた弱者の声を聞き取り、映像化してきました。
1958年発生した小松川女子高生殺人事件の犯人、在日朝鮮人2世・李珍宇(18歳)の死刑減刑運動にたずさわり、執行されるまでに交わした往復書簡『罪と死と愛と』(1963)はベストセラーとなり、日本社会の朝鮮人差別を告発し多くの反響を得ました。


1986年、コリアン被爆者の実相を描いた 『もうひとつのヒロシマ』、そして沖縄の戦場に連行された朝鮮人軍属と「慰安婦」の実態を明らかにした『アリランのうたーオキナワからの証言』(1991)は、全国各地域の自主上映で20万人を動員し「慰安婦」問題の実相が伝えられると共に、被害者の戦後補償を求める運動に影響を与えていきます。
続く沖縄戦の「玉砕」をテーマにした『 ぬちがふぅ(命果報)-玉砕場からの証言-』(2012年)では、沖縄の住民の玉砕の悲劇と、朝鮮人慰安婦」をあわせて描き、2013年山形国際ドキュメンタリー映画祭では特別招待作品として上映され、韓国釜山平和映画祭では大賞にあたる<夢見る平和賞>を授与されました。


「ハルモニ達に残された時間はないー」。次々と歴史の証言者が亡くなっていく中、自身が入退院院を繰り返しながらも奇跡的に克服し、自らに残された時間を新作完成に費やしてきました。


今、“最長老”監督の情熱に、韓国のドキュメンタリストたちが呼応し、映画『沈黙』は日韓の境界を超え、完成と公開を目指しています。
イ・オクソンさんをいつのまかに“お姉さん”と呼ぶようになった
「被害者は見舞金ではなく国家による謝罪と賠償を要求しているのです」ハルモニ達と街頭に立つ(1994年12月東京・銀座)


映画『沈黙』とはー
1994年5月「日本政府が公式謝罪と補償に応じない限り生きて帰らない」と悲壮な覚悟で来日した15名のハルモニたちがいます。
「私は口下手だけど太鼓には自信がある」と太鼓をかかえてやってきたイ・オクソンさんは、デモや座り込みの時、叫びにかえて太鼓を打ち鳴らし14名の仲間達と被害の回復を訴えました。
慰安婦」当事者の運動があった
慰安婦」の沈黙を始めて破ったのは沖縄の戦場へ連行されたペ・ポンギさんでした。ペ・ポンギさんは『「アリランのうたーオキナワからの証言』の最後のインタビューで国家賠償を求める意志を語っていました。しかしインタビューから半年後の1991年10月、那覇市のアパートで一人息を引き取りました。


ペ・ポンギさん、最後のインタビュー(1991年)
ペ・ポンギさんが亡くなった1991年、韓国では「慰安婦」被害者が、50年の沈黙を破って次々と名乗りを上げました。被害の回復を求めた彼女たちは、国内の<太平洋戦争犠牲者遺族会>や<挺身隊問題対策協議会(挺対協)>など運動団体に所属し、裁判の原告になるなど日本政府による個人補償を求め、活動を始めていきます。
その後1993年、韓国で初めて当事者が直接運営する「従軍慰安婦被害者の会」が結成されました。


ー私たちは公娼ではないー
1992年の宮沢内閣で河野官房長官が「慰安婦」に対する調査をまとめ日本軍の「関与」を認めて謝罪を表明したものの、個人賠償は1965年の日韓基本条約で解決済みとした日本政府の対応は変わらず、「被害者の会」としてイ・オクソンさんたちが自力で日本政府との交渉を求め立上がりました。
当時の永野法相は「慰安婦は公娼」だったと発言し、その暴言は彼女たちの怒りを爆発させました。支援者のいない中、滞在中の食糧米とキムチをかついで日本にやってきたのです。


来日を知った監督朴壽南は、彼女たちの受け皿となって、外務省、総理府への交渉に挑んでいきました。しかし、日本政府はハルモニ達を門前払いにし直接交渉の願いは果たされませんでした。それでも彼女たちは集会で体験を語り、街頭でアピールをし、その命がけの訴えは国内外のメディアによっていっきに発信されていきました。
「あの時の事を語ろうとすると今も震えが止まらない」ユン・クムレさん(当時72歳)
白い民族衣装をまとい、得意の楽器を打ち鳴らしてデモをするハルモニ達(1994年5月・東京)


そして、怒りと悲しみを力にかえて、彼女たちはその後3年間、8回にわたって日本にやってきます。監督朴壽南(パク・スナム)は、<ハルモニたちを支える会>を発足させ、関東各地の集会にハルモニ達は招かれていきました。市民たちとの草の根の交流を通し、ハルモニ達の支援の輪は全国ネットに広がっていきました。いっこうに法的責任を認めようとしない日本政府の姿勢に失望していく一方で、様々な市民との出会いがハルモニ達に希望をもたらしていきます。そして日本社会では「慰安婦」という筆舌に尽くしがたい体験を直接聞き、出会う事で、多くの日本人が署名や募金活動へと行動を移していきました。
イ・オクソンさんを先生に迎えて本格キムチ作り(1995年・横浜市の障害者施設にて)
作家・住井すゑさん(当時93歳)は「見舞金」構想の反対署名の発起人をいち早く名乗り出た(1994年12月・ご自宅を訪問したハルモニ達)
「良い日本人は皆韓国にいらっしゃい!」明日帰国するハルモニ達を囲むひと時(1996年・監督の自宅にて)


<アジア女性国民基金>とは
1995年、当時の村山政権は戦後50年の過去の清算として「アジア女性国民基金」を発案、発足させ民間から募金を集め被害者へ給付する事業を開始しました。しかし被害者の会のハルモニたちは、国家の賠償を民間からの募金による「見舞金」にすりかえるものであると反対の声明文を発表し、首相との面会を求め再三にわたり来日しました。
当時、発案の白紙撤回を求める署名運動の呼びかけ人には、瀬戸内寂聴山田洋次住井すゑ氏ら著名な文化人が多く名を連ね、ハルモニたちの訴えを受けとめ、署名運動が新たに展開されていきました。


フィリピンのマリア・ロサ・ヘンソンさんも来日し「見舞金」構想の撤回を求めた(1994年12月・東京銀座)
<アジア女性国民基金>運営審議委員に直接要望を伝えるイ・オクソンさんたち(1996年7月31日)
1996年夏、イ・オクソンさんら3名の被害者は「国民基金」事業に対して二度目の交渉に向かいました。民間からの募金ではなく、法的責任による被害者への賠償と正式な謝罪を求めたのです。


その後、国民基金の事業は、民間からの募金に加え、日本政府が医療・福祉支援費として被害者一人当たり約300万円を出資、給付する事が伝えられました。
翌年、基金は非公開のうちに被害者7名に支給を実施しますが、受け取った被害者は、反対していた韓国の支援団体から厳しい非難をあび、突然の国民基金事業の実施は、被害者たちに深い葛藤をもたらしていきました。


当事者の願い
その後、<被害者の会>のハルモニたちは、一人一人の立場の違い、葛藤を抱えながらも話し合いを重ね、国民基金の給付を堂々と受け取ることを決め、なお法的責任を問い続けるという方針をくだしました(1997年9月7日読売新聞)。
受取りのいかんを問わず、彼女たちの日本政府に対する法的責任による賠償と国の謝罪を求める意志は変わらなかったのです。
しかし「国民基金」事業を阻止しようとする韓国内の運動団体、韓国政府が新たに打ち出した政策、給付を進めようとする「国民基金」側の働きかけの狭間で、一人一人の被害者の結束が、分断されていく結果を招きました。


今も毎日の祈りを欠かさないイ・オクソンさん、俗離山の法住寺にて
日韓両政府が「慰安婦」問題解決に合意
2015年12月28日、日韓両政府によって「慰安婦」問題解決の合意が、当事者不在のまま発表されました。日本側が、韓国が設立する財団に10億円を拠出するという内容で、「不可逆的な最終合意」とされました。今後、韓国側が「慰安婦」問題を蒸し返さないという事が確認されています。
今現在(2016年7月時点)韓国政府は「合意」履行のためには被害者の3分の2が、賛同を得るとしていますが、何をもって「賛同」なのかは全く知らされず、水面下で被害者への接触が進められているのが現状です。90歳前後となった当事者たちは、高齢となり明確な意志の表明が困難な方も多くいます。一方、イ・オクソンさんにも「合意」をせまる動きがあり、韓国政府が決着に向け急いでいる事が伝わってきます。


現在、被害者に起きている問題は、20年前の「アジア女性国民基金」受領を巡って被害者をとりまいた葛藤や問題を解決できないまま、その延長線上で起きているのです。
2016年6月4日、第18回韓国ソウル国際女性映画祭<戦争・日本軍慰安婦セクション>上映後のトーク
日韓両政府の合意についてハルモニはどう受けとめているか?朴壽南監督と共にイ・オクソンさんが観客の質問に答えた。(2016年6月4日・ソウル国際女性映画祭)
日韓のスタッフによる共同製作です


本作は韓国の撮影・仕上げ編集は、これまで韓国一流のドキュメンタリストたちの熱い思いによって、無償の技術提供を頂き、自主製作で作品を完成させてきました。
日本側製作陣には朴壽南監督3作品の撮影を担った故・大津幸四郎カメラマンが、1994年被害者たちの撮影に参加。また、ハルモニたちの来日全ての日程に同行した監督の長女・朴麻衣がその他の撮影と編集を担っています。


しかし、資金不足でサウンド編集や音楽録音を完成させることができず、ソウル国際女性映画祭では<映画祭限定版>での上映となりました。
来年春には、日本各地での上映実現を目標に、劇場公開用の完成を急いでいます。そのため、かかる製作・宣伝費用等、皆様に映画を届けるためには多くの費用を要します。
ぜひクラウドファンディングへ皆様のご協力をお願いします。