ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

「こじらせ女子」のエッセイストの雨宮まみさん(40)が亡くなる


「こじらせ女子」のエッセイストの雨宮まみさん(40)が亡くなった。
死因が詳しくは報じられていないが、病気、急性の疾患ではないかもしれない。
結婚という主流秩序を問う作品「ずっと独身でいるつもり?」などがある。フェミ的ではあった。
 

雨宮まみさん 6月のブログ「死にたくなる夜のこと」

死にたくなる夜というのが、やってくる。
たいていはそのたびに、薬を飲んで、寝ようとして、

眠れなかったり、でもほかのことでは気を散らすことができなかったり、

朝日がのぼるまでの時間を、苦しいまま過ごすことになる。

「死んでもいいですか?」と、誰かに訊きたくなる。

否定してほしいわけじゃない。死んじゃダメだと言われたいわけじゃない。
心配なんか、かけたくない。
でも、その言葉は甘えだと、よくわかっている。

死んでもなにも起こらない。
あとに残された人がいろいろ面倒だろうから、申し訳ないだけで。
それでも、この苦しさがあとどれだけ続くのかと思うと、耐えられなくなって、
ベランダからじっと地面を見つめるときがある。

冷たい手すりを握って、いつでもこの苦しみと
決別しようと思えばできるのだ、と心に言い聞かせる。

死んだら、みんな、
「わたしたちと一緒にいる時間は楽しくなかったの?」と思うだろう。
「笑っていたけど、あれは嘘だったの?」
「苦しんでいることに気づいてあげられなかったの?」
そんなことない。全部本当で、楽しくて、
愛されていることも知っていて、ただ、わたしにはわたしの、
どうしようもない傷がある、というだけのことなんだ。

時間が経てば、こんな傷、何も感じなくなるときが来る。
経験でわかっていても、人の心は、
なぜこんなふうに揺れるようにできているんだろう。

「この先の景色を見たい」という気持ちが、わたしにはない。

いつも、ずっと、一度もない。
「この人と一緒の時間を過ごすには、残りの人生は短すぎる」
と思ったことは、一度だけある。

誰かと出会ったり、ものすごい才能を見たり、
ひどいものに触れたり、そういうことがあるたびにまた、
あの冷たい手すりを握りしめて、「もうここまででいい」と思うんだろう。
いつも、手すりから引き返した日常を生きている。
普通に笑って、話して、食べて、仕事をして。
そうじゃない日常が、どこかにあるんじゃないか。
手すりを引き返すなら、もっと、思い切り、もっと、何か、強烈な何かが欲しい。
たまらなくそう思うときがある。
感情が、すこし、過多なのだろう。

明日が、強烈な一日であるように。
「これでいいんだ」と思えるような決断ができるように。
引き返した先のほうが、ずっといいんだと実感できるように。

 

夜が過ぎるのを待つ。