映画評『ヒトラー暗殺、13分の誤算』
「ヒトラー暗殺、13分の誤算」を見た。前から見たかったが見れた。
とてもとてもよかった。
素晴らしい。
A+ 評価。
1939年11月に、音楽好きでノンポリで家具職人のゲオルク・エルザーが、爆発物によるヒトラー暗殺未遂事件を起こしたが13分ずれて失敗した話。
とてもいろいろなことがよくわかる映画だった。
だが、分かりづらいとかという評価をネットで見て、
http://movie.maeda-y.com/movie/02040.htm
自分との大きな感覚の差を感じ、いくつかのことが見えてきた。
僕は、まあ、おじさんになったし、学生のころから少しはファシズムとかナチスとか全体主義のことにも触れてきて、多くの映画も見てきて、ナチスやヒトラーについてかなりの知識を持っている。
で、自分が左翼的スタンスであること、戦争反対であること、反ファシズムであることは明確だから、
この映画を見ていても、とてもいろんなことがよくわかる。ヒトラー・ナチスたちが権力を握る前から、共産党もかなり強くて、その中でまさかナチスガ強大な党になるとは思われておらず、最初はおかしなことを言う極端な新興勢力で、愚かな少数派だったが徐々に、その勢力が増し、共産党などと互角になり、そして権力をとる中で共産党を弾圧していく。
ということは僕がナチスにゲシュタポに逮捕される側になるということだ。
だから戦争が始まる前で、この映画に描かれていることだけでも、ナチスが怖いし、ひどいと思うし、だから、主人公の男(ノンポリの音楽屋、平凡な家具職人のゲオルク・エルザー)が違和感を感じ、これはおかしいと思い、許せないと思い、まわりがどんどん熱狂していく様に違和感を感じ、そしてヒトラーを暗殺しないとと思うようになっていくのはよくわかる。
だから「わかりにくい」とは全く感じなかった。
でもそれは当然ではないのだろう。日本人で今、この映画を見て、背景があまりわからない人がいるのだというのが事実なのだろう。なんで暗殺まで考えたのか、拷問されているのになんですぐに吐かないのか、何に抵抗してるのかがわからない人がいるのだ。
友人で共産党員の男の立場に立てばまた違って見えるだろうが、そのように見る人が少ないのだろう。当時なら自分は共産党員だったと思えない人には、分かりにくいことがあるのだ。
もちろん当時、まだNazisとは何者か、はわからなかったから、「まさか」と思う人が多かったのに対し、歴史を知っている僕が今、見えることには大きな差があるのは当然だろう。
それでも、気持わるいことを言い、ハイル・ヒトラーといい、熱狂していく様は、当時でもおかしいと思う人は当然いた。その暴力性は明らかだった。
だから共産党員には、ナチスのおかしさは明白だった。
その彼らが逮捕されていく。それだけで絶対におかしいと感じて当然だ。
主人公の男ゲオルグは、友人たちがそうなるのを見ていた。
だから僕には、彼の気持ちがよくわかる。
ユダヤ人が捕まっていく。ユダヤ人と付き合っていた女性がさらし者にされていく。
当時だっておかしいとわかるはずだ。
共産党員になるほどではなかった。何か、暴力的なことではだめだと思い、音楽や女性との恋などに興味を持つタイプだった。
そして当時は、共産党も元気だった。暴力革命も含めて夢、夢想、希望を持っていた。政治的にも一大勢力だった。だから、「物理的に戦わない音楽屋」は、共産主義者からは腰抜けに見えただろう。
だが当時の未熟な運動はナチスの組織された暴力に簡単に排除されていく。いくつかの抵抗を経て、謀略事件も起こされ、解体させられていく。
そして大衆は、プロパガンダ映画を見せられて簡単に洗脳されていく。維新の橋下の言葉に希望を感じた人たちがいたように、当時のドイツでも、簡単に人々はナチスの宣伝に騙された。踊らされた。彼なら何かしてくれる。科学の技術で強い国になれる。経済も政治もうまくいく。そういわれてそう信じた。
トランプに投票した人たちと同じ心性だ。、
もちろん、違和感を感じ、ナチスのやり方を嫌った人も大勢いた。だが、
ゲシュタボに捕まるのが怖いから口をつぐんでいった。
それは当時の日本も同じ。
いまだって同じ。
**
そして逮捕された主人公の男は、拷問にかけられる。これもいつの権力も同じ。
権力に都合のいいように、必要な筋書きを語らせねばならない。
だから単独犯であることにはできない。
今回の映画でむしろ、簡単にでっち上げをせず、いちおう「告白」させようとしたという点がおもしろかった。それは、ある意味リアルなことだったろう。皆が皆、確信犯的に簡単にでっち上げをするわけではないのだ。Nazisを、ヒトラーを信じきっている善良な人たちだからこそ、あからさまなでっち上げはできないということもある。過渡期にはそういうことも多かっただろう。
実際、家具職人・ゲオルクを取り調べ拷問し続けた男が、のちに、ヒトラー暗殺未遂事件や反ヒトラーのクーデター、ワルキューレ作戦にかかわって処刑されるというようなことも出てくる。ある種、本気でドイツ国家のために動いていたのだ。そこにリアリティもあった。
なお、ワルキューレ作戦とかを知らなくても、Nazis体制では、簡単に「こいつが悪い」「こいつに責任を取らせよう」と決めつけられれば殺されるということとしても理解できるので、多くの知識がなくても映画の本質はつかめる。
それは演説中のヒトラーが「飛行機が天候が悪くて飛びません」とメモを見せられるシーンも、単に13分のずれが生じる理由だなと理解すれば詳しく知らなくてもいいので、別に問題ない。
つまりこの映画、特に細かい知識がなくても大筋掴めると思う。ナチスの大枠を知っていれば。
で、ナチス的なものって本当に嫌だなと思える映画だった。
拷問も嫌い。拷問するやつが許せない。
拷問をやる権力というもの、その実行役の末端の人物、皆許せない。
だが、幻日世界には多くの拷問がある。おぞましい世界だ。
其れに無関心な人が多いのもおぞましい。
でっち上げをする人もおぞましい。でっち上げを平気でする人を支持する大衆もおぞましい。
で、そんな状況において、自分はどうするか、どう生きるかを問いかける映画だった。
主流秩序にどうムカウカという話です、今回も。