ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

学生さんへの応答  芸術は政治を意識しないといけないのか?

 

学生さんからの質問に以下のように答えたことを紹介しておきます。

 

●主流秩序について、芸術を引き合いに出して、社会性がいる、政治的影響があるという先生の意見に、暗い気もちになります。昔は権力者の宣伝のための芸術もあったし、そういう政治的な作品もありますが、そうでない、純粋に美を目指した芸術もこの世にはあると信じています。自然を見て美しいと思うのと同じような、そんな芸術はありませんか?何を書くにも、歌うにも、勉強し二といけませんか?作品よりも作る人の意思が大切ですか? 

 

応答→ まず美についてはこれまでにも様々な議論があり、見解は一つではないです。世間ではむしろ、政治とは関係なく芸術はある、絶対的な美はあるという見解が多いでしょう。そしてもちろん、政治とは直接関係ない、絵画とかデザインとか、音楽とかもあります(私はMark Rothkoロスコ―が好きですが、其れにも背景にはいろいろな思想がある)。

 

私が言いたいのは、積極的に社会をよくするアーティストになってほしい、そういう作品をぜひつくってほしいということです。また直接的にはまったく政治とか社会問題とは関係ない作品もありますが、それがときには、何かから目をそらすために使われることもある、そういうことも考慮しようとことです。

 

映画「追憶」はそこがテーマでした。政治を嫌う彼(映画界にいながら楽しく遊んで暮らそう、政治は嫌いという)、それに対し、その彼を好きだけど、政治的な活動をする彼女、その間の葛藤、しかし、アメリカ映画界にもレッドパージという政治の影響が及び出し、否応なく巻き込まれて行きます。安保闘争で国会をデモが取り巻いていた時、野球場にはもっと多くの国民がいるといって、国民皆が反対しているのではないといわれました。


セカオワは、今回、「ハイホー」で他人の苦しみなんて関係ないといっていられないところまで来たといってこの歌をうたっています。いつも怖い顔をして政治のことばかり考えろと言ってるのではないです。いつも直接政治を歌ったり作品にしろと言っているのでもないです。

恋愛や失恋から何か深いテーマにつながることもできますが、浅い話だけで恋愛の歌だけでいいと居直ることで、何を社会的に発信しているのか、そういうことも考えるアーティストにと言っています。高い絵を金持ちに買ってもらうという行為(存在の仕方)には、政治性があります。西野カナさんがいてもいいけど、主流秩序とは無関係にはいられないです。

 

テキストでもレディガガやマドンナの主流秩序への加担性と反逆性の両面を指摘しています。身の丈にあった場所からでいいので、そこを深めれば、深いところで「井戸はつながっている」のではないでしょうか(間接介入の話を思い出してください)。村上春樹にはかなり政治性があると思います。戦争をする日本の大政翼賛会に利用された「芸術家、芸能人」は多かったし、ナチスに利用された芸術家もいました。

 

テレビに出ないと頑張っていたアーティストもいました。首相に呼ばれれば喜んで協力する人もいますが、断る人もいます。国家からの勲章についても同じです。美とはなにか、アートとは何か。何のためにその作品を作るのか。その作品はどういう影響を与えるのか。自分はそれによって主流秩序を上昇するのか、否か。これはアートだけでなく、研究とか学問も同じです。いま、軍事研究に近づく大学、学者が増えています。情けないことです。

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参考)テキスト:p201「Auschwitz以降、詩を書くことは野蛮である」、p103レディガガ


身近な例 社会性あるアーティストや作品:
イエモン「JAM」、中島みゆき「誕生」、桑田「ピースとハイライト」、高橋優「素晴らしき日常」、ドリカム「さあ鐘を鳴らせ」、SHINGO西成「切り花の一生」、amazarashi「ラブソング」、欅坂46「サイレントマジョリティ」、
 チャップリン「独裁者」「モダンタイムス」、多くの社会的な映画、フンデルトバッサーの作品(=直線ではなく曲線、多様な窓)、  オノヨーコ(ピース)、ムンクピカソ(ゲルニア)、岡本太郎明日の神話)、其れにゲリラしたアーティスト集団「Chim↑Pom(チンポム)」
岡本太郎の「明日の神話」に風刺画を追加する様子 http://hara19.jp/archives/6635
アニマルライツついて発言する有名人たち、・・・

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