ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

弱者も主流秩序を内面化している―――日本社会は、他者の痛みに対する感受性が欠如している


以下の記事、痛々しいです。主流秩序の底辺のものが、同じ境遇の他者に対しても、『自己責任だ』という冷たい視線を向けるし、他人に対して不寛容。「下からの自己責任」とでもいうべきことが、社会の一番厳しい層で起きている。


それは悲しいがひとつの事実でしょう。主流秩序にとらわれているとはそういうことです。

そして沖縄に犠牲を押し付けても平気なのは、主流秩序において沖縄が底辺に位置するようにしているからです。主流秩序論では沖縄への加害者責任を問います。

沖縄が犠牲になるのも仕方ないという学生もいます。恐ろしいことです。

 

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沖縄、黙殺される痛み 風俗の女性に見た日本の縮図

朝日新聞デジタル

 

 沖縄出身の教育学者で、琉球大教授の上間(うえま)陽子さんが今月、風俗業界で働く女性たちの生き方を、インタビュー調査を通じて描いた『裸足で逃げる』(太田出版)を出した。描いているのは、家族やパートナーからの暴力に日常的にさらされ、その暴力が自明視されている生活を送る女性たち。沖縄での暴力から浮かび上がるのは、「他者の痛みに対する日本社会の感受性の欠如だ」と語る。

 

 上間さんが2012年にスタートさせた、沖縄のキャバクラやソープランドなどで働く女性たち15人への継続的な調査をもとに、女性の生活史をつづった。昨年4月に沖縄で起きた元米兵が女性を殺害した事件が、本にまとめるきっかけになった。現場は自分がよく知っている地域。「『またか』と。女性への暴力が、なぜ繰り返されるのかを書かないといけないと思った」と話す。


 本に出てくる、現在21~30歳の女性のほとんどは10代で結婚・出産し、そして離婚してシングルマザーとして働く。夜の世界には、早ければ中学生の時には関わり始めている。
 脳性まひの子どもを抱えながら看護師になっていく女性。性暴力の被害に遭い、さらにパートナーの家庭内暴力に苦しむ女性。傷ついていく女性たちの境遇は厳しく、家族や恋人からの暴行で失神して病院に運ばれるというのもめずらしくない。「そうした生活しか選びようがない。体を掛け金のようにして夜の世界で生きている」
 女性の多くに共通するのは「社会に対する信頼感の低さ」だという。


 「手を差し伸べてもらえないことを悟っているから、助けも求めない。同じ境遇の他者に対しても、『自己責任だ』という冷たい視線を向けるし、他人に対して不寛容。(上が下に強いるのではなく)下からの自己責任とでもいうべきことが、社会の一番厳しい層で起きていることを、私たちは黙殺し続けている」
こうした厳しい現実は、決して日常とかけ離れたところにあるわけではない。沖縄の外の人たちが思い描く、美しい自然と穏やかな人たちに象徴される「のんきな沖縄」の内部に入り込んでいるという。


 その一例に、調査で出会った1人の女性のエピソードを挙げる。闘牛を育てる恋人の男性に連れられ、牛舎に通うのが日課。そこには地域の男たちが集まり、毎晩のように酒盛りをしながら牛の話などで盛り上がる。


 「一見ノスタルジックで、沖縄の『原風景』とでもいわれそうな光景。でもその女性はいつも居場所がなくて、酒盛りの間、外の車の中で寝ていました。『来い』と言われて来ているのに、です。そこは誰も見ない。苦しんでいる人のアングルに変えられない」


 こうした黙殺という「暴力」が分断を生み出す構造は、そのまま本土と沖縄の関係にも重なる。米軍による女性への事件が相次いでなお、沖縄から基地をなくす動きは本土で本格化せず、被害者側の「落ち度」を非難する声があとを絶たない。

 

 今、米国のトランプ新大統領と安倍晋三首相の首脳会談が終わり、「日米同盟堅持の確認」が安堵(あんど)感とともに報じられている。いつのまにか、オスプレイの「墜落」は忘れられ、その海に米軍普天間飛行場の移設のためのコンクリートブロックが投入されていることは沖縄の外では意識されていないではないか。

 

 「沖縄の海の美しさはほめても、その海にコンクリートを落とされるのが『痛い』という声には共感しない」


 でも、上間さんは、沖縄で起きている暴力ではあるが、「沖縄の問題」として切り離して考えてほしくない、と語る。日本社会が直面している問題だからだ。「他人の痛みに対する感受性の問題。通勤電車で隣に座った女性がこの本の女性たちでありうると、今の日本人が感じられるか。私は残念ながら悲観的です。でも絶望したくないからこれを書きました」