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ソウルヨガ

主流秩序、DV,スピシン主義、フェミ、あれこれ

ケン・ローチ監督『わたしは、ダニエル・ブレイク』

 

ケン・ローチ監督『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)を観た。

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今年最高、私の映画人生でもベストテンに入る、最高傑作だった。
ケン・ローチの作品はほとんど見てきたが、一つあげるとしたらこれを代表作としたい。

テーマは地味。でも個人的に人間として暖かいと同時に、社会の問題と適切につないでいてそのバランスが素晴らしい。
大切な「踏ん張るライン」というものを描くことに成功した。

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内容は見る人のためにネタバレしない程度に書くが、イギリス社会で一人の中年男性が病気で働けないのに、官僚的かつグローバル経済での商業的対応によって、適切ん福祉手当が受けられない、そのプロセスに絡む様々な問題を描いている。

日本社会以上にひどいと思えるところもあったが、主流秩序にがんじがらめになって、社会的弱者(主流秩序の下位の者たち)に自己責任論でひどい言葉をなげつける日本社会の冷たさと通じる問題を提起している。

 


ひとりひとりは、常に問われるのだ。
「そのとき」どうするのか、と。
手続きに不満があるとき、ネット・PC下手の人が目の前にいる時に、どうするのか。
茫然と立ちすくんでいる人がいたらどうするのか。
困っている人がいたらどうするのか。

今の制度を前提に、仕方ないというのか。ルールだからというのか。ほかの人との公平性を考えないといけないから一人に特別優しくはできないというのか。
ほんの少しのことでも、「ルールに外れる」「違法」なことはだめなのか。


***
それに対して、〈たましい〉の立ち上がる時を描いた映画。
彼は優しい。
こう生きる、というスタイルを示した。それが希望。

ぜひ、このブログを見ている人、ぜひぜひ、万難を排してすぐにみてほしい。無理ならDVDが出るのを持ってぜひ見て下さい。
今年いちばんのおすすめ。年に一本だけ見るならこの映画です。

*****

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なお、映画パンフレットを見たら、湯浅誠さんが「この映画の主人公、ダニエルは多分、EU離脱に賛成するし、トランプ米国大統領を支持するだろう」というような趣旨のことを書いていた。
そして「やるべきことは、トランプのおかしさをあげつらうことじゃない。『私は忘れていなかったか』と胸に手を当てて考えることだ」と書いていた。

 


現実の貧困の問題にどれだけのことをしてきたのかと問いかけたい湯浅さんの言いたいことは少しわかるが、それにしても私はかなり違和感を感じた。


ダニエルはほんとうにトランプを支持するかな?

 

ダニエルのような環境に置かれた社会的地位の人が10人いたら、その一部はEU離脱に賛成したりトランプ米国大統領を支持するかもしれない。
でもそれをしないダニエル的な人もいると思う。

 

私の違和感は何か。つまり、湯浅さんはあまりに人を階層で簡単に一様に捉えている。
僕はそういう人間観にとても違和感を感じる。

 

ダニエルは、この映画の中で描かれた世界で一人の、特定の個性を持った人間だ。とてもイギリスの官僚的対応に憤っている。でも、そこからトランプ支持にすぐに行くか?

とんでもないといってトランプを怒る人のように僕には思える。

 

だってダニエルは、隣の外国籍・移民的な黒人たちにやさしいし、その少し違法な感じの「仕事」にもやさしい。
そんな人は自分の今の状況のしんどさを、単純に「移民が悪い」というトランプに「そうだ!」と大声で喝采してヘイトスピーチするか。
しない人だと思う。

 

だから職業安定所で見知らぬ女性(シングルマザーのケイティ)が困っていた時に、その人がイギリス人だからとか、白人だからとか、上流階級だからとか、仲間だからとかではなく、人間だから、寄り添って、「彼女を優先して対応しろよ。ほかの人、譲ってもいいよな?」と声をかける。

 

彼が自分の苦しみを「より主流秩序の下位の人」へのうっぷんで晴らすような人に見えるか?

 

だからこのエッセイの湯浅さんの人間の見方はとても平板に
「その体制で見捨てられたと思っている人々がみな、トランプを支持する」というあまりにもおおざっぱで、間違った見方をしているとおもう。


米国で今の主流秩序、エリートたちの政治や経済に憤りを持っている人は多くいるが、その人がみなトランプを支持しているか?全く違う。むしろトランプに反対している。
多くの「主流秩序の下位の人」「エリートの支配に憤っている人」がトランプのひどい差別に怒っている。

 

ケン・ローチが描き出した人間たちの、ギリギリのなかでの生き方というものに希望を見出す物語を見て、そのダニエルが、トランプ側に立つだろうだって?


どうしてそんな上から「選挙で●を支持した人は誰?(どの階層、クラスター)」みたいな数量的統計分析を直接、ダニエルという映画的主人公個人に当てはめるのか。
それは大事なところが見えていないなと思った。

 

ダニエル的な環境・状況・階層の人たちということと、ダニエル個人を区別するところに、「態度価値」がたちあがる。

ユダヤ人の強制収容所で、収容されているユダヤ人の中でも、その生き方には180度の違いがあった。
支配管理するドイツ人の中でも同じことがあった。

 

 

ダニエル・ブレイクは、粘り強く戦った。壁に、わたしは、ダニエル・ブレイクだとかいた。シングルマザーとその子供に具体的にできることをし、言葉をかけた。


それは集団で、ある集団を排除して気勢を上げる、極右やヘイトスピーチする人やトランプ支持者とは違う。偉大なるアメリカとか言って、不満をナショナリズム的民俗的誇りに転嫁して満足するような鈍感さはなかった。


一人で壁に「わたしは、ダニエル」と書いたのだ。

「白人イギリス人の職を奪う移民は出ていけ!」とは書かなかった。

 

そんなダニエルが、トランプを支持するだって?

あまりに時流に流されて動揺しすぎて視点がぶれている。


それは橋下維新が大阪で強かった時に、朝日新聞記者が「橋下さんのほうが世間が見えていた、私が見えていなかった」と反省的に書いたのと同じだ。


いまの瞬間の風に動揺している。

 

トランプをみて、選挙で勝ったからといって、「トランプが支持されることには合理性があり、そこを謙虚に見ないといけない」というようなものではない。

そのような解説をする学者は多いが、其れはあまりに大雑把だ。

そして鈍感で、くそったれの見方だ。主流秩序に批判性がない見方だ。

 

 

ケン・ローチの、 「主流秩序のなかでの個人の生き方の映画」を、統計的視点でそう見てしまうのは、大事なものが見えていないと思う。

選挙で負ける、社会で少数、多数でない、でも、大事なものはある。過半数をとる選挙の話とは別だ。

 

戦争の時代が近づくと、識者は従来の主張を変えて、時流に合わせたことを言って生き延びるのが常だ。それが歴史だ。

 

天皇制・八紘一宇大政翼賛会大日本帝国憲法のなかで、それを徐々に正当化する言説を生み出していった知識人は多くいた。

 

従来のリベラルや左翼を時代遅れとみなして、それを批判しつつ、新しい時代について語る輩は常に出てくる「あるスタンス」だ。

 

せっかくのケンローチの名作のパンフレットに、そうした危険性が匂う文章が載ったのは残念だ。
湯浅さんは立場として反貧困で大きくはまちがっていないと思うし、個人的には信頼できる人間と思っているが、
この映画のエッセイとしては、とても大事なこの映画の〈たましい〉を見落としてしまう文章を書いてしまったと思う。
***

 

私は、主流秩序に加担しないためにも、トランプを批判する側に回ろう。

「24時間電話で苦情対応」というが、ずっと待たされるときのクソのような音楽を作る人間にはなるまい。