ソウルヨガ

主流秩序、DV,スピシン主義、フェミ、あれこれ

卒業式の国旗国歌強制

 

主流秩序論の講義で、ある学生さんが以下の様なレポートでの意見表明を出してくれた。いい題材なので、以下のように答えて、考えてもらおうと思う。

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学生さんからの意見
入学式、卒業式での君が代、日の丸の掲揚の際に起立しない教師の問題。
入学式、卒業式は生徒が主役であり、教師の思想を表す場ではない。教師にとってそれらの式は教師生活をしていく上で毎年の恒例行事だろうが、生徒にとっては一生に一度の本当に大切な式だ。憲法や戦争や天皇制の批判などを伝えることは授業や教室ですべきことだ。
心の中で抵抗しながらも起立、斉唱は可能だ。斉唱に関してはなんなら口パクでも構わない。思想及び良心の自由はそれが内面に留まる時にのみ、保証される。式次第を乱さず、荒波をたてることなく進行させて生徒を無事に向かい入れ、送り出すことが教師の最初で最後の役割ではないだろうか。生徒の立場からすれば、とにかく気分よく式を終わらせたいのだ。

生徒たちに対して、「私は、本当は国歌斉唱や日の丸に起立はしたくない。その理由は授業で伝えたはずだ。それでも、君たちの大切な式を乱したくないから、それらを式では行う。現実は私が起立しないということだけで大騒ぎになってしまう悲しい世界だ。世の中では理不尽なことでも従わなくてはならない時もある。今の社会では自分の意見を通すと皆から批判されたり処分されたりする。そのような悲しい日本社会を君たちに直して欲しい。澄んだ心を持ち、物事を広い視点から見てこれから生きて欲しい。」と言って、式の本番で起立、斉唱する教師の方がかっこいいし、自分のことよりも生徒のことを大切に思っていると感じる。面従腹背も大切なことではないだろうか。

 

 

◆私の意見→主流秩序論の視点から

「思想及び良心の自由はそれが内面に留まる時にのみ、保証される」というのは半分正しいが、「のみ」がおかしい。表現の自由もあり、相手・他の人の人権を制限・侵害しないことと両立させて、思想の自由は表出する自由も認められるべきである。


なぜ片方ばかりが我慢しないといけないのか。国旗がなくてもいいし、国歌斉唱で起立しない人がいてもいいし、そもそも国歌斉唱がなくてもいい。なぜ意見が分かれるものを強行強制するのか。全体主義国家的ではないか。「教育勅語」を読む校長が来た時も黙って従うのか。誰が決定し、誰が従わねばならないのか。生徒はみな、国旗国歌に賛成なのか。以前は国旗国歌なしでやっていた。入学式・卒業式とは何か。そんな式はいるのか。外国にはないところもある。


運動、抵抗、非暴力主義の闘いというものをしってほしい。

主流秩序に従属するのを見せるだけでいいのか?
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