ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

ゼクシィCMの評価  ―――主流秩序論の視点から

 

 

千田有紀さんのゼクシィCMへの批評を読んで、賛成できる面はあるものの私と意見が違うところが多いなと感じたので、私の感想をかいておこうと思う。 

 

  • まず

問題となっているCM

https://www.youtube.com/watch?v=FuH-38iyOD0

ゼクシィCM「私は、あなたと結婚したいのです」風船篇

 

 

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  • 次にこのCM を肯定的に扱った記事

「ゼクシィ『結婚しなくても幸せになれる時代』 新CMに寄せられた共感」

J-CASTニュース 2017年4/30(日) 17:15配信

というものがあって、

 

そこには、同CMが高い評価を受けているということが紹介されている。

そこでは「誰の生き方も否定してないから良い」 「結婚したくなるし、でも独身でいることを否定もしていないし、とても考えられてる...」などの意見を紹介しながら記事自体がこのCMを大きく持ち上げている。

その記事の中で、千葉商科大学国際教養学部専任講師の常見陽平さんが、ゼクシィがこれを言いきったのは事件だ、結婚押し付けうぜえ感がない、といって高い評価を与えている。

 

 

***

  • 次に千田さんがこの世間の高評価に、ムズムズした感想を書いた。

千田有紀  | 武蔵大学社会学部教授(社会学) 2017年5月3日(水)

「『浮気をしたらすべてを失う時代に、あなたと結婚したいのです』――ゼクシィCMの可能性」

https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20170503-00070579/

 

その内容

世間のこのCMの高評価はそうなんだけど、そうでない面もすこしあるよ、パラドックスがあると思う、というようなことを書き、「浮気をしたらすべてを失う時代に、あなたと結婚したいのです」というCMにしたらいいけど採用されないよね、という評論だ。

 

「いやその通り。まったく本当にその通り」「このCMが結婚しないひとを貶さず、結婚を唯一の価値として誇らなかったことはとても素晴らしいことです」「多様なライフスタイルを肯定しているCMに対して、なんの問題もないのです」「本当にたんなるひねくれたひとみたいになっているのが嫌です」

といった言葉をちょいちょい入れて、「単なる文句言い」ではないよ、前面否定ではないよ、と何度もイクスキューズしている。

 

そのうえで「結婚の価値は底抜けにあがっている」ことを覆すには至っていない、結婚しなくても幸せというと落ち着かない、など「ゼクシィのCMのパラドクス」に言及してはいるが、あまり主張ははっきりしない。統計的に貧困と結婚率が関連しているとかを言って、まだ結婚が本当に自由に/ニュートラルに、する/しないが選べるってもんじゃないことはにおわす。

 

そして千田さんの主な主張は、結婚しているものが「結婚以外のライフスタイルも否定しませんよ」という余裕でかたっている面があるというもの。一般論では「発言者の属性と切り離されて、検討されるべきこと」とまたイクスキューズをいれながら、発言者の属性、ポジションが、意見の妥当性の判断にかかわることがあるといって、この結婚についての意見の上から目線的な余裕を指摘する。そして「結婚しなくても幸せ」ということが人前で口にできるということ自体が、恵まれたことになってしまっている証拠でもあると指摘する。

 

今や結婚したらできないのが浮気だとして、それは結婚が「選択」となり、「特権」となったことの、裏側にあるものだと分析したうえで、自分で、では、そういう点をクリアしたCMはどんな物かと問いを立てる。そして結婚の覚悟を伝える「浮気をしたらすべてを失うかもしれないこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」という案を出している。

 

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◆それで以下、私の意見なのだが、上記の「CM全面的肯定・高評価」でも「千田さんの意見」とも私はかなり違うように受けとめた。

 

CMを最初から見れば、「70億人が暮らすこの星で結ばれる。珍しいことでなくても、奇跡だと思った。」といって、抱き合った二人が幸せそうな表情を浮かべ、   「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」 というナレーションが入る。女性は新郎の胸元に顔をうずめ、幸せを噛みしめる感じ。

 

これってめちゃめちゃ主流秩序に沿ったもんやん!とおもった。 まったくジェンダー秩序、結婚したほうが上という主流秩序を否定してないし。批判してないし。結婚=幸せというメッセージを強く出している。それがほどんどでしょ?

 

CMとは価値の押し出しによる商品(サービス)の購買の促進だ。このCMで出している価値は、結婚って幸せだよーということで結婚したい、結婚式したいと思わせるような内容だ。どこが一体、主流秩序を揺るがしているだろう。

 

「結婚しなくても幸せになれるこの時代に」という言葉を、評価する人のようにそのまま何か意義あること、事件であるととるなら、それは結婚が上位/有利/幸せという主流秩序がゆるがされたり否定されねばならない。

 

主流秩序を揺るがすなら、本当に価値中立なら、結婚しなくても幸せということを出して、

そのなかでの「結婚ではないなにかしらのつながり、生きるスタイル」が出されて、制度的にもカップル単位的なものをなくしていく方向があるなら、

「結婚しなくても幸せになれるこの時代」を素直に肯定することになるが、このCM は全くそうではない。

 

主流秩序を維持し、むしろ結婚するって幸せ、あなたと愛し合える奇跡=結婚というように、古臭い価値のままで、結婚制度、カップル単位システムになんら疑問を提示していない。

「あなたと結婚したい」といって、しあわせそうに微笑む。過去のゼクシィCMと何ら本質は変わりない。常見陽平さんの「事件だ。結婚押し付けうぜえ感がない」なんて全く的外れな評価だと私は思う。

「このCMが結婚しないひとを貶さず、結婚を唯一の価値として誇らなかった」ともおもわない。

 

過去のCM:参考 https://www.youtube.com/watch?v=wbnChzU4hvk

「ゼクシィ 歴代CM集 あなたは何代目が好き?加藤ローサから松井愛莉や広瀬すずなど最近のCMまで」

 

余談だが、2011年のCMで樹木希林とその夫内田裕也との、樹木「結婚のいいところってどこですかねえ」、内田「ノーコメント」というCMの方が(潜在的ではあるが)数倍毒があった。だって内田はDV夫で、浮気だらけで家には帰らず、いろんな女性から金をせびるような暴力的な人だったから。結婚制度に乗っていても、幸せじゃないよという典型。でもそこのことを知らずに、この樹・内田夫婦を美化する言説もある。ゼクシィはそっちにのってCM作ったということ。客観的には笑える。

 

 

話しを戻して、

今でも、未婚、という言葉から連想されるものは、「負け犬」であり、貧困、非モテ、変わり者、将来が不安、孤独、リア充でない などのイメージがまだまだ主流であると思う。

 

だから前半A 「結婚しなくても幸せになれるこの時代に」、 後半B「私は、あなたと結婚したいのです」をわけると、

Aは意味はなくてたんなる、Bを主張するための小道具、お飾りに過ぎない、というのがこのCMの特質だ。

 

だから「今回のCMがかなり画期的だ」、と高く評価をしてしまうのは当たらないと思う。千田さんまでその世間の評価にひっぱられすぎているように私には感じた。

男女平等なんてもう古い、女性はもう十分に強くなった というのと同じ程度の質で「結婚しなくても幸せになれるこの時代」といっているだけでしょ。

 

 

「誰の生き方も否定してないから良い」というが、主流秩序を変えないなら客観的には結婚していない人を低く評価したままだ。明白に否定はしてないが、間接的に「結婚していない人」を否定的に扱っている。

 

どう見てもこのCMは多くの人にささやいている。結婚って幸せだよーって。

 

このCMが、結婚ではないものを少しでも前に出しているか? 世界的には、多様な生き方があり家族像としても多様で、partner関係でも事実婚的なものが多様にあり、「婚」というような言葉からかなり外れているものがある。ドメスティックパートナー制度、サンボ(同棲、スメーデン)、パックス(フランス)、など。

そんな方向に少しでも目を向けさせるならわかるが、全くそれはないから、全然、主流秩序を揺るがしてない。

 

だから「間違いではない」などと変に、世間の評価にすり寄る必要は全くないと思った。それほど、これは従来の枠を超えていないものだと感じた。まったく新しくない。ラジカルでもない。社会も社会意識も変えない。だからなんか、千田さんの文章のあいまいさに違和感を持った。

 

結婚に関する主流秩序が揺らいでいるのではなく、生涯未婚率が高くなっている時代に、結婚は「したいもの」としての希少性を高めている。まだまだ多数派がが行っているから希少性は弱いが、過去に比べて相対的に希少性は上がっている。全然実態として「結婚しなくても幸せ」にはなってない。千田さんもそれは少し言うが、主張がすっきりしてない。

 

だから最後に、千田さんは、「浮気をしたらすべてを失う時代に、あなたと結婚したいのです」というのを出しているが、私はこれも主流秩序に乗っとているので、千田さんには主流秩序の観点から見て(その観点がないからともいえるが)ブレがあると思った。

 

まず浮気は今でもいっぱいあるし、男性タレントならほとんど問題にならないし、浮気したらすべてを失うというのも部分的でしかないし、其れをもって結婚を何らかの意味で価値づける必要などないと思った。

 

なんで結婚の肯定につなげるようなフレーズを考える必要があるのか。

 

そして千田さんがいうように、結婚しているものが余裕で「結婚以外のライフスタイルも否定しませんよ」というのは、まさに、異性愛者が何の現状(主流秩序)を変える運動にもかかわらずに、「同性愛とかあってもいいと思う」という程度の、意味のない言葉という面がある。この点でも、ゼクシィのCMに積極性はない。

 

それから「発言者の属性と切り離されて、検討されるべきこと」をかなり一般的には正しいことのように言うのにも私は反対だ。むしろ重点は「発言者の属性とむすびつけて、検討されるべき」と思う。

たとえば非正規労働者が「正社員の賃金は高すぎる」ということをどれほど共感を持て聞くか。当事者が「おかま」とか「障害を減らしたい」「整形したい」「外見じゃない」というのと、非当事者が言うのとでは違いがある。

 

「結婚しなくても幸せ」ということが人前で口にできるということ自体が、時には恵まれたことである場合もあるが、この事例の前に「結婚して幸せ」ということを人前で言うことの主流秩序への加担姓をまずいうべきだと思う。この点でも物事の重要さについての認識に私と違いがある。

 

そして「結婚の覚悟」という言葉を使うことにも違和感がある。これは主流秩序に即した感覚ではないか。そして結婚制度や一夫一婦制、モノガミーの自明性を見直すならば、今回のような文脈で「浮気」というような大きな問題に簡単に手を出すべきではないと思った。

 

千田さんはフェミニストであり女性学の流れをくむジェンダー研究者だが、その立場と、今回の評論にはギャップがあると思った。

 

***

というようなことを書いたが、そもそもこれを読んでいる人は、主流秩序論を理解していない人が多いだろう。私のブログや著書を十分に読んでくれている人は別だが、そもそもそんな人は日本中で砂漠の中の「一握りの砂」程度だ。

 

ということで、次のブログで、拙著の主流秩序への加担の意味が解る例を紹介しておこうと思う

予告 次のブログ

「妊活に成功して有名になる人の主流秩序への関わり」