『六龍が飛ぶ』その2 感動はなく重みだけが残る
韓国ドラマ『六龍が飛ぶ』について先日ブログに書いた。
追加の感想を書いておく。
『六龍が飛ぶ』の深さ、暗さ、複雑さ、リアルさは、日本のドラマには見られない高度なレベルだ。国民はこうした作品を通じて社会認識を深めている面があると思う。
これは見ているものがスカッとするような「ヒーローが勝つ」はなしではない。勝つのは汚い権力者なのだ。
日本でこんな話がヒットするとは思えない。リアルに暗すぎるから。
『根の深い木』のスタッフは、『根の深い木』につながるその手前の時代を描いた。
2つを合わせればその重層さは、はんぱじゃない。
ムヒュルがあのムヒュルになっていくし、ムミョンの人間がその正体を隠して権力のなかでのし上がっていくのだが長年の中で変節するものも出てくる。社会改革の理想の路線は、時代によってその意味も変えていく。
このドラマ、安易に想い合った男女が結ばれてめでたしの話にしない。
それどころか、仲間が対立し、殺し合わねばならなくなる。愛する人を失う。警告してくれと言っていたものが其の警告を受け入れない。もう子供でないという。子どものころの戯れを大事にする必要はないという。人は変わる。残念な方に。
それでもかすかに残る若いころのまだ希望があた時の残滓に少しドラマを入れていたが、骨格は政治というものへの絶望だ。
そして「根の深い木」「チャングムの近い」の脚本家も含めたスタッフは、ラストにハッピーエンドなど持ってこない。ただただ地味な、プニの生き残りの希望と、将来のイ・ドの誕生をほのめかして終わる。
「完全にいい者」が出てこないから、誰もが罪を背負っている。
日本で新選組を美化する人がいるがあれは殺人集団だった。
同じ様に、この物語の主人公たちは皆、殺人者だ。その痛々しさ。
だから「殺してくれてありがとう」といって死なないといけない。
ヨニだってひどいことをしてきたし、剣士はみな多くの人を殺した。
そこをすっ飛ばして恋愛や勝利の話にしないで、そこを引きずってその闇を見るから暗い話になた。そしてそれは現実の政治がそうだから、だ。
政治にはこの危険が付きまとう。個人的には政治から距離を取りたいというのはまっとうな生き方だと思う。だが誰かが、馬鹿な人の暴走を止める役割で、政治の舞台でも頑張らないといけない。希望がない戦いだが。
そのようなことを伝えるこのドラマ。
感動はなく、重みだけが残る。