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稲田朋美 とんでもない人物だった。安倍政権の象徴  その1 安倍政権の体質を象徴していた稲田朋美議員だった。


稲田朋美 とんでもない人物だった。安倍政権の象徴  その1 安倍政権の体質を象徴していた稲田朋美議員だった。

●稲田衛相が離任式を行ったが、自分のために人と金を使わせて最後まで反省しない人。  自らの責任には言及しなかった。 稲田氏は離任式後、儀仗(ぎじょう)隊による栄誉礼も受けた。防衛省自衛隊は、北朝鮮大陸間弾道ミサイルICBM)発射を受けて高度な警戒態勢を続けており、省内からは「稲田氏は離任式を辞退すると思った。驚きだ」(幹部)との声も出た。

●稲田は、安倍が発掘、要職歴任の厚遇した人物

 稲田氏は平成17年の衆院選に、保守派弁護士としての活躍に目をつけた当時自民党幹事長代理の安倍首相にスカウトされて、出馬した。当選後は保守系議員連盟伝統と創造の会」を立ち上げ、自ら会長に就任。定期的に靖国神社を参拝するなど、安倍首相に近い存在として注目された。 ●百人斬り訴訟」の原告弁護で一躍全国区に ネット右翼のアイドル https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20170727-00073818/ ネット右翼のアイドル”稲田朋美防衛大臣辞意~その栄枯盛衰を振り返る~ 古谷経衡 | 文筆家/著述家 7/27(木) 23:56

入閣前から圧倒的なネット上の右派クラスタ(以下ネット右翼)からの熱狂的な支持を集めた。  当時、ネット上での愛称は「ともちん」。「初の女性総理待望論」まで出るほど、彼女の見せかけの評価はうなぎ登りに上昇していった。

きっかけは2003年。弁護士であった稲田が毎日新聞朝日新聞、そして朝日新聞記者を相手どり「百人斬り訴訟」裁判の原告側代理人を務めたことである。このことを契機に、稲田の知名度は一挙にネット右翼界隈で広がった。 ・「

稲田は「百人斬り訴訟」に負けたとはいえその功績大なりとして、2005年に保守系論壇誌『正論』にデビュー。本格的に保守系言論人としての箔を付けていくことになる。    稲田の自伝的エッセイ、『私は日本を守りたい―家族、ふるさと、わが祖国』(PHP研究所、後半は櫻井よしことの対談を収録)では、保守界隈とネット右翼に共通する世界観を、稲田が見事なまでにトレースしている様と、本人の愛国心「覚醒」の経緯が、縷々本人の手で詳述されている。

じ ・憲法改正夫婦別姓反対、在日外国人排斥、生活保護不正受給批判  保守界隈に承認され、そこにぶらさがるネット右翼から熱狂的な支持を以って迎えられた稲田は、2009年に自民党が下野すると、ますます「初の女性総理大臣」としての待望論が燻るようになる。前述したように、稲田は「三十歳を過ぎるまで」東京裁判のことすら碌に知らないと、自身によって吐露しているくらいのレベルである。  

よく言えば無垢、悪く言えば無教養の稲田が、「百人斬り裁判」を契機に熱狂的な保守派・ネット右翼の支持を受け、衆議院議員になったところで「三十歳」までの無学習の「つけ」が、帳消しになるものではない。  この自身でも認める無知・無教養ぶりを土台として打ち立てられた政治家・稲田朋美の政治観は、必然的に既存の保守、ネット右翼の開陳する既定の方針をトレースすることになる。何も知らないのだから、初めて会ったものを「親」として認知するヒヨコのように、稲田の世界観は既存のネット右翼が好むものばかりに染め上げられていく。  憲法9条改正は当然肯定、靖国神社参拝は全力肯定、教育勅語廃止と教育基本法によって堕落した戦後の日本人云々、選択的夫婦別姓絶対反対、在日外国人参政権絶対反対等々を開陳し、それら全てを「戦後レジームからの脱却」「美しい国」「目指すべき道義大国」などと、安倍内閣のスローガンと直線的に結びつけた。  

 この時期、民主党政権下でフラストレーションの溜まった自民党支持ネット右翼の多くが、「子ども手当」批判の論拠を稲田の理屈に求めた。巨視的に言えば「子ども手当」は出生率向上や子を持つ貧困世帯救済を目指した再分配制度だったが、稲田は「500人を超える国外の外国人の子弟へ血税が使われると国が亡ぶ」として執拗に、支給の対象は日本国籍を持つ日本人に限ると強調した。  「子ども手当」によって救済される日本人の子供は10,000,000人(一千万)以上存在するにも関わらず、稲田はわずか500人の国外居住の外国人子息への支給を例に取って徹頭徹尾、民主党の政策を批判した。

   これがのちに、次世代の党(現日本の心を大切にする党)などが製作した粗雑なCM動画での「在日外国人=生活保護不正受給」のイメージへとつながり、そしてその外国人を「在日コリアン」に読み替えたネット右翼が、「在日特権」などと、またぞろ在日外国人=在日コリアン悪玉論の根拠の一つとして盛んに使用しだした。  そしてその理論的支柱を、社会的権威たる稲田朋美代議士の答弁に求めたのである。弁護士で衆議院議員の偉い先生が言っているのだから間違いはない、というお墨付きを、稲田はネット右翼に与え続けたのである。ゼロ年代中盤から後半にかけて燎原の炎の如く広がったヘイトスピーチ・デモの理論的責任の一端は、間違いなく稲田にある、とみてよい。

・「在特会」の理論的支柱~「カルデロン事件」と稲田朋美~  しかし稲田はこの「カルデロン事件」にも、強烈な疑義を唱えている。カルデロンのり子さんにだけ在留特別許可を出したのは違法であり、一家全員をフィリピンに強制送還させるべきである、と訴えたのである。実はこの稲田の主張と全く同じ世界観で、カルデロン一家全員」を日本から追い出せ、と怪気炎をあげた或る市民団体が居た。  2009年4月、「犯罪フィリピン人、カルデロン一家を日本から叩き出せ!」とシュプレヒコールをあげながら、のり子さんの通う埼玉県蕨市の中学校前付近をデモ行進したのは、後に国に「ヘイトスピーチ対策法」を立法させるにまで社会問題となった任意団体、「在日特権を許さない市民の会」通称「在特会」の面々であった。  在特会はこの「カルデロン一家追放デモ」を皮切りに、その批判の矛先を在日コリアンに向け、合法的に日本に滞在している特別永住者を「犯罪者」「生活保護不正受給者」などとして名指しし、「在日特権」の存在を主張、東京・大阪でデモを繰り返した。  遂にはその関連団体や別動隊が、徳島(徳島県教組襲撃事件)や京都(京都市南区朝鮮学校公園不法占拠事件に関する、朝鮮学校への示威街宣)など、多種多様な刑事事件まで引き起こす一連の騒擾の主役となったのである(詳細は安田浩一著『ネットと愛国』を参照のこと)。

 彼らの論拠は稲田と全く同じものであった。「外国人=犯罪者=在日コリアン生活保護不正受給」。稲田の作り上げたこの論法は、鶏が先か卵が先かの議論と同じで、ネット右翼が先なのか、稲田が先なのかは判然としない。  しかし、「三十歳まで東京裁判史観の事もろくに知らなかった」無垢の稲田が、彼らネット右翼の排外的な主張をトレースしたことにより、逆輸入の形で彼らに理論的支柱を提供し続けたことも、決して見逃せない事実と言えるのではないか。

・文化に無知なクールジャパン議長 「クールジャパン推進会議」は、しかし議事録を読む限りにおいては惨憺たる状態であった。  有識者として会議に招かれた民間人「識者」は、アニメや漫画のことに全く無知で、この会議は終始、出席者が辛うじて皮膚感覚として理解しうる「日本食」「日本酒」の話題にほとんどその時間を割いただけの、世紀の烏合会議と呼ぶに相応しかった。  特に議長を務めた稲田の文化に対する無知ぶりは、突出を通り越して失笑を買った。 私もあまりポップカルチャーに詳しくはありませんけれども、この間、ゴスロリ(ゴシックロリータ)のルーツは十二ひとえにあると聞きました。私の政治信条は「伝統と創造」。まさに伝統と創造がゴスロリなんだなと思った次第でございます。私も若者のそういうポップカルチャーを後押しする発信に努めていきたいと思います

 国家の文化戦略の長を司る稲田のこのような不見識は、当時、辛うじて失笑で済まされた半ばギャグのような失態であった。が、この後「防衛大臣」の重責を任されると、民進党辻元清美議員からの追及に涙ぐむ(2016年9月)。  国家国防を任された陸海空三隊のトップが、いち野党議員の質問に窮して泣き出すという不始末は、稲田の人格的欠点であるという以前に、防衛組織の長としての資質を危ぶむ声も出始めた。この事実は、民進党や辻元議員を蛇蝎の如く敵視する保守層・ネット右翼層全般にとっても、「オウンゴール」として叱咤の対象となるのは当然である。

 思えばこの「涙ぐみ」事件以降、稲田を支持してきた保守層やネット右翼界隈からも、稲田への支持は急速に色あせていったように思う。「少しの追及で涙ぐむ稲田が自衛隊のトップで、この国の防衛は本当に大丈夫なのかー」保守層ならずとも、誰しもがこのような感想を持ったであろう。  必然、同じ防衛大臣を務めた自民党時代の小池百合子(第一次安倍内閣)との比較がなされる。どう考えても、小池の方が防衛大臣としての風格は上であり、それに対して稲田は素人同然である。「辻元に(すら)負けた稲田―」。稲田に対する熱狂的な支持はこれを機に、2016年秋ごろから徐々にだが、はっきりと後退していく。

 極めつけはシンガポールの国際防衛会議で自らを「グッドルッキング(美しい容姿)」と自称するなどの奇行・奇言が目立ち始めたことだ。2017年に入ると、ゼロ年代にあれだけ保守界隈、ネット右翼界隈から「ネット右翼のアイドル」として支持されてきた稲田の権勢は衰退し、稲田は一転して嘲笑の対象になりつつあった。 そこへきて「日報」問題がとどめを刺した。稲田の辞意は、こういった稲田自身の素養の欠如の積み重ねが招いた必然である。

 「三十歳を過ぎるころまで政治や歴史に何の関心を持たなかった市井の弁護士」が、或る日、ネット右翼的世界観に「目覚め」たことにより、一挙に保守層・ネット右翼層の寵愛を受け、代議士にまでなった。無知が故に既存の右派的世界観を忠実にトレースし、またトレースするしか術を持たなかった稲田は、防衛大臣という国家国防を担う重責を、全く果たす実力がないにもかかわらず、下駄を履かされた状態で任され、そして自業自得の如く自滅するに至る。

・「ネット右翼のアイドル」から嘲笑の対象へ  保守層・ネット右翼層に好まれる自民党議員は衆参共に、少なくない数存在するが、稲田ほど脆弱なそれを、私は見たことがない。ややもすれば極端な意見として批判を受け得る発言をしたとしても、彼らの多くはそれを修正、弁解し、逆襲するだけの基礎的教養、理論体系を構築している。

 この点、稲田と同じように保守層・ネット右翼層から熱狂的に支持され、2016年の参議院全国比例区自民党から立候補し、同党二位の四十五万票余の個人票を集めた元共同通信記者の青山繁晴参議院議員とは雲泥の差であろう。政治家は言葉が命とはよく言ったものだが、その言葉を紡ぐのは教養である。無教養と無知の土台の上に築かれた言葉や態度は、その居所が高くなればなるほど不安定さが露呈し、そして崩落するのだ。