ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

弁当記録のおぞましさ―――「ウチの夫は仕事ができない」の妻をいいと思う人、思わない人

弁当記録のおぞましさ―――「ウチの夫は仕事ができない」の妻をいいと思う人、思わない人

「ウチの夫は仕事ができない」の妻が専業主婦で自立していなくて自己主張をちゃんとしなくて、へらへらしていて、でも夫に尽くして優しくて尽くしてかわいい女性として描かれ、脚本家はそれを良しとして書いている。

この妻の愛情行動には普遍的な「人へのやさしさ」もあるが、弁当作りばかりしていて、言いたいこともはっきり言わず、自分というものがないから夫に尽くすことしか生きがいがない。古臭い女ジェンダーの悲劇だが、そうは見ない人も多いだろう。

ある意味古い男の理想の妻だ。 けなげで、守ってやりたい。

しかし少しセンシティブなヒトなら「守りたい」と男が言うだけでひっかかる。だがこの脚本家は、平気で使う。フェミ/ジェンダー論の基礎的素養もない人がむしろ増えていると感じる。

それで、今どきの学生さんの中にはこれに無批判的なヒトも多いと予想できる。

この妻をいいと思う人、思わない人がいる。 弁当作りに力を注ぐということの危険性とおぞましい気配に気づかない人が多い、この「古い意味での“少女漫画”」のような「女の子の理想の愛」のようなことに無批判的な若者がいる中での、一から伝えていくという作業。

シングル単位、課題の分離、自立ということをいろいろ詰めていって、ようやく、入り口の説明が届くことがある。 こまったもんだと思う。 でもそれが現在だ。

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弁当の写真を撮ってメモも書いて記録をつけていくという作業。ブログ/インスタに書いていくということにつながる、この記録による自己確認。押しつけがましさ。承認欲求みたしたいというゆがんだ自己確認。

説明しなくてもわかってくれる人はいるが少ない。 悪い人ではないがウザい。わかるかなあ。