ソウルヨガ

主流秩序、DV,スピシン主義、フェミ、あれこれ

「“弱者”の集団的な戦い」への感性と立場

 

以下の香山 リカさんと北原 みのりさんの対談、(一部紹介だけだから不足点はあるが)まあそうおかしなことはいってないのに、コメント書き込みがひどい(いつもながら)。聞く耳を持たない「非国民は出ていけ」レベルばかり。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180225-00009760-gentosha-ent


「恋人からの過剰な束縛も性暴力だ<性暴力とフェミニズムを考える>」
2/25(日) 6:01配信

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慰安婦問題など存在しないなどといった暴論も含め、あまりにおろかな意見の人は相手にする必要はない(過剰に影響される必要はない)のだが、ネットには一部勢力が組織的意図的に左翼批判、フェミニズム批判などを載せ、それに乗せられて洗脳・動員される「一般の人」もいて、またその書き込みを見て影響を受ける人が一定いる。その相乗効果が今や安倍政権的なものを維持させている。

 

 

こういう本を含め、ネットのなかでもまともな意見を出して暴論や偏見や間違った情報を正すことが必要なことは間違いない。
またこういう状況だからこそ、一部、素直な意見には丁寧に説明して誤解を解くこともいる。

 

だが大きな流れというものもあって、なかなか難しいものもある。大衆の在り方、メディアや政治(民主主義、メディア)の在り方、インテリの在り方などの問題も絡まっているし、確かに一部の運動側の問題もある。大きくは主流秩序の問題がある。

私は「完璧でない」ことをもって社会運動を「中立主義的に批判する立場」はとらない。社会運動でも個人としての人間でも限界や問題があろうと、その意義(積極性)の側面をちゃんと見るべきと思う。時には「“弱者”の集団的な戦い」というものもある。それを強者の論理(形式的法的個人主義の水準)で、批判するような人が多いがそれはわかっていないなと思う。

 

例えばいじめられていた人(暴力被害者)の反撃の在り方、コミュニケーションの在り方は、「運動の観点」や「異文化容認、多文化共生の観点」がないとなかなか「理解、応援、共感する」ことがむつかしい。

(慰安婦問題でも学問の自由などの観点で、運動を批判するフェミニストや学者がいる)


が、なかなかそのあたりをバランスよく受け取る人が少ない。特に運動を知らない人は、分かったように批判して得意げになるから困ったものだ。感性と立場の問題(党派性)だ。


このことは無批判的に群れること、その仲間の間で相手側を一方的に攻撃することを無条件に肯定することを意味しない。自分のスタンスを持ちながら、ほかの人の在り方にも許容性を持つということが必要だ。と思う。

 

人権派の諸運動、平和運動、反基地、反原発、労働運動、リベラル、サヨクフェミニズムなどを種論としてブラッシュアップして説得力を高めたいと思うが、なかなか伝えきれていない。

 

それにしてもトランプや安倍やプーチンを求める排外主義的ナショナリズムに親和的な人々の増大(分断、戦争への熱狂)は、あらためて繰り返される歴史をおもう。

そのおかしさを主流秩序論として伝えて、自分で考えていく人、非暴力を選び取る人が増えることに微力ながら諦めずに力を注いでいきたいと思う。

 

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