ソウルヨガ

主流秩序、DV,スピシン主義、フェミ、あれこれ

日本政府が認定した日本軍「慰安婦」関係資料の範囲と境界 その2 

日本政府が認定した日本軍「慰安婦」関係資料の範囲と境界 その2 

 

 

2.  河野談話の事実認定の背景

 

 日本軍「慰安婦」問題が、浮上してきた背景には1987年の韓国民主化闘争とその後の日韓市民の取組みがある。当時は、高度成長でアジアの大国に復活した日本から韓国へ「キーセン観光」が盛んであった。その売買春ツアーに対する取り組みが韓国では「韓国教会女性連合会」が、日本では「キリスト教矯風会」などが結成した「売買春問題と取り組む会」が行っていた。

 

 1990年1月、日本軍「慰安婦」問題を調査していた尹貞玉先生が「挺身隊、魂の足跡」を韓国の日刊紙に連載し大きな反響を呼んでいた。[i]

 同年5月30日に、日本の国会で社会党竹村泰子議員が「従軍慰安婦の調査もなさいますね、官房長官」と日本政府に調査を要求し、同じく6月1日には共産党の吉岡吉典議員が、同月6日には社会党本岡昭次議員が「慰安婦」問題を取り上げて質疑を行った。

 

この6日の本岡質疑で日本政府は「民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いている」と答弁し、この無責任な答弁に、韓国では猛烈な反発が起こった。

 そして、この年の10月17日に韓国女性団体連合会など39の団体が駐韓国日本大使館を通して日本政府宛に6項目要求の公開書簡を提出した。その内容は次のとおりである。[ii]

 

 ① 韓国女性を強制連行した事実を認めること。

 ② これについて公式謝罪をすること。

 ③ 蛮行の全貌を明らかにすること。

 ④ 犠牲者たちのために慰霊碑を建てること。

 ⑤ 生存者や遺族たちに賠償すること。

 ⑥ 同じ過ちを繰り返さないために、歴史教育でこの事実を教えること。

 

この6項目要求を提出した段階では、まだ「慰安婦」被害者の出現は無かったが、その後のアジア連帯会議などをとおして「慰安婦」被害者の同意を得て共通の要求になっていった。

 1990年の公開書簡に回答していない日本政府に対し、翌1991年4月1日に本岡議員が再度国会で取り上げた。その答弁で「厚生省勤労局も国民勤労動員署も朝鮮人従軍慰安婦』といった問題には全く関与していなかった」と答弁し「政府の関与」を否定した。

 

 

 この「政府の関与」を否定した4月1日の答弁と「6項目要求の公開書簡」の返事が無いことに対し、挺身隊問題対策協議会が「公開書簡」を5月28日に日本政府に送っている。[iii]

 

 この年の8月14日に金学順さんが名乗りを上げ公開証言を行うことで事態が大きく動き出した。更に、1992年1月に吉見義明氏が、防衛庁資料室から「軍の関与」を示す文書を発見したと発表した。そして、この年の7月に、日本政府は加藤内閣官房長官発表を行いはじめて「政府の関与」を認め謝罪した。[iv]

 

だが、加藤内閣官房長官発表は「強制連行」を認めておらず、「関与」から「強制連行」へ「慰安婦」問題の焦点が移行していった。そして、日本政府は調査を継続し、1993年の河野談話の発表へと続いていく。

 河野談話が「慰安婦」被害者への強制性を認めたことに対し、日本国内の一部には、河野談話は、河野洋平氏の個人的なもので「強制連行」を勝手に認めたとの見解がある。

 

 

 例えば、安倍内閣の菅官房長官は次のように述べている「まさに強制連行を確認できない、示す資料がなかったという中で、私、先ほど申し上げましたけれども、問題なのは、その記者会見で河野当時官房長官が記者の方から聞かれて、強制連行の事実があったという認識なのかどうかと問われたときに、そういう事実があった、結構ですと述べた、ここがやはり私は大きな問題だというふうに考えております」[v]

 

 

だが、この見解は事実に反している。河野談話内閣官房と外務省の間で周到に準備されたもので、政府は河野談話の発表に当たり、36項目にわたる「想定問答(調査結果発表に関して)」を作成していた。[vi]

その想定問答の1番目に「今回の発表で強制連行の事実を認めたのか。認めたとすれば何を根拠に認めたのか。発表文に強制という文言が用いられているのは何故か」との想定質問がある。その答弁は「いわゆる従軍慰安婦問題については、各種証言集による記述、先般の韓国における証言聴取を含め、今回の調査をふまえ、総合的に判断した結果、甘言、強圧による等本人の意志に反して集められた事例が数多く存在したようだとの心証を持った次第である」と述べることになっている。

 

そして、「更に、強制性の有無について追及された場合」には、「前述のように本人の意思に反して集められたことを『強制性』と定義づけるのであれば、いわゆる従軍慰安婦の募集にあたり『強制性』が存在したケースも数多くあったことを政府として認めたと理解していただいてよい。」との答弁することになっており、まさに河野洋平氏はそのように述べていたのである。

 

当時の新聞報道でもこの想定問答の通りに記者の質問に答えていることが分かる。河野氏の見解は、個人的なものでなく日本政府が用意した想定問答に基づくものであった。

また、この想定問答には、「強制連行を示す資料はない」とは一言も書かれていない。日本政府が「政府が発見した資料の中には強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」と言い出すのは、河野談話の発表から4年後のことで、「新しい教科書をつくる会」などの歴史修正主義が登場してからである。[vii]

 

 

日本政府の「慰安婦」問題調査の姿勢は自ら事実を解明すると言うよりは、「関与」が問題になれば「関与」について調査し、「強制連行」が問題になれば「強制連行」を調査するという極めて受け身的なものであり、その場しのぎと言うか、政治的な打算のもとで行われていた。その限界が河野談話の背景として存在していたのである。

そして、本論6で後述するとおり日本政府の「慰安婦」問題の調査は、「軍の関与」を認める範囲内の調査にとどめ、「法的責任」を回避する境界内での文書の収集という限界を持つことになった。

 

 

3. 安倍内閣の「慰安婦」関係文書に関する閣議決定の限定条件と除外された文書

 

衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書(2007年3月16日閣議決定)とは、下記のものである。[viii]

お尋ねは、「強制性」の定義に関連するものであるが、慰安婦問題については、政府において、平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話(以下「官房長官談話」という。)のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。

 

 

この答弁書は5 個の条件設定のうえに成り立っている。事実はどうなのかをこの設定された条件に従って考えてみよう。

 

① 条件設定1「「同日の調査結果の発表までに」とは、河野談話が発表された1993年8月4日までに政府が発見した資料の中には無いという期間の限定の条件設定をして、河野談話の発表から2007年の安倍内閣閣議決定までの期間までに政府が発見した資料は含まないことにしているのである。

この期間に発見された文書としては、1996年12月に警察庁から内閣官房へ報告された「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(内務省警保局長通牒)などの一連の文書が存在する。この文書には、それまで禁止されていた「醜業」を目的とする女性の渡航を「現地の実情を考慮し」「黙認することとし」、渡航に必要な身分証明書を発給し、中国北部、中部に限って認めることになった極めて重要な文書である。

安倍内閣は、この期間限定条件を設定することによって、「慰安婦」の渡航を日本政府が承認し、実施することを決定した文書が有るにも関わらず無いことにしてしまったのである。

 

② 条件設定2「政府が発見した資料の中には」との管轄部署を限定する条件設定には重大なトリックが隠されている。「政府が発見した資料」とは、法務省や外務省などの政府機関が発見した資料の意味ではない。

 

この意味は、日本政府の「慰安婦」関係文書の調査を管轄している部署である内閣官房外政審議室(現在は、内閣官房副長官補室)に資料が提出されなければ「政府が発見した資料」に含まれず、各省庁に有っても政府には「無い」とする仕組みなのである。

この条件設定により、永井和教授が10年も前に発見、公表している防衛省所蔵の「野戦酒保規程改正ニ関スル件」などの文書も、「慰安婦」関係文書から排除された。[ix]

また、この条件設定により河野談話の以前に既に明らかになっており、外務省がオランダの公文書館から入手したバタビア慰安所事件の文書の存在も消滅させた。[x]

 

 バタビアの戦犯裁判関係文書だけではなく、当時法務省保有しており、その後国立公文書館に移管され、昨年2月に内閣官房副長官補室に提出された戦犯裁判関係文書の文字通り「慰安婦」被害者を軍が直接強制連行し、性奴隷の生活を強制していた記述のある「慰安所」関係文書の19簿冊の182点の文書も消滅させていたのである。[xi]

 

 

③ 条件設定3「軍や官憲による」という行為主体限定条件である。数多くの朝鮮人被害者は、「騙されて連れて行かれた」と口々に述べており、多くの場合その実行者は、軍の依頼を請けた紹介業者であった。この軍から要請を受けた募集人は、「職業紹介業者」ではなく「紹介業者」であったと考えられる。「職業紹介業者」は、労務動員に関係する者たちであり、「紹介業者」は性風俗の紹介業者のことである。その取締法令も別々であった。

 

この紹介業者が行った、「慰安婦」被害女性に対する募集、連行方法は当時においても違法なものであった。この違法行為を記述する文書は、「大陪審判決書」、「各種証言集による記述」など多く有るにも関わらず無いことにしたのである。

 

④ 条件設定4「いわゆる強制連行を直接示すような記述」という表現限定条件により、「強制連行」を物語る様々な文書に記述されている強制連行の実態が評価されず、実態が有るにも関わらず「強制連行」という文言のみの文言限定条件で「文書」を無いものにしたのである。

 

⑤ 条件設定5「見当たらなかったところである」との表現により事実を混同させている。「見当たらない」ことと「存在」しないことは別である。

エピソードになるが、日本軍が「慰安所」を計画、実施した基本法令である「野戦酒保規程改正ニ関スル件」が内閣官房に送られていないことについて、河野談話の当時、防衛庁戦史資料室で「慰安婦」関係文書を調査して内閣官房に送る仕事をしていた人物に、私は質問したことがある。その人は、この文書は、基本中の基本の文書で、もしこの野戦酒保規程改正が無ければ、軍は「慰安所」の設置ができなかったと述べながら、何故送らなかったのかの答えは「見落としたんだなと」というものであった。

 

 この答弁書を出した第一次安倍内閣は、その半年後の政権を投げ出してしまった。再び、安倍晋三氏が政権の座に就いたのは、それから5年後の2012年12月であった。そして、この第二次安倍政権の誕生以降、第一次安倍内閣の「答弁書」が「政府の基本的立場」にまでなっていくのである。

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

[i] 『20年間の水曜日』(日本語版 2011年 東方出版)、113頁

[ii] 『よくわかる韓国の「慰安婦」問題』(日本語版 2002年1月 韓国挺身隊研究所著)

[iii] 『売買春問題と取り組む会ニュース 合本』(1991年7月5日号) 出典wam ホームページ 所蔵資料の紹介 。  http://img.wan.or.jp/document/web/images/uploads/_3322187871054d43c9891e48c2500395c0b276.pdf#search=%27%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6+%E6%B5%B7%E9%83%A8+%E5%85%AC%E9%96%8B%E6%9B%B8%E7%B0%A1%27

[iv] 日本外務省のホームページ http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html

[v] 日本の国会会議録 第187国会-参議院-内閣委員会-3号 2014年10月21日 山下芳生議員質疑

[vi] 日本外務省中国課の保有 情報公開請求番号「2014-00023」の「79番」の文書名「想定問答」

[vii]日本の国会会議録 第140国会-参議院-予算委員会8号 1997年9年3月12日 平林答弁

[viii] 日本外務省のホームページ http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/rp/page24_000308.html

[ix] 永井和の日記  http://ianhu.g.hatena.ne.jp/nagaikazu/20070626 

 アジア歴史資料センター 「野戦酒保規程改正に関する件」、レファレンスコードC01001469500 

[x] 『日本軍「慰安婦」関係資料21選』95頁~116頁 (2015年6月発行、日本軍)慰安婦」問題解決全国

行動作成)

[xi]国立公文書館から内閣官房副長官補室が本年入手した「慰安婦」関係文書に関する質問主意書」と答

弁書、第193回国会 質問主意書参議院第164号、2017年6月27日答弁書閣議決定

http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/193/syuh/s193164.htm