ソウルヨガ

主流秩序、DV,スピシン主義、フェミ、あれこれ

小島慶子さんの気合のこもった文章

 

主流秩序、ジェンダー秩序、美の秩序にどうむかうかと投げかけをしている授業をしているなか、それに真正面から答えている小島慶子さんの文章があったので、紹介しておきます。
《たましい》を感じるいい文章です。


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180507-38032507-nkdualz-life

小島慶子 この社会で、女でいるということの難儀
5/7(月)

 


 吹き荒れるセクハラスキャンダルの嵐のあおりをくって、家庭の中にも隙間風が吹いていないだろうか。何気なく言った一言に妻や娘が「それ、セクハラだよ!」なんて反応するようになって、窮屈な思いをしている男性もいるだろう。でも靴と同じで、最初はきついけどそのうち慣れる。慣れてしまえば歩くのになんの苦もなくなるのだから、「#MeToo 反対!」とか、不毛な行動に出ないでほしい。

 

 

●息子になんてことしてくれるんだ!

 


 以前、こんなことがあった。次男が小学生だったころ、仲のいい女の子ができた。クラスで公認のカップルだ。集合写真を見せながら次男がそのことを夫に告げると、夫はこう言った。


 「そうか、さすがだなあ。その子はクラスで一番可愛いと、パパは最初に写真を見たときから思っていたんだよ」


 次男はキョトンとしている。私はサイレンを鳴らしながら全速力で出動し、すぐさま警告した。
 「ちょっと!なんで息子のガールフレンドについての最初のコメントが外見についてなのよ? 集合写真見てどの子が可愛いか品定めするのは最悪だからやめてくれない?」

 

 夫は、息子のモテぶりを褒めたのに何がいけないの? と心外そうだ。
 緊急出動の理由はこうだ。夫の言葉には、“一番モテそうな女子をゲットする男が偉い”という価値観が滲んでいる。その前提になっているのは“一番可愛い子が一番価値がある”という思い込みだ。写真を見て、女子の容貌をすぐさまチェックし、ははあ、定めしこの子がクラスのアイドルだな、などと値踏みしていたとは実に浅ましい。

 

 

 まあ、目は意識よりも先に動くから、顔立ちの整った子に目が行くのは仕方ないとしても、それをもってクラスの女子を格付けし、あろうことか、彼女ができた息子を祝福するときに「一番可愛い女子をゲットするなんてお前さすがだな」的なコメントをするのは愚の骨頂。大事な息子にいきなりルッキズムとセクシズムを仕込むとは、なんてことしてくれるんだアホ。

 

 

 私の怒りは、しかし伝わらない。夫に限らず、こういうときの大抵の男性の反応は「なんで褒めたのに怒るの?」なのである。
異常に見た目に敏感な環境
 母親のけんまくを前に事態を飲み込めずにいる次男に、彼女のどんなところが好きかを尋ねると、答えは「面白いところ」だった。見た目だってもちろん人を好きになるときの要素の一つだが、面白さに惹かれるのは脳みそに惹かれるということだから、息子にはぜひそちらの文脈で恋愛を語れる人になってほしいと思う。誰かの恋人を褒めるときにも「クラスで一番可愛いね」じゃない言い方をできるようになってほしい。

 

 

 以前この連載でも書いたが、女性でも自分の娘の見た目を貶めるようなことを言う人がいる。「うちの子ブスでしょ、だからうんと勉強させて自立させなきゃ」とか。そう言っている母親がどちらかと言うと美人の部類に入るときの凄まじさと言ったらない。そして「うちの子イケメンじゃないでしょ。だからうんと勉強させなきゃ」とは言わないのである。

 

 

 ある女性は、息子に「とにかくリレーの選手になりなさい」と異常なまでにプレッシャーをかけていた。理由を尋ねたら、足が速いとモテるし、自信につながるからと力説された。いや、息子に刻まれるのは「足が早くないと女性に認めてもらえない」という恐怖だろう。

 人は何をもって評価されるのかという価値基準は、親との何気ない会話の中で刷り込まれる。今思えば、私の育った家庭の人々は異常に見た目に敏感であった。そしてそれはいつも私を怯えさせた。

 

 

 幼稚園の年少の時に描いた運動会の絵が上出来だったので、園の展覧会で母に見てもらうのを楽しみにしていた。園児がくす玉割りだったか玉入れだかをしているシーンを描いたもので、背景には応援している両親も描かれている。構図も細部もよく描けており、先生に褒められた。しかし母の第一声は「やだ、ママはこんなにクルクルパーマじゃないわよ」であった。そこじゃねえよ、という思いと、申し訳ないという思いで言葉もなかった。

 爾来40年あまり、母は一貫している。孫とのテレビ電話でも、画面に映った自分の容姿をやたら気にする。孫の話よりも、孫の服装や髪型に気を取られる。娘に対しても褒め言葉は大抵見た目のことだ。服が良かった髪型が良かったメイクが良かった……。逆もまた然り。そして割れ鍋に綴じ蓋と言おうか、父もまた外見にコメントすることが多い人である。成長期の子供にしつこく「どうしてそんなにひょろひょろ痩せているんだ」とか、思春期の娘に「随分腕にたくさん毛が生えているな」とか平気で言う。

 


そしてやはり誰も気にしていないのに、自分の見てくれを卑下したり気にしたりが忙しい。姉もまた妹に対して「あんたは腿の間に隙間があるからモデルにはなれない」とか(私はなりたいとは一言も言っていない)、「顔が大きい」とか執拗に言い続ける人だった。

 

 

 多分彼らは皆、幼少期に容姿についてあれこれ言われることが多かったのではないかと思う。そして、内面についての賞賛を浴びた経験が少なかったのではないか。だから外見以外に人を評価する基準を持たなかったのだろう。

 

 

 母はいわゆる美人の部類であったが、それを理由にいじめられたと本人は語っていた。父は目鼻立ちが女の子のようだとからかわれたらしい。姉は見た目コンシャスな両親に育てられたのでそうならざるを得なかったのだろう。私はそんな3人の元に最後に生まれてきたものだから、頼んでもいないのに毎日のように見た目についてのコメントを浴びせられて育った。その結果、自意識過剰で人と接するのが怖くてたまらない子どもになった。そりゃそうだよ、気を抜くと何を言われるかわからないし、いつも大抵どこかがみっともないと笑われるに決まっているのだから。

 

 

 そういうものから自由になりたくて、高校時代は随分勉強した。でも私の学力とやる気は勉強だけで身を立てられるほど高くはなかった。ずるっと付属の大学に上がり、就職が見えてきたときに、当時王道だった「数年働いて寿退社」が自分に可能かを考えたら、稼ぎのいい男を奪い合う恋の野戦場で勝ち残れる自信がなかった。だから経済的に自立しようと考え、しかし成績は至って平凡で、90年代前半にそんな私が狙える総合職と言ったらマスコミ、しかも面接重視のアナウンサーしかなかった。

 


見た目から逃れるために、見た目が選考基準の仕事を目指したのだから皮肉としか言いようがない。でもそうやって世間から「美人アナ」と認められたら、見た目を気にしなくても良くなるかもしれないと考えたのだ。なんとおめでたい子どもだったのだろう。
今は女性が見てきた地獄に付き合ってほしい


 当然だが、その仕事は私をさらに苛烈に追い詰めることになった。今まで以上に人に見た目をあれこれ言われ、しかもそれが「好きで人前に出ているのだから何を言われても仕方がない」という容赦ない空気の中で行われた。心底おじさんになりたかった。同じことを言ったりやったりしても、私が若い女じゃなくておじさんだったら、ブスとかデカいとか生意気とか、言われずに済むだろうと思った。

 

 けれど「若くて多少は見た目のいい女子」であることによって、同年代の男性に比べて、はるかに優遇されたのも事実だった。同じ待遇で雇われているにもかかわらず、評価の基準は男女で全然違った。若いうちは断然、女が有利だった。ただ若い女であるというだけで。

 

 

 人は見た目で評価されるという恐怖に加えて、女は女であるというだけで生鮮品のように値がつけられることを知って、私はつくづく生きるのをやめたくなった。15年にも及んだ摂食障害はそうしたしんどさから逃れるための自傷行為だったし、その後の不安障害は、結婚して唯一の理解者だと思っていた夫がやはり女性の性をモノのように扱うことに抵抗のない人物だと知ったことがきっかけだった。女であることは、どうしてこうも絶望と隣り合わせなのか。

 

 

 で、はじめに戻る。もしもあなたの妻がここ最近急にセクハラに敏感になり、ちょっとした言葉の端々にも目くじらを立てるようになったのなら、影響されやすい女だなどと侮ってはいけない。この社会で女をやるということは、セクシズムやルッキズムやエイジズムにさらされ続けることであり、長年蓄積された悔しさがあるのだ。まして男性が多数派を占める職場で働いてきた女たちには、その価値観に適応せざるを得なかった「汚れちまったあたし」の負い目がある。幾重にも引き裂かれ、憎むべき価値観に同化することでしか生き残れなかった女たちの怨嗟が、今ようやく言葉を得て表出しようとしている。

 

 

 ふとした一言にキッとなるときの妻は、あなたの発言に、過去に出会った男たちの片鱗を感じている。夫は、復讐のための憑座(よりまし)である。あのとき、あいつに言ってやりたかったことや、ずっとため込んできた思いをぶつけるために、妻はあなたに「男」を降ろしているのである。

 

 

 とんだ濡れ衣だよと思うかもしれない。実際難儀なことだろう。でも、話を聞いてみてほしい。彼女が見てきた風景を、今もその目に映っているこの世の有様を、あなたは知らない。もちろん男には男のつらさがあろう、それを軽んじるつもりは毛頭ない。だから、今は女性の見てきた地獄にじっくり付き合ってほしいのだ。

 

 

 そして想像してほしい。この社会で、女をやるってことの負荷の高さを。もしも娘がいるのなら、それを彼女にも強いたいだろうか? 答えがNOなら、今まで「そんなことくらい」「そういうものでしょ」で済まされてきた、女性への敬意を欠いたあしらいに対して「それはおかしい。もうやめよう」と、どうか一緒に言ってほしい。半径2メートルから、世界を変えることはできるのだから。
 
以上