恥を知る
忙しいので、つれづれとみじかく。
●裏口入学でのバカ息子の発言
受託収賄容疑で逮捕された文科省前科学技術・学術政策局長の佐野太容疑者の息子、佐野貴徳がSNSで試験前に、「俺ら間違いなく日本で一番幸せな浪人生だわ、受験やめよっかな」(昨年11月9日)、「センター16日前なのに俺セブ島で何してんだっていうね」(同年12月28日)と書いていた。
親は不正入学をさせた点でもばかだが、子どもにそれを伝えている点でもっとお馬鹿で、そしてそれを恥とも思わず、聴いて喜び、SNSにこのように書くことが、息子の価値観を示している。
この問題は、いまの若者の中にも、「コネで入社できるならいい」というように、うらやましがるものの、コネそのものが不正である、恥ずかし生き方だという意識がないこととつながっている。
さらには、主流秩序に従属すればいいという意識そのものだということ。
韓国の「ラブリーアラン」というドラマで、法曹にかかわる真面目な父親が就職できない息子のために金を渡して就職させるところがあるが、それを息子に隠していたし、息子もそれを知って怒る。『不正に対する恥が残っている』ということ。
文科省官僚親子にはそれがない。
●イージスショア
国家予算が厳しいといって障がい者を殺せというやつがいて、また杉田水脈議員がLGBTも生産性がないから税金を特段使う必要はないという。ところがその使われている金額というのは、雀の涙。
一方、オスプレイ1基で維持費なども入れると150億円から200億円と言われている中、さらに、イージス艦1700億円、イージスショアは2つで、6000億円と言われている。そこに入れるミサイル1発で40億円という。
40億円があればどれだけ有用な政策ができることか。LGBTに使われている税金などミサイル1発の100分の一にもみたない。
こんな軍事大国化を進める安倍政権を支持する人はおろかというしかない。
そして杉田水脈をやめさせない安倍首相の責任を追及しないといけない。
●沖縄差別
知事がついに、最後の切り札を出して闘っている。
沖縄県の翁長雄志知事が、名護市辺野古の新基地建設阻止に向け、埋め立て承認の「撤回」を表明した。
これについて、日本本土の多くの人が無関心で、酷いことをする安倍政権、自民党を支持しているということにあきれる。沖縄差別するひどい安倍政権・自民党に投票している人は、沖縄差別加担者だ。おろかである。自分の責任を考えない。沖縄の人からすれば、なんて冷たい人たちだろう、と見えるだろう。
●LGBT差別が分からない人びと
杉田議員が昔から根っからの差別主義者であるのは自明なのだが、それを国会議員として当選させた安倍首相、自民党を批判しないのがおかしい。
今回の寄稿論文だけの問題じゃない。また、この問題を論じるときに、野党とか国会前に集まって反対・議員辞職を求める活動をしている人を、またまた揶揄する意見も散見される。ひどすぎる。「野党はこれを政争に使うな」「相手にするな」と言って野党批判するのは自分が主流秩序に加担していることに無自覚で、セクマイへの差別もわかっていない人の態度だ。杉田議員と同レベルの現状認識だ。
社会的に抑圧された小数者が戦うときに、「やりすぎだ」「被害者至上主義だ」「やり方がおかしい」「話し合って賛同を得るべきだ」「政権批判につなげるのがだめ」というのは決まりきった反応で、主流秩序に従属した姿勢そのものだ。
今の日本社会ではこれがよくある。これは抵抗運動をきらい、野党を嫌う心情ということで最近、少し似たことが指摘されている。与党の問題があるときに野党を必ず批判し、中立を気取る、抵抗ばかりするな、と事実上、政権側と同じスタンスをとる人が多いという問題。
そんな中、そういう人に嫌われないようにまたまた「反対側の人」にも寄り添おうという人もいる。よほど説得力があり、実際の変革につなげられるならありだが、実はそれはとてもむつかしい。
そんなことをいっている人は、実は何もしていない。たんに位自己保身で、体制側、主流秩序の側についているだけ。
そんな中、そうした傾向にひるまず、おかしいものはおかしいといっていく人に私は連帯したい。「空気読めない、古いスタイルだ」「反対ばかりだ」と言われても、気にせずに、ちゃんと言っていくこと、具体的にDvやセクハラや解雇やいじめや差別に対処していくこととのほうを応援したいし自分もそこに立ちたい。右翼にののしられる側のデモの中にいたい。
そこにいないものが中立を気取て、野党批判をしている。愚かしいというしかない。
そして自分は、主流秩序の上位にいる。
この問題を扱った主流秩序論の提起に、じょじょにではあるが、理解を示してくれる人が増えている。
いつか、私の主流秩序論には、稚拙な指摘だが重要なものが入っていることがわかる人が増えていくだろうと思う。其れには、シングル単位論と同じく、少し時間がかかるだろう。あまりに根本的だから。
でもいまをいきている、あなたや私は、今を生きていくしかない。
だから今のこの安倍政権の傍若無人ぶりに、憤りつつも無力感を感じているような人、このブログを読んでいる人に、伝えたい。
貴方や私のような気持ちの人はかなり多くいる。かならず、時代が進めば、安倍政権のひどさは指摘されるだろう。それは安倍だけの問題でなく、それに同調する、多くの「主流秩序に従属する人の在り方」のおかしさが白日の下にさらされるだろう。そして、そんなへんな時代があったんだなあと、不思議がられるだろう。
Nazis体制が批判されたように。
またタバコが飛行機の中でも吸われた時代があったように。
だからこそ、私たちは今、Nazis体制のなかでもそれに従わずにちゃんと生きた人のように、生きていきましょう。
今からでもできることはあります。身近なところで主流秩序に加担しない道はあります。
そういう視点で、「間接的介入」の話を主流秩序論でいっているのです。