ソウルヨガ

主流秩序、DV,スピシン主義、フェミ、あれこれ

『僕たちは希望という名の列車に乗った』

『僕たちは希望という名の列車に乗った』

 

いい映画だった。

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自己保身で、主流秩序に加担するのか。自分のために仲間の名を言うのか。
それとも、自分が不利になっても、誰かを下に蹴り落とすことをしないのか。親は普通の安定した生活を望む。自分が助かるために誰か一人を犠牲にしないかという誘惑もある。
その問題を、全体主義的な国家の圧力と絡めた映画。

当時の社会主義国にとって力で押さえつけるソ連の支配から逃れるというのは、かなり命がけレベルの話だった。


だから
以下の映画紹介のような「たんなる、純粋な哀悼の意をしめしただけなのに」「無意識のうちに政治的タブーを犯した」という話ではないと思った。

若いおろかさはあったが、それだけならあのような展開にはならない。「すぐにあやまっておわり」のはず。
そうではなく危険になっても政治に関心を持つという生き方を選んだのだ。

 

なお、これを「社会主義国のだめさ」の話だけととらえるのはあまりに自分が見えていない愚かな見方と思う。


之は今の日本で安倍支持してヘイトしたり、何でも異論を排除しようとする、日本社会そのものだ。そのなかで、勇気をもって異論を言うか、仲間を売らないかという主流秩序の問題そのものだ。


映画紹介


ベルリンの壁建設前夜の東ドイツを舞台に、無意識のうちに政治的タブーを犯してしまった高校生たちに突きつけられる過酷な現実を、実話をもとに映画化した青春ドラマ。1956年、東ドイツの高校に通うテオとクルトは、西ベルリンの映画館でハンガリーの民衆蜂起を伝えるニュース映像を見る。自由を求めるハンガリー市民に共感した2人は純粋な哀悼の心から、クラスメイトに呼びかけて2分間の黙祷をするが、ソ連の影響下に置かれた東ドイツでは社会主義国家への反逆とみなされてしまう。人民教育相から1週間以内に首謀者を明らかにするよう宣告された生徒たちは、仲間を密告してエリートとしての道を歩むのか、信念を貫いて大学進学を諦めるのか、人生を左右する重大な選択を迫られる。監督・脚本は「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」のラース・クラウメ。
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