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憲法私物化、口先うそつき  それでも安倍は強行する

 

 

安倍政権は法案を強行突破させるでしょう。安倍を支持した人がバカだからです。安倍政権が強行した後,何が起こるかです。大したことは起こらないでしょう。

安倍はいつか退陣に追い込まれますが、その前にこの法案をとおせればいいのです。

今の主流秩序の状況を見れば、暗黒社会へ当面進むでしょう。

その中から異論を唱える主体が出てくるしかありません。まずは自分から。

 

以下の中では次の言葉が特に大事です。

「安倍首相は『あれもしない、これもしない』と答弁するが、それは彼が今、そのつもりであるというだけで明日になって、来年になって彼が考えを変えればそれまでの話であって、歯止めは存在しない」と指摘する。」

 

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特集ワイド:これはもはや憲法私物化?

毎日新聞 2015年06月15日 東京夕刊

 「憲法は、国の最高法規」のはず。ところが憲法を軽んじるかのような発言が、安全保障関連法案を巡る国会審議などで安倍晋三内閣の閣僚や自民党幹部から相次いでいる。憲法を政治家の“ご都合主義”で解釈されてしまっていいのか。【小国綾子、小林祥晃

 

 ◇9条2項 陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない

 やはり、この人の怒りは収まっていなかった。憲法学の重鎮、慶応大の小林節名誉教授だ。「憲法軽視発言は、安倍政権が独裁化している証拠です!」と声に力を込める。まず問題にしたのが、5日の自民党役員連絡会で飛び出した高村正彦副総裁の発言。

憲法学者はどうしても9条2項の字面に拘泥するが……」という内容だ。憲法学者3人が4日の衆院憲法審査会で安保法制を「違憲」とする見解を表明したのを受けたもので、審査会では小林氏も参考人として意見を述べた。

 

 いわば売られたケンカ。小林氏はこう反論する。「憲法学者が法律の『字面に拘泥』するのは当然です。言葉にこだわる学者を煩わしいと思うなら、それは政治家の慢心。人治国家と法治国家を、あるいは独裁国家と民主国家を分けるのは、約束を言葉にまとめた法律です。『字面』をないがしろにすれば、その先にあるのは独裁政治です」

 

 小林氏の怒りの火に油を注ぐかのように、さらに高村氏が「学者の言う通りにしていたら、自衛隊日米安全保障条約もない。平和と安全が保たれたか極めて疑わしい」と憲法学者を批判した。小林氏は「事実誤認だ。1950年、自衛隊の前身の警察予備隊ができた当時も『憲法自衛権を認めており、警察予備隊憲法上認められる』という憲法学者はいました」と説明する。

 

 最もとんでもない発言と小林氏が憤るのが、5日の衆院平和安全法制特別委員会での中谷元(げん)防衛相の「現在の憲法をいかにこの法案に適応させていけばいいのかという議論を踏まえて(集団的自衛権行使容認の)閣議決定を行った」という答弁だ。

中谷氏自身、自著「右でも左でもない政治」(2007年)で「これ以上、解釈の幅を広げてしまうと(略)憲法の信頼性が問われる」と記した。13年には雑誌の対談で憲法解釈変更による行使容認はすべきでないと発言していたはずだが−−。

 

 ◇98条1項 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない

 ここで、改めて憲法を確認しよう。憲法98条1項は<この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又(また)は一部は、その効力を有しない>とある。

つまり「法律が憲法に適合するか」と考えるのが当然だ。中谷氏もさすがに10日の同委で「趣旨を正確に伝えられなかった」と発言を撤回した。

 

 小林氏は「立憲主義を何と考えているのか。まさに憲法を軽んじる失言で、語るに落ちたと思いました。『綸言(りんげん)汗のごとし』の格言通り、責任ある者の一旦発した言葉は簡単に取り消したり訂正したりはできない。このような人物が防衛相の要職にあること自体問題です」。中谷氏に「レッドカード」を突きつける。

 

 菅義偉官房長官も問題発言の当事者だ。憲法審査会で憲法学者から「違憲」の見解を示されると「合憲だとする憲法学者はたくさんいる」と発言したのだ。ところが、10日の同委で野党から具体的な名前を問われた際は3人しか列挙できず「数の問題ではない憲法の番人は最高裁であって学者ではない」などと述べた。

 

 小林氏は「ご都合主義」と怒る。「昨夏、集団的自衛権行使の容認を閣議決定した時、政府は、今回、合憲とする学者として名前を挙げられた3人のうちの一人、西修・駒沢大名誉教授らがメンバーになった安保法制懇で識者の意見を聞いて決定した、と国民に説明しました。

ところが、学者に違憲と指摘されると『憲法の番人は学者ではない』と反論する。都合の良い学者の意見しか聞けない姿勢は問題です」

 

 他の学者はどう受け止めているのか。首都大学東京大学院の木村草太准教授は「圧倒的多数の憲法学者が安保法制を『違憲』と考えている。政府が法案の合憲性に本当に自信があるなら、違憲論者を納得させるぐらい、明確に説明すべきだ」と語る。

 さらに「あいまいで具体性を欠く閣僚答弁に、憲法や法の理念をないがしろにしている姿勢がうかがえます。『法の支配』の理念に反しています」と批判する。

 

 「野党議員が『こういう場合は武力行使するのか』と質問しても、答弁に立った閣僚は『行う』『行わない』と明言せず、武力行使ができる範囲をあいまいにしています。一連の答弁は、安保法制の今後の運用を決定づける重要な解釈であるべきなのに」。国民が一連の答弁を認めてしまうことに潜む危険性も説く。「将来、時の政権がいかようにも法を乱用できる道を開くことになるのです

 

国会議員の定数是正問題でも自民党憲法を軽んじている。最高裁は昨年11月、格差が最大4・77倍だった13年参院選について「違憲状態」と認定。しかし参院選を来年に控えた今もなお、選挙制度改革は進んでいない。「1票の格差」是正を訴え、各地で国政選挙の無効訴訟を起こしている弁護士の伊藤真さんは「官房長官が『憲法の番人は最高裁』というなら、まず1票の格差の問題に真摯(しんし)に取り組むべきです」と主張する。

 

 「都合の良い時だけ最高裁を持ち上げ、都合の悪い時は最高裁の意思を無視する。これでは二枚舌。最高裁判断の軽視は、憲法の軽視と同じ。そして学者、有識者はいわば国民の代表です。自民党が学者らを軽視するのは国民軽視にほかならない

 

 ◇99条 天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ

 なぜ、憲法憲法学者を軽んじる発言がとまらないのか。ジャーナリストの鈴木哲夫さんは「根っこは昨夏の『解釈改憲』。そこでボタンを掛け違えたから、つじつま合わせのために無理な答弁を強いられ、憲法軽視発言につながっている」と説明する。

 「『安倍1強』状態で、党内でまともな議論にならない。数の力にあぐらをかき、安保法制の勉強会一つない。地元で安保法制についてまともに説明できない1、2年生議員も山ほどいる。閣僚らの憲法軽視発言の背景に、自民党の組織のゆるみが見て取れる」と問題を指摘する。

 党幹部の中には「どうせ数で決まる。下手に反対して安倍首相の恨みを買い、9月の総裁選後の新体制人事で干されるより黙っていた方が得」と漏らす者もいるという。国の将来より自分のポストが大事というわけなのか。

もう一度、憲法99条を読んだ。国務大臣国会議員らはこの憲法を尊重し擁護する義務がある、と定めている。自民党憲法を「私物化」するのは許されない。

 

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▽安保関連法案:長谷部と小林両氏、政府・与党を厳しく批判

http://mainichi.jp/m/?LsHjIJ

 

▽安保関連法案:「国民を愚弄」「珍妙な引用」 長谷部・小林両氏の与党批判詳報

http://mainichi.jp/m/?lYOd7z

2015年06月15日

 

憲法と安全保障法制について記者会見する小林節・慶応大名誉教授(右)と長谷部恭男・早稲田大大学院教授=東京都千代田区の日本記者クラブで2015年6月15日午後3時32分、猪飼健史撮影

 

 6月4日の衆院憲法審査会で、自民党が推薦した長谷部恭男・早稲田大大学院教授ら憲法学者3人が集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案を「憲法違反」と明言した。その後、自民党幹部からは「憲法学者はどうしても(憲法)9条2項の字面に拘泥する」「学者の言う通りにしていたら、自衛隊日米安全保障条約もない。平和と安全が保たれたか極めて疑わしい」といった発言が飛び出し、安保法案を巡る議論は加熱している。憲法審査会で参考人として意見を述べた長谷部氏と小林節・慶応大名誉教授が15日、日本記者クラブで会見を開いた。「違憲」を主張する両氏は果たして「現実を知らない」学者なのか。その発言の真意に迫った。【石戸諭/デジタル報道センター】

 

 ◇「自民党の政治家は『憲法とは何か』という話に納得してくれない」

 会見は小林氏の「自民党の政治家はいまだに憲法とは何かという話に納得してくれない」という嘆きから始まった。「憲法は主権者が権力担当者、政治家、公務員に課した制約」(小林氏)。これは立憲主義と呼ばれる考え方だ。長谷部氏は「世の中には多様で、衝突しあう価値観がある。それでも公平な形で社会生活を送るための枠組みをつくるという考えだ」と補足する。

 

 「自民党の勉強会に行くと、毎回『どうして憲法は政治家だけを対象にしているのか』という話になり、そのうち『国民が守らなくていいのか』という話になり、『権力者も一般国民も守る』ものだとなり、(国民が政府に)協力するという話が入ってくる。憲法はそんなものではない」。小林氏はそう語気を強めた。

 

 ◇安保法制「違憲」の理由

 安保法制はなぜ「違憲」なのか。「9条の法意は『専守防衛』。9条は侵略戦争を放棄し、交戦権も認めていない。しかし、自衛は認めており、だから腕力の大きな第2警察としての自衛隊がある。他国を防衛するために海外派兵する集団的自衛権国際法上、保持していても、憲法の制約があり行使できない」(小林氏)

 

 「違憲」発言でメディア露出が急増した長谷部氏は「合憲性を基礎づけようとしている論理が破綻している。自衛隊の活動範囲の法的安定性を揺るがしている」とこれまでの主張と同様、厳しく批判する。

憲法9条の下、行使が許されるのは個別的自衛権の行使。すなわち『日本に対する外国からの直接の武力攻撃によって、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険が切迫している場合』。これが従来の政府の憲法解釈。集団的自衛権行使は典型的な違憲行為だ。憲法9条を改正することなくありえない、と繰り返し政府によって表明されてきた。

 

自国防衛の個別自衛権の行使の論理、他国防衛の集団的自衛権行使の論理は本質を異にする。前者のみ容認されるという論理が、後者容認のための論理にはならない。

安倍首相は『あれもしない、これもしない』と答弁するが、それは彼が今、そのつもりであるというだけで明日になって、来年になって彼が考えを変えればそれまでの話であって、歯止めは存在しない」と指摘する。

 

◇政府・与党の反論 「国民を愚弄」(長谷部氏)「珍妙な引用」(小林氏)

 こうした批判に対し、政府や、高村正彦副総裁ら自民党幹部が持ち出すのは1959年の砂川事件最高裁判決を根拠にした集団的自衛権「合憲」論だ。砂川事件では駐留米軍が憲法9条の「戦力」に該当するか否かが問われた。

 

最高裁判決は該当しないと判断し、1審判決を破棄して差し戻した。安保条約そのものについては憲法判断を避け「内閣や国会の高度の政治的、自由裁量的判断」(統治行為論)とするにとどめている。政府・与党は同判決にある「自国の平和と安全を維持し、存立を全うするために必要な自衛の措置」は集団的自衛権と個別的自衛権を区別していないとし、集団的自衛権は「合憲」としている。

さらに「安全保障政策のような高度に政治的な問題については、国会と内閣に委ねると最高裁は言っている」(高村副総裁)という主張も展開している。

 

 小林氏は統治行為論の専門家。「(統治行為論は)選挙で選ばれた国会議員、選出された内閣、閣僚に一時的に判断を委ねると言っているだけで、最終的に委ねるとは言っていない。最終的には主権者たる国民が決めると言っている。高村副総裁のような解釈は初めて聞いた司法制度は問われたことしか答えられない。砂川判決で問われたのは在日米軍の合憲性であって、日本の集団的自衛権はどこにも問われていない。(政府・与党は最高裁判決を)フルテキスト読んだような引用をしていない。珍妙な引用だ」という。

 

長谷部氏も同調する。「政府が引用する段落は『憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではない』という結論で締めくくられている。その結論を導くために最高裁は日本には自衛権があると指摘するにとどまる。それだけだ」。

 

 長谷部氏はさらに批判を強める。「例えるなら、妻と自動車で出かけようとした際、夫が車のキーを忘れたことに気がつき、妻に『キーを忘れた。取ってきてくれ』と頼んだとします。妻が家の中にあるありとあらゆる鍵をすべて持ってきた時、夫は『僕の言葉通りに何ら区別することなくすべての鍵を持ってきてくれてありがとう』と感謝するだろうか。自民党が言っているのはそれと同じ。国民を愚弄(ぐろう)していると思う。最高裁が判断を示していないからといって『違憲』の法律を作っていいものではない。わらにもすがる思いで砂川判決を持ち出してきたかもしれないが、わらは、しょせんわら」

 

自衛隊は「合憲」

 両氏は「自衛隊そのものが違憲」だとして安保法案に反対しているわけではない。そもそも自衛隊合憲論者だ。

「30歳から大学教員を務めてきたが、そのときから自衛隊合憲説をとってきた。国家には自然権としての自衛権があり、憲法9条は侵略戦争は放棄しているというもの。

自衛隊合憲説は学会でそんなに少なくない。国連による国際安全保障に参加することは否定しない」(小林氏)。長谷部氏の立場はこうだ。「自衛隊は合憲であると考えている。立憲主義と絶対平和主義という9条解釈は両立しないと考えている。絶対平和主義で国民の生命・安全を保障することはできない。絶対平和主義という価値観を憲法に読み込むのは特定の価値観の強制である。そもそも学者の中でも9条で論文を書く人は少ない。その中で自衛隊違憲説の方はいるが、それをもって憲法学者の多くが(自衛隊を)違憲だという結論を導くものではない。

私は安保法制にしても全部が全部、違憲とは思わない。例えば国連平和維持活動(PKO)の武器使用基準拡大は憲法違反とは考えていない」

 

 ◇政府・与党に都合が「いいと『専門家』」「悪いと『素人』」

 「(憲法学者は)現実を知らない。安全保障問題の『素人』だ」という批判に対しても、こう反論する。「英オックスフォード大出版局が刊行した比較憲法の辞典がある。世界の研究者が参加している。憲法による軍事力行使の制限について各国の法制を分析する『戦争権限』の項目は私が執筆している」と長谷部氏。

「仮に私が素人だとしましょう。そうすると、自民党は『素人』を特定秘密保護法という、安全保障に不可欠な歯車というべき法律の参考人に呼んだことになる。明らかな人選ミス。立法過程に重大な問題がある以上、同法を作り直したほうがいいのではないか」

 

 小林氏はこうだ。「学者が『字面に拘泥』するのは当たり前。政治家が拘泥しないときに、『ちょっと待って』と言うためにいる。そうでないと法治主義がなくなる」

 学者の見解をどう受け止めるか。政府・与党の姿勢にも厳しい言葉が続く。「今の与党の政治家は参考人が都合のいいことを言った時は『専門家』、都合が悪い時は『素人』だという」(長谷部氏)。「自民党の政治家には意見が違うと怒り出す人がいる。思う通りにならないと我慢がならないというのはどうなのだろうか」(小林氏)

 長谷部氏は淡々とした口調で自身の考えをこう述べた。「自民党の推薦で(憲法審査会の)参考人となった。国会の参考人と呼ばれたことはあるが、自分がどの政党の推薦かわからないこともある。どの党の推薦か自覚して発言したわけではない。私は自分の発言が周囲にどういう反響をもたらすか気にしない人間。いつも、聞かれたことには私が正しいということを答えるだけ」