ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

『“記憶”と生きる』 

 

「日本政府は、大きな罪を犯しのだから、罰を受けるよ」

登場する7人のハルモニたち全員がすでに亡くなり、残されたその証言は、今や貴重な“歴史資料”となっている。

 

 

慰安婦」にされた朝鮮人女性たちの生活と証言を写し取った映画『“記憶”と生きる』をみた。よかった。3時間半、その長さ以上の価値がある。一人の人生を聴くのだ。それが7人だ。3時間半などほんの一部にすぎない。チャンとみるべき映画だ。

テレビで放送して皆が見たらいい。

 

従軍慰安婦問題の原点がわかるもので、こんな原点が無視されて、ハルモニたちの証言を一度も聞いたことがない人ばかりが暴言を吐いて、事実と全く違う虚構がまきちらされている、歴史修正主義者たちの傍若無人の日本状況。

 

それに対して、この運動に関わってきた人には初めて聞いた(みた)ということではないが、一度も聞いたことがない人には、こういうことだったのかがわかる。

 

もちろん、集会や「ナヌムの家」できいたり、ビデオや本で知ったりしてきた人でも、この映画で記録された7人の元慰安婦の方々のその生きざま、証言、人生、すべてはとてもとても貴重で、初めて触れるものが多いと思うから、観る価値はとてもある。

ぜひ見てほしい、お勧めです。

 

先ずおもったこと。安倍首相ほか、全国会議員が見るべきだと思った。日本人全員が見るべきだと思った。院内集会で上映会をしてみてほしい。見る勇気がない議員もいるだろうが。

 

そして間違ったことを口汚く言ってきた人は、その認識を改め謝罪してほしい。

安倍首相や橋下維新は、チャンとこの映画を見て、どう思ったか言うべきだ。その責任がある。

 

右翼系の人たちはどちらかというと情で動く傾向があると思うので、まともな右翼の人ならこの映画を見て認識を変えるんじゃないかなと思う。自分で考えればの話だが。

このおばあさんたちの気持ちがわかって、日本政府として謝罪する必要があると思うだろう。「国民基金」(女性のためのアジア平和国民基金)のやり方がいかにまちがっていたか、国民基金のやり方の何にハルモニたちが怒っていたのかがわかるだろう。

 

上野千鶴子さんが今年の朝日新聞のインタビューで、国民基金は正しかったという趣旨のことを書いていて、あらまあ、まちがったことを言っているなあ、困った人だなあと思ったが、この映画を見ても上野さんは意見を変えないのだろうか。当時、その時間を共有していたものにおいて、この映画でハルモニたちが言っていることは運動内では常識だった。それを忘れての上野さんの発言は残念だった。

 

ところで、国民基金の中心人物の一人で、同基金の専務理事だった和田春樹氏は、これまで、現実的には国民基金やり方が正しいと言ってきたのだが、2015年4月に、「国民からの基金で『償い金』を出すという政府の基本コンセプトに本質的な欠陥があることがわかった」「韓国・台湾では失敗した事業」と述べたという(宣伝パンフからの情報)。本当なら、これまで和田はひどいことを言ってきたから喜ばしいことだが。

 

なお、国民基金は、当時本当にひどかったが、そのひどさの一つが、右翼学者の秦郁彦を資料委員会委員に入れていたことだ。保守人脈をも巻き込もうとしたからいれたというが、やはり、余りに秦がひどいので、彼の論文は未掲載とせざるを得なくなり、その後、和田と秦の間でも論争が起こることになるのだが、そもそも秦などを入れる感覚が信じられない。

 

1994年8月19日、朝日新聞に「民間基金構想」の記事が載ったのをみて、李順徳ハルモニが、「オレは乞食ではない!あちこちから集めた同情の金はいらない!国がちゃんとオレの前に来て謝って金を出せば喜んでもらうよ。早くして欲しい。死んでからでは遅い!」と怒ったそうです。

 

その観点は、直ぐに運動側全体に広がりました。

それなのに、和田さんをはじめ国民基金側は、現実的にはこのやりかたしか無理なんだ、時間がないと言って強硬的に進めたのです。間違った判断でした。

 

今回の映画『“記憶”と生きる』のなかで、ハルモニたちがこの点を話し合っていて、日本政府は金で歴史の真実を隠そうとしていると怒っていました。金じゃないんだ、と。金を受け取ってしまえば、日本が言うように単に「売春婦だ」という扱いにされてしまうと。

 

自分が元慰安婦だったと声を上げる(映画では「申告」と言っています)のは、各人各様ですが、日本政府が嘘を言っているから許せない、というのが何度も出てきました。

 

当時のことを思い出せばわかります。さまざまな事情で『償い金』という性格があいまいな日本政府の正式謝罪のない、国家補償でもない「お金」を受け取らざるを得なかった人がいますが、その人たちが肩身狭くならざるを得なくなって元慰安婦の中で分断がもたらされました。国民基金はそのような分断をもたらしたものだったのです。日本政府が謝罪と補償をしない為の代替だったのです。

 

しかし日本の主要マスメディアは、まるでこの国民基金の活動が積極的なもの、ましなものであるかのように扱いました。

昨年の朝日新聞バッシング騒動でも、日本は慰安婦問題で韓国や世界にえらく誤解されているが、日本は国民基金の活動など、とてもいいことを誠実にしたんだからそのことを世界にもっと知ってもらわないといけない、というように、日本政府の対応の正当化のために使われていました。

何も歴史の事実・現実を知らない人ばかりです。

 

2014年11月には、アジア女性基金の資料集の出版記念会が持たれました。あまりに右傾化している中では、国民基金の活動をする側がまだ「まし」な側になるのですが、しかしこの資料集自体は、反省はなく、いいことをしたという立場でしょう。

 

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土井敏邦監督の映画はいくつか見てきて信頼できると思っていました。今回見て、よく記録してくれたと思いました。今回、歴史資料として後世に残すのが自分の役割、加害国のジャーナリストの自分の責務と言っています。全くまともな仕事です。

 

彼の『沈黙を破る』はすごくよかった。『“私”を生きる』もみた。

それぞれブログで触れてきました。

私も徐々に歳をとって時間を積み重ねているなあと思いました。

 

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この映画で印象に残ったことを以下、幾つかメモっておきます。

 

  • 最も印象に残ったところ。正確な言葉ではなく、私の記憶によるまとめの言葉になりますが。

日本人だけが悪いのではなく、当時、朝鮮人が役人などとして存在して日本に占領される中、日本軍に従属していいなりになって多くの朝鮮人が存在していた。そして都会の人、都会の女性は慰安婦にされなかった。田舎の何もしらない、貧しいからお金のために働くと言われればすぐに騙される、教育を受けていない幼い女性が犠牲にされた、騙されて慰安婦にされたのだ。つまり朝鮮人も日本軍といっしょになって私たちを犠牲にした。

 

私はこの言葉を聞いて、当時、朝鮮人の一部も主流秩序に乗って、その下位のものを犠牲にしたのだと思った。別の映画などで知ったことだが、戦後、元慰安婦が故郷に帰っても、多くの場合、故郷は暖かく迎え入れるのではなく、「きたないものを見るような扱い」「タブー扱い」をしたという現実。当時の性意識、性道徳もあるが、主流秩序への加担者ならそのように見るだろうとつながった。

 

  • 慰安所を日本軍人だけでなく朝鮮人の上層部の男も利用していたという証言。

 

  • 日本人皆が悪いのではなく、民間人は悪くない人もいた。日本政府が悪かったのだという理解もあった。

 

  • あるハルモニが言っていた。自分がもし、あのレイプした日本人の男(コバヤシといってた)ひとりだけにレイプされて、その後帰国させてくれていたら私は慰安婦として日本政府を追及するための「申告」をしなかっただろう。でもそうではなかった。つぎからつぎと男たちにレイプされ続けた。

 

  • テレビを見ていると、日本政府の要人が嘘を言っている(慰安婦たちは金が目的で戦場へ行った)のを見て、抑えてきた怒りが爆発して、不利益がじぶんや家族に及ぶかもしれないのに、申告してやる!と思ったという証言。日本政府がお金で歴史の真実を隠そうとしているという発言。

 

  • 多くの人が「テイシンタイ」と言って騙されて、慰安婦にされていた。カンドクキョンさんは実際に一時期、富山に女子挺身隊として働きに来ていた。
  • 多くの人が苦しい場面については、口にすることができない酷いこと、と言っていた。

 

  • 多くの人が死ぬことを考えた。しかし死ねなかったという。

 

  • 男はもういらない、男は嫌い、男に会いたくない、愛しあえない、結婚できない、妾となった、結婚しても悪くて離れた、といったような言葉がなんどもできてきました。『好きな人ができても無理だった』との発言も。強制的にレイプされ続ける「仕事」をさせられたその苦しみは、癒しがたい傷を刻印したことを改めて感じさせました。

 

  • 騙されて連れてこられて、逃げられなかったというさまざまな証言。言いなりになるしかなかった。毎日泣いていた。逃げても捕まえられた。死ぬしか離れる道はない。この状況に日本軍が関わっていたことは明白。嫌なことをされ、逃げられないから奴隷状態であったことは明白です。強制性は明白です。自発的な商売をしていたというような妄言は全く事実ではあり得ません。

 

  • 思い出して語るのがしんどい。

 

  • ハルモニたちがもう昔なのに、いまだに日本語や日本の歌を覚えている人が多いこと。

 

  • 証言内容の圧倒的な具体性、リアリティ。その一部にもし記憶違いがあってもその全体の真実性を否定することはできない。バカな歴史修正主義者は全体を聴いてその真実さを認めるべきだ。枝葉末節の一部まちがいで鬼の首を取ったように全体を否定するおろかさを恥じろ。

 

  • 責任者を処罰しろ、という言葉。元慰安婦たちが〈たましい〉の叫びとして吐き出していました。カン・ドクキョンさんは絵でその責任者を木に縛り付け、それをハルモニたちが銃で撃つという場面を描いていました。死ぬ間際までのエネルギーは、責任者を処罰させたいということでした。

 

 

  • 自分がレイプされた、処女だった、何も性的な知識もなかった、何をされているかもわからなかった、妊娠のことも知らなかった、そういう14,15,16歳の子どもたちだった。

 

  • 自分の人生、慰安婦にされていなかったらどうなっていただろうか、という問い。
  • 「咲き切れなかった花」と自分をとらえていたこと。

 

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  • 偶然昨日、あるところで、『ザ・フェミニズム』を目にした(昔、もちろん読んだ)。昔の本だが、なんか言葉が軽く浅くて、遠いものに感じた。今日の映画のハルモニたちのような存在に基づいた生き様とのギャップを感じた。ただフェミは一人一派なので僕は僕のフェミで行くだけだが。

 

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関連情報紹介

http://kscykscy.exblog.jp/22470131/

 

聯合ニュース』での和田春樹の発言(2014年3月)

 

――日本軍慰安婦に関する一般の日本人の認識はどんな状態だとみるか。

「ここにきてそれ(教育不足)が問題だ。(右翼性向の雑誌を指して)このようにいち早く週刊誌がこの問題を扱ったことは無かった。全体的に、韓国を嫌い朴大統領を憎むよう毎回朴槿恵大統領の写真を載せ、ああだこうだと攻撃している。こうした異常な状態になった。[中略]

 

――一般人の意識すら危険な状態になったということか。

「(右翼勢力が)そのようなキャンペーンをした一つ(の根拠)は、日本政府がアジア女性基金で謝罪し、贖罪しようと申請したのに韓国が拒絶したのが日本人としては痛いということだ。日本人はそうしたことをみな知っている。それで日本が謝罪をし、何かをしようとするとき、その成功は韓国人と日本人が互いに助け合わなければ可能ではない。日本がしようとすることがすべていいことではないから批判も必要だが、頭を下げてすまないと言おうとするときには、韓国人も日本を助けてくれねばならないベトナムと韓国の間にも問題があるではないか。同じことだ。これはやはり(日本が)謝罪をしなければ始まらない。

「<인터뷰> 와다 하루키 "위안부 위령비에 머리 숙여야"」『聯合ニュース』2014.3.18

 

 和田と大沼はそれぞれ別の対象に向かって似たようなことを言っているのだが、こうした右傾化の原因を日本批判に求める言説は、昨年韓国で出版された朴裕河『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘争』(根と葉っぱ、ソウル、2013年)にもみられる。

 

 

 日本と韓国の「進歩」が、「国民基金」を提案した日本政府を信頼せずに「右傾化」とばかり批判し続けた結果、「慰安婦」問題に反発する人びとを大量に生み出したというわけだ。この『帝国の慰安婦』は前著の『和解のために』よりもさらに踏み込んだ叙述のオンパレードで、読んでいて驚かされることしきりである

 これは決して例外的な記述ではなく、むしろ「同志的な関係」という言葉はこの本のキーワードの一つである。『帝国の慰安婦』の「後記」には「批判者たちは日本で私の本が高く評価されたこと(朝日新聞社が主催する「大佛次郎論壇賞」受賞)を指して日本が右傾化したためだと語り、私があたかも日本の右翼と似た主張をしたかのように扱った」(317頁)と自らが不当にも右翼扱いされたと、暗に徐京植や尹健次による批判を示唆しながら反発しているが、こうした記述を読むと「日本の右翼と似た主張」といわれても仕方がないだろう。この本は日本語に翻訳されるそうだ。「国民基金」の再来とあわせて、出版後にどういった「評価」がなされるのか、注視する必要がある。

  (鄭栄桓)

 

資料引用終り

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以下は、『“記憶”と生きる』HP情報

http://www.doi-toshikuni.net/j/kioku/

 

アジア太平洋戦争下、「慰安婦」にされた朝鮮人女性たちの消せない”記憶”を記録したドキュメンタリー

 

「この胸の痛みは、誰にも分からない」 

深く刻まれた傷を抱え、壮絶な戦後の半生を送ったハルモニたちのありのままの声と日常

 

元「慰安婦」たちが肩を寄せ合って暮らす韓国の「ナヌム(分かち合い)の家」。1994年12月から2年にわたって日本人ジャーナリストがハルモニ(おばあさん)たちの生活と声をカメラで記録した。元「慰安婦」という共通の体験以外、その境遇や歩んできた道はまったく異なるハルモニたち。支えあい、時には激しくぶつかり合う。そんな生活の中で彼女たちは消せない過去の記憶と、抑えられない感情を日本人の記録者にぶつけ、吐露する。あれから20年近く経った今、あのハルモニたちはもうこの世にいない。残されたのは、彼女たちの声と姿を記録した映像だった……

 

2009年度キネマ旬報文化映画ベスト・テン第1位に輝いた『沈黙を破る』、2013年度同ベスト・テン第3位で文化庁映画賞文化記録映画優秀賞を受賞した『異国に生きる 日本の中のビルマ人』の土井敏邦監督が、戦後70年の2015年、あらためて「慰安婦」問題の”記憶”を辿るために完成した注目の最新作。3時間半を超えるこのドキュメンタリー映画は、「問題の解説」や「史実の検証」を目指したものではない。被害女性たちの証言を ありのままに記録した映像作品である。

 

第一部 分かち合いの家(124分)

 

「ナヌム(分かち合い)の家」で暮らすハルモニたち。過去を忘れるための酒が手放せず荒む女性、息子に過去を知られ悩み苦んだ女性、戦後、結婚もできず孤独に生きてきた女性……。彼女たちの日常生活とともに、「慰安婦」の記憶や戦後の波乱の半生を語る5人の声を丹念に記録。

 

◆主な登場人物

金順徳(キム・スンドク)

 

1921年、貧農に生まれる。17歳の時、「日本の工場で働ける」と騙され、中国の上海や南京の郊外で4年間、「慰安婦」生活を強いられる。帰国後、鉄道庁の職員の「妾」となり、3人の子を生んだ。「夫」の死後、洗濯婦や病院の付き添い看護などさまざまな仕事をして子供を育てた。テレビで日本政府要人の「『従軍慰安婦』たちは金が目的で戦地へ行った」という主張を知り、怒りがこみ上げ、過去を公にした。しかし子供たちに過去を知られる恐怖、衝撃を与えた自責に長年悩み苦しんだ。2004年6月死去。享年82歳。

 

朴玉蓮(パク・オクリョン)

1919年生まれで、ナヌムの家の最年長。23歳の時、「軍たちの世話や治療、看病をする仕事」と騙されてラバウルに送られ、「慰安婦」にされた。帰国後、普通の結婚もできず、公務員の「妾」になり、3人の子を生み独りで育てた。貧しくて優秀な息子を大学にやれず、日本から補償金をもらって、その息子に「家」を買ってやりたいというのが夢だった。子供たちには「慰安婦」だった過去を隠し、ナヌムの家がどういう施設かも知らせず、移り住んだ。2011年5月に死去。享年92歳。

 

 

第二部 姜徳景 (91分)

ナヌムの家の住人で最年少の姜徳景(カン・ドクキョン)は、「女子挺身隊」として日本に渡るが、脱走したことで「慰安婦」にされる。望まない子を宿し、戦後帰国した彼女の波乱の半生。その体験と心情を姜徳景は絵で表現した。やがて肺がん末期と宣告される。彼女が死を迎えるまでの2年間を記録。

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姜 徳景 カン・ドクキョン。1929年、韓国南部の裕福な家庭に生また。1944年、国民学校高等科1年生の時、「女子挺身隊」として富山県の軍需工場に送られた。しかし過酷な労働と空腹に耐えられず寮から脱走、直後に軍人に捕らえられて強姦され、長野県松代町慰安所に送られた。日本の敗戦後に帰国する途上で、妊娠を知り、避難先の韓国南部の旅館で出産した。息子を釜山の孤児院に預けたが、4歳の時、肺炎で死亡したと告げられた。食堂の経営や米軍基地の運転手などさまざま仕事を転々とし、50代にはビニールハウス農場に住み込み、10年近く働いた。1992年に「ナヌムの家」設立時に入居。そこで始まった絵画教室で学び、過去の体験を絵画で表現し始めた。1997年2月、肺がんのために死去。享年68歳。

 

◆制作の経緯と趣旨

 

私が初めて韓国の元日本軍「慰安婦」の女性たちが共同生活する「ナヌム(分かち合い)の家」を訪ねたのは、20年前の1994年夏だった。ただ、その女性たちの取材が目的ではなかった。韓国を訪ねたいという広島の老被爆者を、その元「慰安婦」のハルモニ(おばあさん)たちと引き合わせる下見のためだった。しかしハルモニたちと実際に向き合い、体験談を聞くと、私は、被爆者と引き合わす前に、まず日本人ジャーナリストの私自身がこの老女たちのことをもっと知らなければならないと思った。それから4ヵ月後、今度はカメラで元「慰安婦」のハルモニたちの生活と声を記録するため、私は再び「ナヌムの家」へ向かった。

 

本編の映像は、1994年12月から1997年1月までほぼ2年にわたり断続的に、ハルモニたちの生活を追いながら、戦時中の体験、戦後の歩み、さらに現在の思いを語る声を記録したものである。

 

この映像を撮影してすでに20年が経つ。しかし、いわゆる「従軍慰安婦」問題は忘れ去られるどころか、今や日韓関係を大きく左右する重大な国際問題となった。日本国内でも、当時の日本政府、旧軍部の関与の有無をめぐって激しい議論が続いている。ただそれら議論の中で語られるのは「従軍慰安婦」というマス(集団)であり、当事者である個々人の“顔”が見えてこない。

 

このドキュメンタリー映画は、元日本軍「慰安婦」たち個々人の“顔”と“声”を等身大かつ固有名詞で伝え残すことを目的として制作したものである。

 

この映画のタイトルを「“記憶”と生きる」とした。元「慰安婦」のハルモニたちは、脳裏に深く刻まれ、戦後数十年間、消せないその“記憶”を背負って生き抜いてきた。そのハルモニたちの証言の中には、時間や場所など事実と矛盾する点もあるかもしれない。しかし、それは紛れもなく、ハルモニたちに刻まれた“記憶”なのである。このドキュメンタリー映画は、その“記憶”を、加害国である日本のジャーナリストの私が、映像として“記録”したものである。

登場する7人のハルモニたち全員がすでに亡くなり、残されたその証言は、今や貴重な“歴史資料”となっている。

土井敏邦