ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

同じところをぐるぐる回っている結婚論

 

 

ネットの記事で以下のものを見つけた。アエラの6月の記事の延長線上のもの。

コスパと言っている時点で、その「コスト」のとらえ方が問題。

学歴や年収、美貌など「相手のスペック」と言っていたり『コスト』と言っているものはすべて主流秩序の価値基準。

 

記事のなかに以下のような記述があった。

「交際する相手の条件は「フィーリングが合うかどうか」。見極めるために一度は会ってみるが、初デートが「自腹でも行けそうなフレンチ」だったりすると、次はない

「ただでさえ時間が足りないのに、この人なら、と思えなければ前に進めません」」

 

これを読んでこの人とは僕なら恋愛しないと思った。

説明は省くけど(笑)

 

結婚や恋愛については私は25年ほど前からシングル単位論で整理してきたし、いくつかの所に書いてきた。いまでは知らない人も多くなってきたが。

『〈結婚しないの?〉に答える理論武装』『シングル化する日本』ですでに基本は書いている。しかしその水準を越えないものばかり。

 

婚活も、『閉塞社会の秘密──主流秩序の囚われ』で示したように主流秩序を上昇する活動に過ぎない。

主流秩序から離脱する視点を持たないとね。

 

結局、フェミがこうした問題で広がらなかった結果でもある。

50年前から同じようなところで、話しが止まり、フェミが本当の意味で浸透していない。むしろ後退している。

 

だからこそ現代において私は主流秩序の提起をしているのだが、まあ、ラジカルすぎて敬遠する人が多いだろう。そもそも流行らないから多くの人に知られないままになるだろう。過去に多くの議論でそういうことがあったように。

 

将来、一部の人が見つけて、「おもしろい」というような話になると思うが(笑)

 

 

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