映画『ダライ・ラマ』
みたかった映画『ダライ・ラマ』(企画、撮影、編集:薄井一議)を見ることができました。
おもしろかった。チベットの人たちの純真な心に触れて、何度も泣けました。
教育の意味でも、生きる意味でも、「社会に貢献する」ということが見えているかどうか。
利他の心、慈悲の心。慈悲の心は生まれつき持っているもの。それを実現させるのが大事。
きれいな心を持って生きること。
チベットのある地方の人 正月にゴチャックをする
世界の平和、「この世のすべてが幸福でありますように」「すべての生き物が悟り(平和)にいたりますように」とを祈って、身の丈ずつ進んで5キロの道のりを聖地に向かって3日かけて進む。
問題をとらえる枠組みを大きくし、広い視野をもつことによって解決策・選択肢が一つではない、多様であると見えることが大事。もっと大きな視野でその問題をとらえることで時には楽観的になれる。違う解決が見える。
ぼくはこの映画を見て、一方で、日本はもう東北大震災・福島原発事故(3・11)を忘れている人が多いことを思った。あの直後の気持ちを忘れている。それが日本。それは阪神大震災の時も同じであった。
暴力は何も解決しない。ハーモニーを壊す。解決をもたらさない。
その意味を再確認した。
「何か欲しいものは?」 という問いに 「ない」と答えるチベットの子どもたちに、学ぶことの多い映画だった。
相手からひどいことをされても暴力に訴えないこと。
ダライラマが言う。
「仏教を知らない仏教徒になってはならない」と。
それはすごいことだ。日本への強烈な皮肉だ。
ダライラマの本を読み、この映画を見る人が増えてほしいと思う。
「私の考える非暴力とは、単に暴力が存在しない状態ではありません。非暴力とは思いやりの心を他者に示すことだと、私は思うのです。」
私のスピリチュアル・シングル主義、のもとになったのが、ダライラマの生き方・言葉だった。
其れを再確認した。
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