ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

恋愛する、デートするというのは主流秩序の上位の価値観??・・・・??

 

友人が、デートDVという言葉とか、主流秩序に関する記述の中に出てくる「デート」ということばなどから「デート」という言葉を拾って、そこ自体に違和感があるというようなことを言ってくれました。

 

恋愛する、デートする、おしゃれするというようなところから遠くにいるし、いたいから、デートという言葉に違和感がある、敷居が高い、わたしには無理だ、劣等感のようなものを感じる、・・・というのです。また年代差で、今はデートとか言わないので違和感があるというような指摘も。

 

私の本の中で、肯定的に恋愛とかデートとか性欲とか、「イキイキというかんじ」を書いているところはあると思います。同時に、恋愛する、結婚する、パートナーを持つ、モテる、ということが主流秩序の上位の要素であることを指摘もしています。元気であること、性的欲望秩序において性的に満足していることを主流秩序の上位とも指摘しています。

 

私の主流秩序論では、そういう事実があるという意味で主流秩序というものがあることをまず確認しています。


次にそれによって競争が激化したり、画一的な価値に縛られたり、下位の者がしんどくなったりすることの問題を指摘しています。

 

ですから私がある文脈で肯定的に恋愛とかデートとか性欲とか、「イキイキというかんじ」を書いていても、それには批判的な意識も一方であるので、単純な肯定ではないのは確認できると思います。


しかし、もう一方で欲望自体を全否定していないので、友人にはその後者との関係で、欲望肯定的な感じに違和感があるんじゃないかなと、私は感じました。

おいしいものを食べるという食欲の快感も、達成感とか、権力をえたり、リーダーになる快感も、承認される快感も、ある時にお金や地位を得てうれしい感覚も、私は全否定していないのです。 そこに脱主流秩序にもつらなるエネルギーも内包されていると思うので、欲望の変換を主流秩序論では言っています。


ナショナリズムの感覚でさえ、そこには他者を思う気持ちや愛や自己犠牲などの素晴らしいスピリチュアリティ感覚が含まれていることがあります。
つまりこの問題は、スピリチュアリティが、自己の拡張であるということにもつながっています。

自分のためと他者のためが、自己拡張によってつながります。

 

私は禁欲主義批判の立場であり、その点で従来から伝統的宗教の問題を感じてきたものです。これについては拙著『主流秩序社会の実態と対抗――閉塞社会の秘密2 電子版――』の「3-11 「欲望を違うレベルに拡張する」という幸福」 で少しまとめています。
つまり、これまでの幸福論・人生論には、大きく分けて2つの流れーーーひとつは「能力主義的チャレンジ論アプローチ」、もうひとつは「禁欲主義的アプローチ」--があり、どちらにも私は賛成しないということです。


「禁欲主義的アプローチ」とは、道徳主義的・宗教的アプローチともいえるもので、「上をみずに、分相応に、足るを知れ、そうすれば心の平安を得て幸せになれる」といったようなものです。欲望・煩悩をもつから苦しむのであり、それらから解放されるように、それら自体を否定し、清貧・質素をモットーとし、外部(社会構造)に目を向けず、瞑想したり祈ったり信仰したりして自分の心の持ち方を変えることで幸福感を獲得しようとします。


主流秩序論は欲望を否定せずに変換する方向で主流秩序の解体や揺るがしを増やすことを展望しています。

友人が提起してくれた問題には、その他の面もあるし、タイプや個人的感覚の差、ジェンダーの差、の面もあると思います。


そしてソウルメイトとか、生涯一緒のパートナーが、いる人もいればいない人もいます。このむつかしいリアルな問題にもかかわっています。

 

先日もすごく才能も魅力もあるけれど、個人的人生で今の時点では孤独とか「何物でもなくて低い扱いされることがつらい」とか「自分の能力ややりがいが生かされる仕事や場所が見つかっていない苦しさ」を語る友人がいました。

 

3人で5時間話しながら、「無冠の王」「生涯が居場所を探すプロセス」「成功した人の話より主流秩序の下位であるとか離れた人であるがゆえにいえることがある」「何かをなさなくてもテレビ見たりおいしものを食べてのんびり生きることのような気楽さも大事」「真面目になりすぎて精神的に自分を追い詰めたらしんどいよ」「不登校だった人の説得力」「お金がある人はおおむね何か問題があるんじゃないか」「だから主流秩序の上位もいいということは危険」「NPOとか理念がいいことを言っている組織でもその中に能力主義、エリート主義・学歴主義・血統主義があったりコネとか主流秩序的なものがある場合があり、そんな組織に対して批判できることが大事」とかの話をしました。


同時に、パートナーがいる安心感、お金があるとか安定した仕事がある安心感の話もしました。
自分の創造性を生かす場は実は身近にある、今の場でやれることがある、今の場で一生懸命やることに突破の契機があることなどの話も。


能力を生かすとかがんばるとか欲望ということと、主流秩序への加担を減らすということとのバランスがいつも現実的な落としどころなんだろうなと思います。

 

話がずれましたが、こんな風に、思考があれこれ広がるので、友人が問いかけたものは、いろいろなことを含んでいる問いだなとおもいました。