ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

森達也『FAKE』をみて分かったように語ることこそダメ。そして舛添知事批判は佐村河内氏批判と同じ

 

森達也『FAKE』、ぜひ見てください。東京でははじまりました。オオサカでは6月11日からナナゲイでやります。

 

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まずこの映画は見る価値がある。映画にコメントを寄せた有名人も、自分もスペクタクル社会で、加担者だったのに、自分は関係ないように言うやつは偽物だ、ということをあぶりだす。

 

 

この映画は、あの佐村河内 守氏のドキュメントの映画だ。彼はうそつきとされて、今や新垣さんが出る番組が多い状況。

佐村河内 守氏を馬鹿にしたり笑うだけでいいのか。

 

私自身がこの問題では加担者の面があると思う。つまり、

まずNHKとかで佐村河内 守氏を美化する番組を見た。すごいなと思い、少し?ももった。


だからその後、耳が聞こえないとか、すごい騒音の中で作曲しているとかいうのが「嘘」だと知って、すごい嘘をつく人だと思った。
そしてそんな嘘に手を貸す美番組を作ったNHkプロデューサーの責任が大きいと感じた。

 

だから私の基本スタンスは、佐村河内 守氏は嘘をついてまで主流秩序社会を上昇しようとした人というものだった。

 

しかし、その後の展開に疑問はあった。新垣氏がテレビの娯楽番組、バラエティなどに出まくって、笑いを取り、その中で、佐村河内 守氏を全否定する流れに加担していたからだ。

 

新垣氏が音楽才能があるのは事実だろう。
だが佐村河内 守氏にも音楽の才能はあるようだ。

 

だが、100からゼロにしてしまった。そこに嘘がある。しかも見世物として、佐村河内 守氏を血祭りに上げ、新垣さんを面白として消費する。

 

主流秩序は全く問われていない。佐村河内 守氏を持ち上げていたことも全く反省されない。
テレビは平気でうそをつく。


自分が加担者だったことを忘れ、また消費する。


そこのオカしさに、森監督は、カメラを回そうと思った。
そしてうそつきとされているこの佐村河内氏に密着し、写し取っていく。

そこで出てきたものがなんであるのか。
観ないと見えないものがある。

 

テレビ業界は、まじめで神妙な顔つきでやってきて、また佐村河内氏を食い物にしていった。
それは醜悪だ。もっとも主流秩序の従属物で、佐村河内氏よりずっと悪く醜い。


佐村河内氏は表現が下手な人だ、と分かる。その妻も。
そして下手だからこそ信じられる面がある。


佐村河内氏は、たぶん、人間として何か大きな欠陥を抱えているんだろうと思う。過去によって。


そんな人はたくさんあるし、彼はその一人だ。
だから嘘に頼った。止められなかった。
ショーンKさんとかも同じだろう。

 


底は浅そうだ。その分、たいして悪い奴じゃない。
零と100の間に、真実はある。

 

佐村河内氏が問題なのではない。新垣はいまや主流秩序の加担者になっているが、これも小物で、実は利用されている。佐村河内氏を持ち上げ、次にこき下ろし、自分たちの主流秩序、スペクタクル社会を省みない者たちこそ、最大の加害者だった。


裁かれるは善人と弱者のみ。

それを写し取った、森達也

 

「A」「A2」に続いて、またいい作品を作ったと思う。

 

NHKや民放で、まず佐村河内氏を持ち上げた者たち。。。有罪
加担した佐村河内氏…有罪
騒動後、よってたかって佐村河内氏を攻撃したもの…有罪
その後、利用され、加担していった新垣氏・・有罪
で、森達也が、善だとか正しいというわけではない。

 


当然、宮台真司とか評論家たちも、わかったようなことをこの映画に関してかいているが、他人事だ。・・それは有罪だろう。

 

宮台は言う「社会は、善悪や真偽や美醜の二元論で言語的に構成された悪夢なのだ」

 

こういうことを平気で言っている宮台的なものが僕は嫌いだ。
自分の加担性から逃げているからだ。

援助交際とか、バクシーシ山下擁護とか
やったことへの反省もせず、自分は主流秩序の上位に行って、
評論して、
どちらにもつかず、
というのが宮台的なもの。

彼に限らず、学者や評論家はそう。

 

 

主流秩序を批判しないのだ。加担している自分を反省的に見て苦悩を引き受けない。
分かったように言ってええかっこして苦悩を引き受けない。

 

スペクタクル社会を構成し、佐村河内氏の騒動を見世物として消費した構造に加担しているではないかと思う。
そこへの省みがないから、駄目だと思った。

 

メディアというものを外部に置くのではなく、メディアとは主流秩序の体現物だとみることで、自分を枠外に置けなくなる。

 

安倍や石原や橋下には甘く、舛添知事を批判して溜飲を下げているようなのは、佐村河内氏をリンチしたことと同じことのくりかえしだ。 


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憲法の映画「不思議なクニの憲法  声を上げる私たち
今公開中、およびこれからのところがあると思います。


これもぜひ見てほしいですね。

この映画の素直さを、嫌いな人は、見ずに逃げる人、批判する人は、

ゆがんでいると思うし、逃げているんだろうなと思うし、主流秩序的だなと思う。

ださくてもいいものはいい。


すべては自分で判断しよう。

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資料

映画「FAKE」

 

http://www.cinematoday.jp/page/N0082533

佐村河内守氏がついに沈黙を破る……衝撃のドキュメンタリー予告編公開
2016年5月9日 17時30分



佐村河内氏が明かした事件の真相とは……? - (C) 2016「Fake」製作委員会

 2014年に報じられた「ゴーストライター騒動」の渦中にあった作曲家・佐村河内守氏に、オウム真理教を題材にした『A』『A2』などで知られる森達也監督が密着したドキュメンタリー『FAKE』の予告編が公開となり、沈黙を守り続けてきた佐村河内氏の心中の一端が明らかになった。


 2014年2月に作曲家の新垣隆氏が「週刊文春」の記事及び記者会見で、18年間にわたり佐村河内氏のゴーストライターとして作曲していたことを告白。後日、謝罪会見を開いた佐村河内氏にさまざまな疑惑が向けられたこの騒動において、ドキュメンタリー作家の森監督は佐村河内氏への取材を敢行。予告編には新垣氏の発言内容やマスコミの報道に対し、「何が真実で、何が嘘なのか」を巡る、森監督と佐村河内氏との赤裸々なやりとりが収められている。


 メディアへの露出を拒否し、作曲もやめてしまった佐村河内氏に開口一番、「僕が撮りたいのは佐村河内さんの怒りではなく、哀しみです」と取材意図を説明する森監督。ゴーストライター騒動を「全メディアのこれまでの復讐」とし、マスコミへの不信感をあらわにする佐村河内氏は「僕を信じてくれますか?」と森監督に問い、森監督は「信じなきゃ撮れない」と明言し、逆に「守さんは僕を信用しているの?」と投げ掛ける。一連の騒動を検証していくなかで、複雑に揺れ動く佐村河内氏と森監督の関係、さらにはなぜ作り話をするのか、作曲の証拠を示してほしいと佐村河内氏に詰め寄る外国人ジャーナリストの取材模様などが映し出され、沈黙を守り続けてきた佐村河内氏の思いが垣間見える。


 佐村河内氏はなぜ作曲をやめてしまったのか? 森監督が捉えた彼の真の姿とは……? 衝撃的なラストには誰もが圧倒されるはずだ。(編集部・石井百合子
映画『FAKE』は6月4日より全国順次公開