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後藤 道夫「貧困への大学生の怒りと民主党政権の経験」

 

「ユニオンぼちぼち」とかでも、もっと前から、似たような声があったけど、まあ、大きくなったわね。

 

貧困への大学生の怒りと民主党政権の経験
後藤 道夫

http://www.inhcc.org/jp/research/institutenews/data/20160229-institutenews-no053.pdf

 


戦争法制反対闘争で活躍した「シールズ」の若者たちのスピーチをみると、戦争法だけでなく、今の社会と政治全体にたいする強い違和感や怒りが表明されている。数は多くないが貧困問題を焦点としたスピーチがあり、これほどひどい貧困を放置し続ける政権が、「国民の安全」などと言っても、およそ信用できないという言い方もあった。秋以降に二回行われた「エキタス」というグループの最低賃金デモでは、より鮮明に現在の貧困とひどい労働処遇がスピーチの主題となっている。

 

シールズ、エキタスともに YouTubeで視聴可能なものが多く、文字になっているものも少なくない。それらをたよりに、数人の若者のスピーチの分析を試みた。貧困問題にかかわった発言のみが対象だが、筆者は以下の特徴に強い関心をもった。


まず、話し手自身が、総合的、多面的な貧困状態を経験しているか、あるいはそうした経験をした若者と近い位置にいて、そうした経験を強く内面化し、感情を共にしている。そこでは、ひどい労働処遇、母子家庭など<ジェンダーと貧困>問題、傷病による貧困、貧困な家族を若者が背負う苦しみ、社会保障のあまりの脆弱さなどがリアルに語られる。つまり、深刻で重層的な貧困の経験者あるいはその同伴者が、鮮明な言葉で事態を告発し、怒りを表明しているのである。2009 年、2010年の反貧困運動では、当事者自身の怒り、告発のスピーチは目立っていなかった。

 


また、貧困者の自己責任を問い、<努力の足りなさ>を責め合う、国民のいわば<相互抑圧状態>への強い怒り、拒否、対抗の姿勢が鮮明である。解決の方法として「社会保障労働組合」を強く主張するスピーチもある。障害・傷病等による不利と貧困・環境による不利とを連続的・一体的なものとしてつかむ感性も、こうしたとらえ方とつながっているようだ。

くわえて、デモに参加できる大学生あるいは学卒という社会的位置が自覚され、学習できない、声を出せない多くの人たち、アルバイトで動けない学生たちのかわりに勉強し、声を出すという感覚も鮮明である。その際、<無知>であること、動けないことは非難の対象ではなく、そうした状態に置かれた人々への強い共感が読み取れる語り口となっている。

 

シールズやエキタスのスピーチ全般に共通するようだが、現在の社会と国家にたいする評価・期待がもともと低く、したがって、怒りや要求が受け入れられなくても「あきらめ」ず、自分たちの運動に高い価値をおいている。この間の運動が、ある種のカウンターカルチャーとして受け止められているのかもしれない。大学生等が、ひどい貧困を自分(自分たち)の問題として、強い怒りを表明するというこうした事態には、いくつかの背景があるように思われる。

第一は、低賃金と貧困の拡大である。大学で学ぶ階層の家庭にまで深刻な貧困がおよんでいる。
第二は、大学進学率の上昇によって、ただでさえ収入が大幅にへっている中間層のなかで、経済的に無理な大学進学、したがって、多額の奨学金ローンと過重なアルバイトを余儀なくされる学生がふえた。非正規激増と賃金水準の大幅低下は、新たな学歴格差となって現れているため、高卒後の進学への社会的圧力が大きく拡大したのである。学生の貧困経験、無理な労働の経験は大幅に拡大している。

 

第三に、貧困経験をもつ学生が増えたことによって、貧困経験者あるいはその同伴者でそれを言葉にでき、怒りを表明できる人々が増加した。
第四に、これはまだ仮説の域をでないが、民主党政権が断片的、部分的ではありながら、社会保障によって生活を改善する政策を実行したことの影響である。その流れは部分的に現在でも生き続け、若者が貧困を不当だとみなし、怒りを表明する際の、意識的あるいは無意識的なよりどころを拡大した。

 

この点で、公立高校授業料不徴収(現在は所得制限がついているが)は、高校までの就学保障と生活保障という国民的課題の扉を開けたのだと思われる。これは大学生の就学保障と生活保障よりも低い水準の課題だが、参照の基準にはなりうる。貧困が不当だという「怒り」には、多くの場合、なんらかの参照基準が必要なのである。

以下、高校生の就学保障と生活保障にかんする近年の動きを概観して、こうした新たな国民的課題へのアプローチが広がっていることを確認したい。

 

前史だが、2005 年からは生活保護を利用しながらの高校就学が認められている。これは、高校卒業が「健康で文化的な最低限度の生活」にふくまれることの公式の認定であり、貧困が<肉体的生存困難>の水準でイメージされることが少なくないこの国で、貧困基準の社会的合意のための広汎な討論ができる、重要な材料である。

民主党政権の公立高校授業料不徴収に連動して、私立高校の授業料にも公立と同額の補助がでるが、世帯収入に応じた加算がある。この加算分は 2014 年から、最高で公立授業料の 2.5 倍までとなった(それまでは 2倍)。さらに、私立高の授業料に不足する部分への補助が学校の減免措置への都道府県の基金からの補填という形で出せるようになっており、くわえて、不十分ながら就学援助に類似した給付もできている。

 

高校生の医療だが、国民健康保険の保険料滞納による保険料返納・資格証明書交付世帯にあっても、2010 年から、高校生までの子どもには短期保険証が発行されることになっている(2009 年では中学生まで)。子ども医療費助成の制限年齢も早いスピードで上昇している。2014年4月現在では、中学までを対象とする自治体は、通院1134、入院 1370(2009 年は 345 と 516)であり、高校生までは通院 201、入院 215(2009 年は 2 と1)であり、ここ 5 年間の伸びは急速である。県レベルで高校生までを対象としているのは福島県だけであり、むしろ、小さな自治体レベルでの速い改善である。各県のHP で確認できた 2015 年後半の数字によれば、高校生までの子ども医療費助成を行っている自治体が多い県は、福島県 59/59、長野県41/77、石川県 13/19、北海道 32/179 などである。

 

児童手当は、民主党政権でようやく中学生まで対象とされたが、高校生までという政策はまだ出ていない。高校生までを子ども医療費助成の対象にする措置は、高校生まで
の生活保障の初歩的な施策の一つにすぎないが、安倍政権下でも、こうした動向が進んでいることは興味深い。高校までの就学保障と生活保障は、国民的課題になりかかっており、社会的合意がゆるやかに進んでいると評価してよかろう。民主党政権の公立授業料不徴収は、国民意識の背中を大きく押した施策であり、おそらく、貧困にたいする現在の若者の怒りの表明は、そうした政策とそれに背中を押された国民意識を背景としているのだと考えたい。

 

(ごとう みちお、研究所副理事長・都留文科大学名誉教授)