ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

DVや離婚の実態を踏まえず、反フェミの感覚で進められる「親子断絶防止法」には反対

 

シェルターネットの大会でDV加害者プログラムの分科会を持つのですが、そこでも話し合いたいテーマです。私の考えを一言述べておきます。


以下に紹介する千田さんの意見はまあマトモと思います。

 

この法律、面会交流を義務化するという内容です。私は加害者プログラムの中で、真摯にDVを反省し、子供に会って償っていこう、愛情を正しく示していこうと思う加害者を知っているので、面会交流をすすめることには一定の意味があるとは思っています。


しかし、同法には問題が多く今このままの導入にはマイナスが多すぎます。

 

「DV被害を受けて子供を連れて家から逃げる女性を妨害する側面があること」は絶対に反対しないといけないとおもいます。DV夫から子どもと女性が逃げることは、「拉致、連れ去り、誘拐」ではありません。

 

このまま不十分な法律がとおると、被害者が逃げ出そうとしたとき子どもを置いて逃げるしかなくなってしまいます。それなら逃げないと判断する母親も多くなるでしょう。同法は、反省していないDV加害者に有利な法律になる側面が強いです。


保守派的な感覚で、この法律で離婚を抑制しようとしている面があるようですが、シングル単位感覚すれば、離婚の抑制は良くないです。実態が破たんしているなら、シングル単位で離婚は決定できるようにすべき(破たん主義)です。離婚がよくない、単親家庭が子供によくないというのも有害な偏見です。

 

上記したように、私はDVした親と子供の面会交流に全面的に反対すべきではないとおもっています。それは実態を知れば分かります。
しかし、「子どもの立場、人権」を考えるからこそ、DV環境から離すことが大事という側面もあります。


加害者父親が子どもを連れて逃げるというようなケースは少ないので、この法律を急いで通す必要はありません。


私は、北欧社会がそうであるように、人権感覚がすすみ男女平等がすすみシングル単位的に考えれば共同親権を導入すべきと考えるものですが、今回の様な反フェミ的な勢力が、反DV的な感覚で進めることには反対です。


そのあたりは以下に紹介する千田さんの文章がわかりやすく説明しています。

DV 加害者が真摯に反省して、償う行動の一部として、子供に会って謝罪し、子供の心に愛情を与えていくのはあるべき姿です。NOVOにはそうしようとしている人がいます。


しかしそんな親は少数です。DVを反省せずに相手が悪いと思っていて、敵対的になっているような加害者が、面会交流や共同親権を得たら、子供や被害者にマイナスの影響が及ぼします。

 

養育費が安くなるとか、なんでも相手に許可をもらわないといけないとか、加害者が被害者を邪魔するような面、嫌がらせしやすくなる面があるのです。

子どもの自己決定の自由が制限されます。子どものシングル単位感覚がないのが同法です。子どもが会いたくないという場合会わなくてよいことを保証すべきです。同法のように「会わせないと罰則」というようなのはもってのほかです。

 

 

養育費を支払っていない親は8割という驚くべき状況がある中で、まずすべきは、同法を拙速に成立させることでなく、まずは北欧のようにパーソナルナンバーで夫の居場所や収入を補足して絶対に養育費を払わせる仕組みにすることです。そのためには国が徴収することです。そして父親が養育費を払えない状況のときにはまずは国が建て替えではらい、あとで当該から徴収すればいいのです。
つまり、面会交流の権利は、養育費の支払いとリンクさせるべきです。

 

私は、離婚は避けられないと思うので、離婚後も親が憎みあわず、仲良く交流し、拡大家族になるのが理想の方向と思います。私が共同親権を言うのはむしろ、皆がそのように、離婚してもまともな親として子どもにかかわるのが当然だからです。

責任を持ってかかわるべきだからです。

しかしそれは理想の方向で、現状はどうもそれができない親が多いようです。


単独親権でも、ちゃんと交流できるような人が増えてこそ、そして養育費を当然はらい、愛情を示し続けることができる人が増えることが必要です。
だから、今すべきは、面会を認めるとしても当然、養育費の支払いを前提とすべきということです。

そして子供の意思を優先して尊重すること、面会において第3者の監視があること、相手の親を悪く言わない等「面会交流のルールを守れる」ようにすべきことです。


だから加害者プログラムのようなものが離婚した人には皆に保証されるべきです。国による養育費建て替え制度の確立や「まともな親になる教育プログラムの受講義務化」(保障)されない中では面会交流も共同親権も現実的にはまずい結果をもたらすものになるでしょう。


この法案、以上のように問題だらけで、DV被害者の実態を知った支援感覚,子供の意思の尊重、シングル単位感覚が欠けているから問題なのです。


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親子断絶防止法案の問題点―夫婦の破たんは何を意味するのか
千田有紀 | 武蔵大学社会学部教授(社会学) 2016年10月18日 6時30分配信


親子断絶防止法に対する懸念が各方面から出されている。NPO法人しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石千衣子理事長(「親子断絶」防ぐ法案に懸念)、同じくNPO法人キッズドアの渡辺由美子理事長(「親子断絶」を防ぐ法案成立に潜む大きなリスク)といった、いわば離婚家庭の「現場」を知る人たちである。

 

 

毎日新聞でも、懸念が報じられている。大手メディアがそろいにそろって否定的意見を紹介しているのが、意外だった。一般的には渡辺理事長のいうように、
離婚した後も、親は親であり、だから、母子家庭でも、時々別れたお父さんと会う事は良い事だと、私も思っていた。だから、この法律もいいんじゃない?と思っていた。
出典:「親子断絶」を防ぐ法案成立に潜む大きなリスク
というような感想をもつひとが多いのではないかと思っていたからだ(渡辺理事長のこの文章のあとには、「しかし、キッズドアを始めてそんなに簡単ではないという事を思い知った」「しかし、実態は、そんなきれいごとばかりではない」という文章が続く)。

ところが、親子断絶防止法全国連絡会のHPに行き、議員立法をクリックして、仰天した。これは大変だという危惧を私ももった。まず保岡興治衆議院議員議員連盟会長)の言葉。
現状、家庭裁判所がどちらの親に親権を与えることが適切かを判断するにあたり、監護の継続性を重視していると言われています。つまり、子どもの現状を尊重し、特別な事情がない限り、現状の養育環境を継続したほうが良いという考え方です。
この考えを悪用し、離婚後に単独親権を求める親が、子どもを連れ去るケースが頻発しているようです。こうした連れ去りを防ぐ法制の検討が必要です。
出典:親子断絶防止議員連盟が目指す法律

 

 

法律の目的を子どもの連れ去り防止だと、まず宣言しているからである*1。つまりよくドラマで見る、夫婦喧嘩の挙句「子どもを連れて、実家に帰らせていただきます」ということを禁止したいというのだ。
しかし実際には、そういうのんびりとした事例ばかりではない。家から子どもを連れて出なければいけないのは、まずもってDV被害者だろう。住み続けた家から、好き好んで逃げるひとは多くはない。ちなみにアメリカなどでは、追い出されるのは加害者のほうだ。
これを禁止されたら、赤石事務局長も心配するように、DV被害者はたまったものではない。暴力の現場から逃げ出そうとするならば、子どもを置いて逃げるしかなくなってしまう。各団体が懸念を示したのは、当然だろう。

 

続いて馳浩衆議院議員議員連盟事務局長)の言葉。
(離婚をするのは仕方がないが)子どもの立場になってよ。
いさかいをし、口論し合う姿を見せつけられる子どもの心理を考えたことがあるか?
家庭内のDVで、子どもの心もからだも表情までも凍りつかせている意識はあるか?
日本は、離婚をしたら、単独親権である。
(離婚後は)DVを毎日見せつけられていたので、憎しみだけが増幅し、トラウマとなり、人間不信に追い込まれる。


本来ならば、家庭教育において人間社会の縮図を学ばなければならないのに、一方的に片親だけという現実を突き付けられ、成長の機会をうばわれる。
離婚で心身ともに傷つけられるこの親子断絶問題は、新たな児童虐待の類型とさえ考えられる。
とりわけ、無断の連れ去りによって、有無を言わさずに親子関係を断ち切られたケース。
これは、拉致、ゆうかいではないのか?
出典:親子断絶防止議員連盟が目指す法律

 

 

ちょっと論旨が分かりにくい。離婚は仕方ないが子どもの立場を考えろと言われるが、論理は逆ではないか。家庭内のDVで「子どもの心もからだも表情までも凍りつかせている」と思うからこそ、離婚が起こるのではないだろうか? 家庭内のDVは、子どもに対するものでなくても、「目前DV」として児童虐待にあたることが明確化されている(2004年の「児童虐待の防止等に関する法律」の改正)。まさに子どもの立場を考えたら、DV家庭から子どもを救出することは不可欠な行いではないか。



DVを毎日見せつけられていたことの影響を馳事務局長は、きちんと述べられている。しかしその結果が、「片親だけという現実を突き付けられ、成長の機会をうばわれる」ため、別居した親に会わせろというのだから仰天した。DV親に会わせることを全面的に反対することはできないかもしれないが、そこにはもう少し慎重さが求められるのではないか。この法案を通そうとしているかたたちが、DVをどう考えているのか、不安になってくるのである。子どもと逃げることを、拉致、ゆうかいとまでいうためには、そこをきちんと考えておく必要があるのではないか。

 

もちろん、「原因が明確なDVである場合」などは、「それは当然な連れ去りであり、自治体には女性センターなどに一時保護施設もあり、社会通念上、容認されている」と述べられている。「ところが、この制度が悪用され、離婚することと、子どもを確保することだけが目的の「無断の連れ去り」事案が横行しているのである」と力点は後者にある。ここではすでに離婚が問題ではなく、離婚のまえの別居に際して、子どもを連れて逃げることが問題とされている。

 

これは甚だしく疑問である。もしもこの「連れて逃げる」ひとが、母親だと想定されているのだったら、あまり意味のない規定である。馳事務局長が認識しているように、「だいたい、日常的に養育をし、監護している親に、親権が与えられる。できるだけ、子どもの置かれている日常的な養育環境が安定していることが優先される」のだから、親権は母親に与えられるのが普通だからである。

そのままにしていても自分に親権が与えられるにもかかわらず、子どもを連れて逃げるというのはどのようなケースなのか、想像力をめぐらしてみれば明らかだ。父親が子どもを連れて逃げるケースを批判できる、女性に優しくむしろ男性に厳しい想定であるが、今の日本の現状を考えれば、その数はあまり多くないだろう。


離婚の抑制という意味であったら、効果はあるのかもしれない。日本の法律では相手が拒否している場合、配偶者が証拠を伴う浮気でもしてくれない限り、すぐに離婚することは難しい。特に周囲にわかられにくいモラハラなどを理由にする場合は、なおさらである。したがって多くの人は5年ほどの別居期間を作って、婚姻を継続しがたい重大な事由を客観的に裁判所に証明しようとする。その際に子どもを連れて逃げたら拉致ゆうかいだといわれれば、子どもを取るか、離婚を取るかという選択をせざるを得ない。

 

 

しかし不仲の夫婦の調査の経験からいえば、多くのひとは自分だけに配偶者からの暴力や理不尽な行いがある場合は、まだ結婚生活を我慢をしている。結婚生活が子どもの養育への悪影響を及ぼしていることに気がついて、離婚を決心することが多いのである(もちろん、私の調査対象者のサンプルバイアスもあるかもしれないが)。

 

決心するのが女性の場合、女性の賃金を考えれば、シングルマザーを取り巻く状況はあまりに厳しいのは周知の事実だ。男性も、家庭と仕事の両立はそう楽なものではない。大きな選択なのである。したがって離婚にかんして「夫婦の問題を親子に持ち込むな」「夫婦は壊れても親子は親子」といった考え方は、短絡的であると私は考えている。それがどれだけ事実を反映しているのかはさておくとしても、子どもがいる場合は「子どものために」離婚する親はとても多く、夫婦や親子の問題は二者の関係ではなく、家族全体のなかで考えられる問題である。

 

子どもを連れて家から逃げるのが女性が多いとすれば、「離婚後に単独親権を求める親が、子どもを連れ去るケースが頻発」しているという保岡会長の言葉は意味がない。問題は、会長も事務局長もが、わざわざ「単独親権」と強調している点にある。あたかも単独親権を求めることが悪いことであるかのように描かれているが、そもそも日本の法律では単独親権しか認められていない。

 

この法案をよく読めば附則の部分で、共同親権を導入すべきであるとはっきり書いてある*2。民法の大きな根幹にかかわる変更を、このような法案で簡単に指示することは不適切である。導入には慎重な議論と検討を重ねるべきことである。

 

外国では共同親権を導入している国がすでにある。例えばアメリカでの共同親権を選択した親子の20年後の聞き取り調査としては、共同親権を選んだ親同士の関係は「かなり友好的、協力的だろう」という調査者の思い込みからは遠く、半数以上が、離婚時に対立関係にあり、離婚後も長年にわたって対立関係が続いているというものがある。


対立関係にある親が共同親権を選択した理由は、母親から離婚を言い出したケースが多く、母親の多くは単独親権を望んでいたが、夫の要求に「屈して」、取り決めに妥協したのだという。離婚原因は、夫のアルコール依存症、虐待などさまざまであるが、訴訟を避けるためか罪の意識からか、共同親権を選択した。父親の多くは家族の住んでいた住居に残り、母親が小さな住居に移っている(当時は家族の住んでいた家には、母親と子供が残るのが通例だった)。共同親権となった場合は母親に支払われる養育費が減額されたり認められなかったりする結果となり、父親に較べると母親は家の維持にかかわる経費を負担する余裕がなかった(『離婚は家族を壊すか―20年後の子どもたちの証言』Constance Ahrons 著よりまとめ抜粋

 

共同親権を導入するとしたら、子どもを連れての旅行や転居にも許可が必要となる。転勤を命じられても、受けられないことも起きてくる。養育費の算定も変わってくる。それこそ学校の選択から子どもの歯列矯正まで、すべてに取り決めが必要である。面会交流や子どもの共同監護をサポートが何もない状態で、女性が経済的に自立するのが難しい現代の日本で、共同親権を導入する機が熟しているかどうかにはそれこそ国民的な議論が必要であろう。離婚というのは、夫婦関係の破たんを意味する。共同親権でうまくいく父母は、単独親権であっても協力し合えるだろうというのが偽らざる感想である。うまくいかない夫婦の場合、子どもを媒介として、相手の人生にずっと影響力を及ぼし続けることが何を意味するのかも、考えなければならない。

 

共同親権や子どもの面会交流は権利であるといっていいし、否定することはしない。しかしそれは子どもの権利というよりは、もう片方の親の権利である。この議論での危惧は、離婚したあとに両親と交流することこそが健全で、そうでないと子どもが健全に育たないかのような記述が散見されることである。ただでさえ「健全な」家庭に較べて、シングル家庭は「健全ではない」と差別されがちである。離婚してまでも、両親と会っていないから、片親だけだから「健全ではない」というレッテルを貼るのはどうだろうか。さらなる差別にさらされるのではないか。議論の際に、いまいる子どもたちを傷つけないように配慮していただきたい。

 

*1 この記述のあとに、「さらに」として、面会交流促進の重要性が記述されている。
*2 親子断絶防止議員連盟の総会で配布された要綱と法案は、面会交流等における子どもの安心安全を考える全国ネットワークのHPで読める。この法案に対する疑問なども、掲載されている。
* 面会交流などに関してはまた後日記事にする予定である。

 

 

離婚した親に求められる覚悟―親子断絶防止法の問題点(2)
千田有紀 | 武蔵大学社会学部教授(社会学) 2016年10月20日 6時59分配信


親子断絶防止法に対する懸念が各方面から出されている。日米首脳会談ときに、オバマ大統領への日本側からの「手土産(当時の報道)」として、あまり審議されることもなく、ハーグ条約国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約)を締結したからには、国内法にも手を付けることになるとは思っていた。


アメリカの「外圧」には逆らえまい。しかし今回の親子断絶防止法案は、あまりに現状を踏まえていない。「子どもの福祉」を理由とするならば、当事者の子どもの声を聴いたことがあるのだろうか。

 

私の専門は家族社会学である。授業が終わるとコメントペーパーを提出してもらうのだが、ときに自分の経験を書いてくれる学生がいる。少なからぬ学生が(3組に1組の結婚は離婚に終わるのだから当然であるが)、「自分は離婚家庭の子どもである」と教えてくれる。しかしそこで、「別れた親に会えなくて辛い」もしくは「親に会えなくて自分の健全な成長が阻害されてしまった」と書いてくる学生に会ったことはない。むしろ、面会交流によって傷ついた具体的な経験がこれほどあるのかと、驚いた。なるほど面会交流というものは、親のほうも覚悟を問われるのだなと痛感した。私たちはそのことをどれぐらい理解し、覚悟しているだろうか。

 

まずもって子どもが傷つくのは、親の再婚である。離婚した親も、また新たな家庭を築くことは多い。若くして離婚すればなおさらだろう。そのときに、「新しい家族ができた、新しい子どもができたから、もうあなたとは会えない」と子どもにいうことは許されない。一度捨てられた子どもが、また捨てられることになるからである。再婚相手が「もう子どもに会わないで」といったら? 再婚した相手が、前の結婚でできた子どもに会うことで傷ついたとしたら?それでも面会交流を始めたのであれば、「新しい家族ができたから、もう君はいらないよ」とは決していってはいけないのである。

 

ましてや泊りがけで交流していた場合には、新しい再婚家庭にも泊まりに行くことにもなるだろう。例えば母親が再婚した場合は、見知らぬ男性のいるところに子どもを預けることになる。新しい新婚家庭に、突然子どもが来ることになる。相当ハードルは高いと感じないだろうか。少なからぬ子どもが、義父母との関係で、ときにはっきりといえば虐待によって、傷ついていることにいたましさを感じた。


もちろん、義理の関係だから虐待が起こるというのはステレオタイプであり、義父母への侮辱でもある。しかし親になる経験を積む過程もないままに、前の結婚を思い出させる子どもの親になるということは、並大抵のことではない。もしくは、連れ子と揉めることもあろう。面会交流を義務化するということは、そういうことが至るところで起こる社会を、選択するということである。

 

またよく見られるのが、同居親への悪口である。「お前は、お母さん(お父さん)に洗脳されているんだ」というのは本当によくある。「あいつはダメな奴だった」というような悪口。「いまどうしているのか?」という探りを入れられる。つまりは、葛藤のある夫婦関係のまま面会交流を続けるということは、子どもをその葛藤の間に立たせ続けるということなのである。
また養う親も、「公正証書まで交わしたのに、養育費を払わない夫の貯金残高を、子どもが教えてくれた。腹立たしい!」と知りたくもない状況を知ったり、「勝手にガールフレンドに会わせて。新しい恋人をつくるのは勝手にしてくれればいいけど、長続きするかもわからないのに、子どもを巻き込まないで欲しい」というのもある(養い親のほうは、個人的な調査による)。面会交流がなければいわずに済んだ相手の悪口を、子どもにいうこともある。


現在面会交流を行っていない親子は、6割だという。
しかし養育費を支払っていない親は8割である。原則的に、面会交流の権利は、養育費の支払いとリンクしてない。つまりお金は払わないのに、子どもに会うというのは、違法でも何でもない。


確かに裕福ではない親の面会交流権が侵害されてしまうから仕方ないのだが、子どもはこれにも微妙な感情を示す。「正直にいって、会わなくてもよかったから、きちんとお金を払って欲しかったです」。お金で愛情は買えないが、子供の成長のために必要なお金を払うというのは、立派な愛情表現である。それなのになぜ、この法案に養育費の規定がないのだろうか。

 

「たまに会いたいと思うときもある。けれど大抵のときは会いたくない(実際に面会交流をしている子ども)」。普通の人間関係もそうである。親しいときもあれば、ちょっと上手くいかないときには距離を置く。そうやって気持ちを整理したり、確かめたりしながら、よい関係を保っていく。それを「月に何回会うこと。何時間会うこと。

それが望ましい」と国家が具体的に基準を決めて命令するというのは、私にはかなり違和感がある。また「監護権を持っている親に会わせる義務がある(履行されない場合は違約金を請求できる)」という形態にはなおさら違和感がある。国家がすべきなのは命令ではなくむしろ、面会交流をサポートすることなのではないか。おそらく上記の学生の意見には、「きちんと定期的に頻繁に会わないから、会いたくないなどという気持ちが起こるのだ。もっときちんと会う回数を増やして、絆を形成すること」といわれるのだろうけれど。

 


『Q&A 親の離婚と子どもの気持ち よりよい家族関係を築くためのヒント』(NPO法人Wink)では、子どもの立場から「会いたくない」という子どもの質問に対しての回答がある。本当に会いたいと思っている場合は、会ったほうがいい。しかし会いたくないと思っているケース。


私の場合、会いたいと思ったことは一度もありませんでした。母からはいつも「会いたくないの? 会いたければいつでも会えるよ」と言われてきましたが、何度聞かれても会いたい気持ちにはなれませんでした。…だから周囲の大人から「ほんとうは会いたいのに我慢しているの?」「強がらなくていいんだよ」などと言われることを、不愉快に思っていました。怒りすら感じていました。私は強がっているわけでも無理しているわけでもなく、ほんとうに会いたいという感情がわかなかったからです。

 

私のように本心から「会いたくない」「会う必要がない」と思っている子どももいるので、大人の想像だけで、子どもに無理に強要したりはしないでほしいと思います。私同様、幼いときに親が離婚した子どもの声を聞いてみても、答えはさまざまですが、大人が考えるよりもドライな意見が多かったです。…

 



会いたくないというほかの子どもたちに聞いても、「はじめは会っていたけれど、会いに来なくなった」…など、親のほうから先に関係を断っているケースが多くありました。親子関係を親のほうが放棄してしまうことは問題であり、そのような身勝手な親のせいで、子どもが無意識に自分の存在を否定してしまう恐れがあることを知ってほしいと思います(NPO法人Wink『Q&A 親の離婚と子どもの気持ち よりよい家族関係を築くためのヒント』より抜粋)。

 

この法案で徹底的に無視されているのは、子どもの意志である。
なかには「面会交流が楽しかった」という意見もある。それは、「ときどき父母と一緒にレストランでご飯を食べる。とても楽しい。そういえば最近はしていないけれど」というものである。離婚しても親同士が一緒に食事、よく言われるように、せめてお茶くらいは飲める関係であれば、楽しい時間が過ごせるのだなと痛感した。お互いの都合で、したいときに交流を実施しているというのもあるだろう。この素晴らしい関係を維持できているのには、ご両親の努力の賜物だろう。


しかしこの関係は、単独親権で、面会交流を法律で命じていない現状で、可能になっているのである。どちらかが相手に恐怖を感じるような関係に命じるのは、無理である。

別れても共同で子育てすることは、うまくいけばとても素晴らしいことだと思う。一人で子育てをするよりは、責任を分かち合ってくれるひとがいるほうが、どれだけ心強いか。そういうことのできる相手や関係であれば、誰にも拒む理由はないのではないか。繰り返すが、それは現行の単独親権でも可能である。

 

法律を作成するときには、「うまくいかない最悪のケース」を想定して欲しい。葛藤のなかに子どもたちを投げ入れることを義務化するのではなく、国家には面会交流をサポート役を求めたい。こちらのほうは、まだまったくされていないからである。アメリカの共同親権や面会交流は、それをサポートする手厚い制度によってなんとか成立しているものだからだ。日本の現状では、この法案の実現はまったく無謀である。

 

もうひとつ面会交流のメリットとしては、現実の親を知ることで、理想化することなく、「これなら離婚するのは仕方がない」と子どもが納得することも挙げられるかもしれない。メリットとして挙げてよいかは、迷うところだけれども。面会交流の過程で、親が約束を守らなかったり、いい加減だったりして、子どもが傷つくということは多々起きている。面会交流をするということは、「相手の悪口を言わない」をはじめとして、結婚当時はできなかったかもしれない「立派な親」になる覚悟を、両方の親に要求することでもある。(続く)

 


*親子断絶防止法案の問題点―夫婦の破たんは何を意味するのかでは、DVによる子どもを連れての避難があることを認識しながらも、それに具体的な方策を講じることなく禁止し、共同親権という重大な民法上の変更を附則で盛り込んでいることについて、書かせてもらった。


*親子断絶防止議員連盟の総会で配布された要綱と法案、懸念などは、面会交流等における子どもの安心安全を考える全国ネットワークのHPで読める。