ソウルヨガ

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宮崎駿の指摘に思わず拍手したーー「首のない人間」の変な動きを面白がる感性と批判する感性

 

 


NHK『終わらない人 宮崎駿』を見た。何してるんだろうと思ってとくに期待せずに見ていたが、ある場面が光っていた。


それは、宮崎がCGを使って短編映画を作ろうと格闘しているあるとき、その種のCG制作会社(有名)の人が《こういう面白い画像がCGで作れますよ》という話を持ち込んできた場面。

 

それは「首のない人間」が変な動きをするようなもの。人が考えて作るようなものではできない動きだ、面白いでしょという感じで、CGの特性として、ゾンビ系のゲームなどに使えるでしょう、なかなかすごいでしょ、というプレゼンだった。


それに対して私は違和感を持った。その時、テレビのなかの宮崎が、笑うことなく、つぎのようなことをただちに言った。(正確ではない。再放送があれば確認したい)


私には障害のある友人がいる。ハイタッチひとつでたいへんだ。このCG映像は、そうした障がい者がいるということを念頭に作っていないでしょ。これは人間に対する感覚がない。人の痛みというものがわかっていない。こういうものを作って、どこに行こうとしているのか。笑えない。おもしろくない。きわまて不愉快だ」

 

私はこのシーンに、思わず拍手した。予定調和のテレビの世界の中で、本気の緊張感が流れた瞬間だった。


宮崎のまともな感性、若い世代や時代に媚びずに、自分の感覚でおかしいと思うものにおかしいという勇気を見た。

 

CG制作会社の人たちにはも言い分はあるだろう。しかし決定的に欠けている問題の側面を宮崎がずばっと指摘した。それは今の日本社会に欠けているものだった。

 

私が不愉快に思った、違和感を持ったのも、宮崎が言わんとすることだった。私は学生のころから障がい者運動にかかわってきたし、青い芝の脳性麻痺の人たちの動きは、「ゾンビ的で気持ち悪いとかといって面白がっていたCG画像の様子」と類似していたからだ。

 

でも私があの場面に居たら、直ちにずばっとは言えなかったと思った。「確かに面白い動きですね。すごいですね」と一度は褒めてしまい、表情もニコニコと作り笑いをしてしまうだろう。つまり少し媚びてしまうだろう。そしてその後におずおずと、「ただ、私は障がい者の人に長らくかかわってきたので、当事者の人がこれをみたらいやな気持になる人もいるんじゃないかと感じたんですが、そのあたりどう考えておられますか?」というような言い方になってしまうだろうと思った。

私は宮崎よりも、いまの社会の空気に毒されてしまっていると感じた。

 

 

相手(有名な会社社長)があることなのでこの場面をカットするのがNHKとしても無難な番組作りだたっと思う。だが、カットせずに見せた。それはちゃんとした勇気だと思う。

 

このシーンがあることで、とってもいい番組だったといえる。

(再放送が火曜日夜中24時にあるようです)