ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

主流秩序・ジェンダー秩序の講義を受けて学生が本気で告白したこと

 

主流秩序・ジェンダー秩序の講義を受けて学生さんたちがレポートでいろいろ自分のことを語っています。
面白いものがあると思うので、よければ見てやってください。


3つの大学のものです。

◆『主流秩序・ジェンダー秩序の講義を受けて学生が本気で告白したこと―――A大学・ジェンダー論講義のレポート(学生本NO5)』(電子書籍、2017年3月)

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◆「主流秩序概念を使って自分を見つめたら―――学生さんの本NO6」(電子書籍、2017年3月)

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◆『私はこの講義を受けるまで深く考えたことがなかった―――主流秩序と私』(電子書籍、2016年12月)

 

 

これらは、「アマゾン」のHPで「伊田広行」あるいは「イダヒロユキ」あるいは本の表題で検索してもらえると見つかります。1冊1ドル、110円程度です。

 

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 「はじめに」を紹介しておきます
はじめに

本書は、ある大学の2016年度ジェンダー関係の講義のレポートの一部である。
主流秩序概念と突き合わせて、様々な学生の考えが語られていておもしろい。ぜひ読んでほしい。

 

まず、小さなお子さんや高校生までの子どもを持っている親御さんや先生たちに読んでほしい。あとでこういうことを子どもたちが書いてくるということを知って、主流秩序への適応だけを押し付けるような関わりをしていないか、してこなかったか、反省してほしいと思う

 

次に世間一般の人、日本はいい社会だと思っている人に、こんなに多くの若者がいろいろな主流秩序にとらわれ苦しんでいるということを知って考えてみてほしい。
ジェンダーに関しても問題がないと思っている人に、こういうかたちでの、ジェンダー秩序へのとらわれがあるのだと知ってほしい。

 

多くの若者が、様々な序列構造にとらわれ、差別、いじめ、弱肉強食は仕方ないと思っている。こんなにも人と比較して自己肯定感を低くしている。こんなにもダイエットや化粧・かわいくなることにとらわれている。学歴にとらわれている。そして自信を奪われたり、変な優越感に囚われたりしている。

序列があること、格差があることを当然と思っている。どうしようもないとあきらめている。
苦しさに目を向けていない。頑張り切れなかった自分が悪いと思っている。
格差がある社会に無関心である。

 


内部告発などしたら自分も会社も不利になるから、黙る方がよい。そんなものだと思っている。自由や正義より安定だという。競争しかない。
相手を蹴落としてでも上昇しなくてはと思っている。
だから競争で負けたものが下にいて格差があっても仕方ない、努力不足だと思っている。太っている人は努力不足と思っている。

 

 

そういうことをそのままに、それに向き合わずに、多くの大学の授業が行われている。むしろ主流秩序の上昇をあおった授業が数多くなされている。そこに切り込みたかった。

私は、ジェンダー論を、自分から切り離しての「学問」にしているようなことに違和感があった。初期のフェミやリブの勢いがいつの間にか減ってきていると感じていた。賃金格差がありますよとか、国際的な男女平等ランキングが低いですよ、それは女性の政治家や起業家が少ないからですよといったことを知って、少し外国の理論家の概念をつけて、もっと女性が活躍しよう、というような今の体制と親和的なジェンダー論に違和感がある。美しくなること、結婚制度への批判性が低下し、自ら有名になって活躍しようとするような「ジェンダー論者」もいる。

 

 

それはまたまた勝ち組女性を養成しようとしており、ジェンダー秩序を強化しているではないかと思う。親の期待・承認欲求問題や能力主義成果主義を問わないで、男と互角に対抗して主流秩序・ジェンダー秩序の上位に行こうとするような、高い講演料を受け取っていることを恥をもって顧みないような、男女共同参画ジェンダーを語る人たちに違和感を持った。

 

 

それでは美人でコミュニケーション能力が高くて賢くて活躍して、いい男と結婚する人生がいいと言っているようなものだ。それができる女性は一握りで、全員がそうはなれない。なぜならそこは主流秩序=偏差値構造だからだ。パート女性も失業女性もいる。美しさの序列で負け組の女性、結婚しない/できない女性もいる。性的マイノリティの多様な「女性」やその周辺的なあり方の人もいる。

 

男女二分法に乗って勝ち組女性のためのジェンダー論や、インテリが小理屈をいって自分が主流秩序の上位に行くための道具になっているようなジェンダー論(ジェンダーを語る論)になっているものもあるのではないか。主流秩序を意識しないと、そうなりやすい。

 

 

そしてそんなジェンダー論が魅力がなくて、何か大事なことに切り込めていなくて、日本社会全体や多くの大学においてフェミニストの観点、ジェンダー論に人気がなくなっているように感じる(もちろん、一部、面白いジェンダー論を展開している人はいると思うが)。

 

 

世間はジェンダーフリーなどという言葉をほとんど忘れているし、それが目標とも思っていない。「女性が活躍しましょう」と言って、エリート女性を増やせばいいと思っている。フェミニストって誰、ああ一部のうるさい女性ね、と思っている。女子学生も。(もちろん、素朴な男女平等志向の学生もいるが、全体の雰囲気はバックラッシュの後の日本社会は、性差別反対とは全く違う水準で動いている。)男女平等・女性活躍とかは言っても、親の期待にそうということでジェンダー秩序は強く再生産されている。

 

で、私としては、自分の生き方の変更も反映して、自分なりの主流秩序論(ジェンダー秩序把握)と結びつけるジェンダー論の講義を行った。学生さんたちの反応を読めば、どうも毛色が違うジェンダー論だったんだなとわかるだろう。学歴やダイエットや就職や恋愛や収入ということが、親の期待、世間体、人との比較競争、幸福感というものを通じて根深く各人に巣喰っている。そこにジェンダー再生産がある。男女平等と自分が矛盾しているということを自覚しない状態。そこから考えていくジェンダー論。

 

 

こういうジェンダー論があってもいいと思う。ジェンダー関係の教員・研究者・活動塚などは、もう一度、心を出発点に戻し、一から考え直し、ここにあるなにやら新しそうな切り口に耳を傾けてほしいと思う。主流秩序論の提起を受け止め発展させていってほしいと思う。

 

幸せとは何か、女性(男性、LGBT、各人)の自立とは何か、を主流秩序の上昇ではない形で考えるジェンダー論。ドランクドラゴン鈴木さんの意見に共感する学生が多い現実から出発し、そこと本気で向き合うジェンダー論。


「おかしいと思うことがあっても、しょうがない、まぁいいかで済ませ、考えることをしてこなかった」。これを問いなおすジェンダー論。
いい大学を目指すこと、いい会社への就職、おしゃれし恋愛し結婚すること、子どもを持つことを深いレベルで問いなおすジェンダー論。

 

 

短い講義で、急には消化しきれなかった学生さんも多い。テキストについても、ちゃんと読み込んでいる人は一部だ。でも変化は始まっていると感じる。考え始めていると。
今までとは異なる水準で自分の囚われとしてジェンダーをとらえていこうとする試みの一端を見ていただきたい。

 

数日の集中講義で、こんなにも考え始めている。変わる可能性を潜在的にもっていると感じる。こうしたことを投げかけ、考えさせてこなかった日本の教育や親や学校、社会の責任は大きい。安倍やトランプや橋下や石原が人気があるという事実に、どう対抗するかという問題だ。

 


ここを問題としなくては、フェミニズムも、女性解放も、ジェンダー平等、セクマイの解放も、そして社会の民主化も、ないではないかと思う。
いまの社会の権力者、たとえば安倍政権にすり寄って少し「成果を獲得」するという現実主義的戦略もあるだろう。過去、戦争中、労働組合も女性活動家も部落解放論者の仲にも、その路線をとるものはいた。で、あなたはどうするのかということだ。

 

「底の浅いインテリ・評論家たち」が論じるようなフィールドでは放置されてきたこうした領域からの各人の変化の重要性を訴えたい。

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