2016年制作のフランス映画『女の一生』が12月から公開される。
その試写を見た。
なかなかよかった。 お嬢さんが受け身の生き方で、不幸な一生を送る。
馬鹿な夫に、ばかな息子。不倫。
昔ならこの映画を詰まらないといって切り捨てていたと思う。
でも、いまは、まあ、人の一生とはこんなもんだなという思いで見られた。
モーパッサンの原作の原題は「女の一生」ではなく「ある人生」というもの。
主人公の女性だけでなく、それにまつわる多くの人の人生、生き方を描いた。 ささやかな普通の愚かな人の人生。しかしそこにも、喜びも輝きもあるし、愚かさも、愛情もある。
それを描いた。そこ氏の輝きで何とか生きられる。苦しく生きるのも人生。
エリートや権力者の戦いや成功の記録ではなく、ある人生をそのまま描いて、何かかなり普遍的な多くの人の人生を描いた。
それでも私は言う。
シングル単位視点がないからこうなっている。課題の分離ができていない。 何故このおろかさを続けるのか。不可避の必然、運命ではない。
また別の人生も、同じ人にありうる。
少なくとも今の時代に、適切な教育や情報、支援を受ければ、と。