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日本政府が認定した日本軍「慰安婦」関係資料の範囲と境界 その3 

日本政府が認定した日本軍「慰安婦」関係資料の範囲と境界 その3 

 

 

4, 「強制連行はなかった論」の進行

 

 限りなく制限条件を付けたこの答弁書の「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という文言は、その後「強制連行を示す文書は無い」⇒「強制連行は無かった」⇒「『慰安婦』被害者は嘘つきだ」⇒「『慰安婦』はいなかった」へと次々とエスカレートし、ヘイトスピーチにつながっていくことになる。

 このエスカレートは日本政府によって支えられ、そして、日本政府自らがその道に落ち込んで行ったのである。

 

 第二次安倍政権は、河野談話を亡きものにしようとしたが、国際世論の反撃にあい安倍内閣河野談話村山談話の継承を表明するが、その骨抜きを図ることに方針転換をしたと思われる。[i]

2014年4月に内閣官房に「河野談話作成過程等に関する検討チーム」を発足させ、その報告を同年6月20日に公表した。[ii]

 

この報告書によると1991年10月ごろには既に「一部に強制性の要素もあったことは否定できない」との認識を日本政府が持っていたことが確認されている。しかし、報告書の結論は「(河野談話までに集めた)これら一連の調査を通じて得られた認識は、いわゆる『強制連行』は確認できなかったというものであった」と断定させるものであった。

 この報告書を受けて菅内閣官房長官は、2014年10月21日に、国会で「まさに強制連行を確認できない、示す資料がなかった」との答弁をした。[iii]

 そして、2015年12月の「日韓合意」後の2016年2月16日に、国連の女性差別撤廃委員会の席上、日本政府を代表して外務省の杉山外務審議官が、期間限定条件無しに「日本政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる『強制連行』を確認できるものはなかった」と発言をエスカレートさせている。

 

5. 「慰安所」での性奴隷状態こそ日本軍「慰安婦」問題の核心

 

 

 

前述のとおり、日本政府は「強制連行」を示す文書は無いと今日まで続けている。だが、問題の核心は「強制連行」の有無にあるわけではない。「慰安婦」被害者の証言の中には「同意」して行った人もいる。「同意」があったとしても、「慰安所の生活」は同意した人の想像を絶する性奴隷的なものであった。彼女たちは、そこから自由に逃れることはできなかった。「慰安所」での性奴隷状態こそ日本軍「慰安婦」問題の核心なのである。

 

この四半世紀の市民、研究者の闘いの中で、多数の「慰安婦」関係文書が発見され、調査・研究が進んだ。その結果、日本軍の「慰安婦」制度は、当時においても国内法、国際法に違反する重大な人権侵害であり、それを組織的に、計画、実施した主体が日本軍と日本政府であったことが証明されているにもかかわらず、未だに日本政府はその加害事実を認めようとしていない。

 

2015年12月の「日韓両国政府の「慰安婦」問「題に関する合意」の事実認定も「日本軍の関与」というものであった。この「軍の関与」という表現こそ「慰安婦」問題の本質を覆い隠し、解決せずに政治的に閉じ込めてきた元凶ではないかと思われる。

 それは何故か、そこには、違法な人権侵害を行った日本政府の法的責任を認めることだけは避けて問題を終息させたいとの日本政府と官僚たちの思惑が透けて見える。その思惑の結果、日本政府が保有する「慰安婦」関係資料に怪しげな範囲と境界線が引かれることとなった。

 

 

 本年2月22日に開催された国連の女子差別撤廃委員会で、韓国政府代表団の鄭鉉栢(チョンヒョンベク)・女性家族相が旧日本軍の慰安婦について「性奴隷」との表現を使ったことに対し、日本政府は「『性奴隷』という言葉は事実に反するので使用すべきではない」と抗議したと伝えられている。[iv]

 

 

6. 日本政府の文書操作のトリック

 

 

 日本政府の機関が保有している「慰安婦」関係資料のうち、「政府が発見した資料」として河野談話の時までに内閣官房に送られた文書は、若干の例外はあるが「軍の関与」を示す範囲の資料に限られていた。

 

その若干の例外とは、国会で取り上げられたり、資料の存在がマスコミで報道されたりしたものだけである。しかも、それらの資料は巧妙に別な物とすり替えられた。

1992年7月21日、朝日新聞(夕刊)が「ハーグ軍事法廷資料 本社入手」として、100頁を超える「バタビア臨時軍法会議の記録」を入手したことを報じた。

 

この報道に対し外務所はただちに「対外応答要領」(1992年7月23日付)を作成した。[v]

その「対外応答要領」には、「(報道された)ハーグ公文書館保存の裁判記録については、我が方在蘭大使館を通じて入手予定」とされている。そして、当該文書を入手した5日後の7月28日付で「オランダ人従軍慰安婦問題」と題する対応策をまとめ、内閣官房の外政審議室に伝えることとしている。

 

その対応策は「その判決が事実を真に反映していたか否かは別問題である」として、事実の解明は行わず、「お詫びと反省の気持ち」の表明をオランダに伝えるとともに「日蘭間の戦争に係る請求権問題は解決済み」とするものであった。[vi]

 

この件について、1992年12月4日に国会で取り上げられた。その時、政府は「法務省におきましても、同省保管の裁判関係記録、これはオランダ人慰安婦の関係でございますが、この資科の調査を現在行っているところでございます。これらの資料につきましては、いずれ法務省の調査がまとまりました段階で、内閣官房で取りまとめた上で御報告をいたしたいと思っております」と答弁した。[vii]

 

この答弁で日本政府は二つのトリック操作を行い成功させた。一つは、外務省が当該文書をオランダから入手した事実を説明せずに隠したこと。

もう一つは、「法務省におきましても、同省保管の裁判関係記録、これはオランダ人慰安婦の関係でございます」と「外務省が入手したオランダ人慰安婦の関係」文書と、従来から法務省保有していた「同省保管の裁判関係記録」を差し替えることをしたのである。これによって、外務省が入手したオランダのセマラン関係文書は闇の中へ隠されることになった。

 

だが、新聞報道もあり、国会でも取り上げられた「ハーグ公文書館保存の裁判記録」について、河野談話の発表の時の調査報告で触れないわけには行かない。

 

それで、法務省は、文書そのものは提出せずに「いわゆる従軍慰安婦問題に関する戦争犯罪裁判についての調査結果の報告」を内閣官房に提出することにした。

その報告書は「法務省において保管中のBC級戦争犯罪裁判に関する資料のほとんどは、我が国が公式に入手したものではなく」と文書の入手経路を隠し、セマラン慰安所事件の文書が法務省に存在することを報告した。

 

その報告を受けた内閣官房外政審議室は、文書の有無を明言せずに、「調査の結果発見された資料の概要の中に「バタビア臨時軍法会議の記録」としてセマラン慰安所事件の判決概要を書き込むことにした。

 

ここでも、オランダ国立公文書館から外務省が入手した「バタビア軍事裁判記録」は「政府が発見した資料の中には」から隠され、無いことにするトリックを使った。[viii]

前術の4で述べた「河野談話作成過程等に関する検討チーム」の報告書によると、1992年10月に内閣外政審議室と外務省が「慰安婦」問題について「今後の方針」を協議したことが記されている。

 

その後、外務省への情報公開請求で、前記の「オランダ人従軍慰安婦問題」などを市民が発見し、国会で追及されることとなった。[ix]

この国会質疑で、「この『バタビア臨時軍法会議の記録』は公式文書ですか」との問いに、政府は「記録中の決定書を含めまして、その取得または作成の経緯などに関する当時の資料が確認されていないなど、当時の状況が明らかでないため、お答えすることは困難でございます」と答えている。

 

そして、「外務省は、この裁判記録をオランダの公文書館から入手したのですか」との問いに、「御指摘の裁判に関する文書は、在オランダ大使館を通じて入手したとの記録が残されております」と答え、「入手したとすれば、内閣官房に提出したのですか」との問いには、「外務省において調査をしましたところ、当該文書ないしその写しを引き渡したかどうかは確認できておりません」と答えている。

 

 更に、「外務省は、この原資料を保管しているのですか」との質問に、「当該文書が保存されているかどうかについては確認できておりません」と答弁している。結局、外務省が入手した100頁を超す文書の行方は明らかにされずミステリー状態になっているのである。これが2017年2月3日まで「強制連行を示す文書は無い」と日本政府が言い続けていた実態であった。

 

 

 

7. 日本政府の「慰安婦」関係文書の範囲と境界

 

 (1) 「日本軍」慰安婦関係資料のリストと原本の閲覧方法

 

 日本政府は、収集した文書リストを収集先別に一連番号を附して整理し、「文書リスト」(概要一覧)を作成している。日本政府作成のこのリストは、加藤官房長官調査結果の発表時と河野談話の時に公表されている。その二つのリストに無く河野談話以降に収集したものは情報公開請求で開示した。だが、2017年2月3日に国立公文書館から内閣官房に送られた戦犯裁判関係の19冊182点の文書リストは、国会議員の一部に知らされただけで、まだ一般に公表されていない。

 

 この文書入手の公表要求に対し、日本政府は本年1月26日に神本参議院議員に対し「検討はしましたが、従来通りといたします。つまり、いただいた文書については、行政文書として管理し、請求があれば一般、議員にかかわらず公開し、関係省庁とは必要に応じて共有をする。」との回答を寄こし、自ら進んで公表しようとはしていない。

 

 

既に公表された三つのリストについては、日本の「アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館(wam)」のホームページからリストを見ることができるので、wamの尽力に感謝するとともに、そのアクセス方法をここに紹介する。

 

 

「wam」のホームページ http://wam-peace.org/ ⇒ 「『慰安婦』を知ろう」をクイック

 ↓

河野談話発表後に発見された文書等」⇒ 日本軍「慰安婦」関連公文書のページに転換される。

 このページの最後部の「日本軍「慰安婦」関連公文書ウェブサイトをご覧になる方へ」をクイック、

 http://wam-peace.org/ianfu-koubunsho/

 

 ↓

 

「日本軍「慰安婦」関連公文書ウェブサイトをご覧になる方へ」のべージに各種リストのリンク貼り付

けられている。そのアイコンをクイックするとリストにアクセスできる。

http://wam-peace.org/ianfu-koubunsho/intro.html

 

 

また、「日本軍「慰安婦」関連公文書」のページの上段にある「日本政府認定済公文書一覧」と「日本

政府未認定公文書一覧」から、日本政府がどの文書を収集し、どの文書を排除しているかが分かる。

 

 

「日本政府認定済公文書一覧」 http://wam-peace.org/ianfu-koubunsho/list/k-all-list.html

「日本政府未認定公文書一覧」 http://wam-peace.org/ianfu-koubunsho/list/m-all-list.html

 この一覧からは、文書の原本も閲覧できるようになっている。

 

 

 

 (2) 日本政府が敷いた境界線とその崩壊の始まり

 

日本軍「慰安婦」関係文書は、事実認定の観点からは、大きく二つに区分することができる。一つは、「軍の関与」を認定するためのものとして内閣官房が入手した文書。もう一つは、それを入手すれば「軍の関与」の範囲を超えて、「軍が実施した」ことによる法的責任が問われることになる文書であり、日本政府は、この二つの区分に明確な境界線を引いてきた。

 

しかし、2014年春の第12回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議以降、その境界線が崩されつつある。

 「軍と政府が実施した」ことを示す文書の一つである「営外施設規定」を2014年4月に政府は防衛省から入手した。[x]

 

2015年5月には、国立公文書館から東京裁判資料から「日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告」(ポンチャナック事件文書)が内閣官房に送られた。[xi]

 

このポンチャナック事件文書には、「婦人タチハ鉄条網ノ張リ廻ラセラレタ是等ノ性慰安所に強制収容サレマシタ」、「慰安婦ヲヤメル許可ハ守備隊司令カラ貰ワネバナリマセンデシタ」、「海軍特別警察隊(特警隊)ガ其等ノ性慰安所慰安婦ヲ絶エズヨウニ命令ヲ受ケテイマシタ」などの強制連行と慰安所の性奴隷状況が記述されている。

 

2017年2月3日には、前述した19簿冊182点の文書が国立公文書館から政府に送られた。この文書の内容については後述する。

 

同年6月2日には、国立国会図書館から政府に『労務調整令事務取扱関係通牒集(1)』が日本軍「慰安婦」関係資料として送られた。そこには「○ノ要求ニ依リ慰安所的必要アル場合ニ厚生省ニ稟伺シテ承認ヲ受ケタル場合ノミ認可ス」との記述があり、軍と政府が稟議して「慰安婦」女性の動員を行っていたことが確認できる文書である。

 

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[i] 参議院予算委員会平成26年3月14日)における安倍総理答弁 

日本外務省ホームページ http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/rp/page23_000875.html

[ii] 日本外務省ホームページ http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000042166.pdf

[iii] 前記脚注の8と同じ

[iv] 朝日新聞レジタル https://www.asahi.com/articles/ASL2R0GLVL2QUHBI02Z.html

[v] 前記『日本軍「慰安婦」関係資料21選』101頁

[vi] 前記『日本軍「慰安婦」関係資料21選』102頁~105頁

[vii] 日本国会会議録 第125回国会- 衆議院- 外務委員会- 2号 1992年12月04日、五十嵐広三議員質疑

[viii] 前記『日本軍「慰安婦」関係資料21選』95頁~116頁

[ix] 日本国会会議祿 第186回国会-衆議院-内閣委員会-15号 2014年04月23日 赤嶺政賢議員質疑

[x] アジア歴史資料センター レファレンスコード C13010769700

[xi] アジア歴史資料センター レファレンスコード A08071307600 183枚目