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経済評論家・三橋貴明氏のDV事件反論の問題点

経済評論家・三橋貴明氏のDV事件反論の問題点

 

ネットでの「デイリー新潮」2/20(火)の記事「経済評論家・三橋貴明氏が自らの“夫婦喧嘩で逮捕”の顛末を語る」(以下、記事と略)で、三橋貴明氏が自分のDV事件について反論/言い訳を書いている(インタビューで語っている)。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180220-00538101-shincho-soci&pos=3

 

カウンセリングに行って少しDVについて学び始めているようだが、都合よく自分を正当化してDV理解の点で多くの誤りがあるので、ここでふれておきたい。

目的は、有名人の事件を通じて、DVについての正しい認識が広がる契機としたいと考えての、正しい情報提供である。

 

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  • 事件の概要

2018年1月、東京都港区で、経済評論家の三橋貴明(本名・中村貴司)(48)が妻を殴るなどしてけがをさせたため傷害の疑いで逮捕された。

 高輪署によると、逮捕容疑は2018年1月5日午後7~9時ごろ、自宅で10代の妻を転倒させて腕にかみついたり、顔を平手で殴ったりして約1週間のけがを負わせたというもの。口論が発端になったといい、妻が110番通報して発覚した。

警察沙汰は今回が初めてではなく、2017年、妻からの2度の通報を受け、警察は三橋氏に暴力をやめるよう警告していた。三橋貴明容疑者は離婚を2回しており、いまは3人目の妻。

元妻の女性作家は、2015年6月に「DV加害者の二枚舌と“共犯者の存在”」と題した記事を掲載し、「DV・虐待について勉強することを、私はライフワークのひとつとしている」「(DVは)家庭内のいざこざ」というよりも「殺人未遂」という方がより真実に近い、DVをする人の特徴を「少なからずのサディスト」などと書いていた。

三橋容疑者は釈放された8日にブログで、大々的に事件を報じたマスコミに対し「わたくし共の『夫婦喧嘩』が、それほど凄い事件なのでしょうか そんなに目くじら立てて追っかけるようなネタかよ!」などと書いていた。

逮捕後、三橋氏の妻が被害届を取り下げ、夫婦間で示談が成立した。東京地検は2月6日、三橋氏を不起訴とした。

 

参考 伊田の加害者の分類

 

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  • 2月20日のインタビュー記事での、三橋貴明氏の反論とその問題点

 

三橋氏は記事内で、「1月5日の夜、私は妻に一方的に暴力を振るっていたわけではありません。また、恒常的なDV(夫婦間暴力)でもなく、文字通りの夫婦喧嘩がエスカレートし、私と妻は取っ組み合う有様でした。非常に愚かで、馬鹿なことです。そのことを今では充分に理解しています」と述べている。

 

→ ここにつけられた「恒常的な」ものではないという言い分は、DV理解の間違いの第1点目である。DVは別に恒常的なものだけがダメというものではなく、恒常的でないものもあり、恒常的でなくともDVといえる場合があるし、人権侵害行為である。また昨年も2回も妻が警察に通報しており、十分、恒常的といえる。この記事の中でも「私が19歳の妻と喧嘩を繰り返し、警察に逮捕されるような馬鹿男」と自ら述べているように、ケンカは繰り返している。元妻がDVについて述べていることから、元妻との間でもDV的なことがあったと推測できる状況である。

 

 

次に「一方的に暴力をふるっていたわけではない」という言い分も、DV理解の不十分さを表しておりこれが第2の問題点である。よく加害者は。あいてもわるい、だから夫婦ケンカに過ぎないというが、そこにはDVは一方的に攻撃するときにのみいえるという考えがある。しかし、相手の言動に対して自分が身体暴力的なことや大声などDV 的な態度で対応すれば、それは誤った行動を選択したことを意味しており、その点で加害者の責任である。 DVではないという言い訳はできない。したがって、取っ組み合い的になっていて一方的に殴っていたわけではないとしても、十分DVといえる場合があるので、「一方的絵はない」ということをもってDVでないという理解は間違いである。

 

以上より、「DV(夫婦間暴力)でもなく、文字通りの夫婦喧嘩がエスカレート」したものだという三橋氏の決めつけには説得力がない。DVでないということが何ら証明されていない。一方的でないとか恒常的でないことはDVの否定説明要因にはならないということである。それなのにこのように言い切っているのは、DV理解がまだ全くできていないことの証左といえる。DVを真摯に学び。自分のしたDVを認めていくことが加害者が変化するうえでの第一歩だが、それさえクリアできていない段階であるということが分かる。これが第3の問題点である。

 

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次に記事では、 1月17日に、YouTubeでも閲覧できる“保守系ニュース番組”「真相はこうだ! 桜便り」(日本文化チャンネル桜)に三橋氏の妻が出演したこと、そこで「110番した時は逮捕など考えていなかった」、「逮捕がマスメディアに載るとは思っていなかった」、「離婚を考えたことはない」などといったことを伝えて、「被害者である妻もDVとして逮捕されることを望んでいるのではない」という印象を出して、DV と報道したメディアが間違いであるという主張へとつなげている。

 

しかし被害者が、離婚を考えてないことや逮捕を考えていなかったことは何ら「DVではない」という説明にはならない。しかも、こうした妻の言い分がそのような趣旨で話すように説得されるなど、こうした番組で発言させられたという非自発性や誘導性の可能性も考えられる。加害者それを誘導(/強制)すればそれはまたまたDV行為といえる。少なくともそうした場で被害者にそのように語らせること自体が非常に危うい行為と思われる。そこに鈍感すぎる。

ここが第4の問題点である。

付け加えると、この日本文化チャンネル桜というメディアが、ネトウヨ系であり、フェミニスト攻撃、DVをでっち上げだなどと攻撃する傾向を持もったものであることにも注意を要する。三橋氏がDVに真摯に向き合うならば、こうしたメディアではないところで主張すべきであろう。ほかのところで通じる話かどうかも問われる。

 

 

 

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 記事「報道された「腕を噛み」の部分について、番組側のインタビューに妻は次のように説明した。口論中、三橋氏は生後5カ月の子供を抱いていた。子供が泣いたため、泣き止ますため自分が取り戻そうとしたところ、覆い被さる格好になった。両手の使えない三橋氏は押し返すため、自分の腕を噛んだ――。」」

 

→ 第5に指摘すべきは、いくらこどもを抱いていようと、相手の腕をかむという選択は異常な暴力的行為であり、DVでないという言い訳にならない。

 

 

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「平手打ち」に関して、三橋氏は1月8日のブログで、《妻がかなりきつい言葉をわたくしにぶつけ、一瞬、カッとなったわたくしは、妻の左ほほを平手打ちしてしまいました》と明かしている。

しかし記事では、「だが三橋氏の両腕がアザだらけだったのも事実だ。妻の被害届を元にして記事が書かれているため、三橋氏のケガについては触れていないのだ。 「恥ずかしながら、これまでにも夫婦で取っ組み合いをしてきました。最初は口論でしたが、次第にエスカレートしたんです。妻は警察を呼ぶ癖がつき、3回目の通報で逮捕となりました。」」と述べている。

 

→第6に指摘すべきは、カッとしてほほを手打ちしたにもかかわらず、全体としてDVではないといっている点だ。その根拠は、妻も夫をたたいて、夫にはあざができたことが挙げられている。しかし、妻がたたいたとしても、その全体状況を見て判断しないといけない。相互DVの可能性もあるが、被害者があまりにつらくて少したたいた程度のこともある。三橋氏の腕にあざがあろうと、平手打ちなどをしたということがDVではないという証明にはならないのだ。

また妻が警察を呼んだことを「警察を呼ぶ癖がつき」という表現で上から目線でバカにしている点も問題だ。こうした表現をここに至ってもしてしまうほど、相手を馬鹿にする感覚が身についていることを自ら示している。そこに自覚がないところにDV加害者性がにじみでている。逮捕されたことも、3回の通報で形式的に逮捕されただけという暴力軽視の姿勢が見られる、真摯に反省している姿と大きくかけ離れた、言い訳のオンパレードだ。

 

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記事では、「釈放されて驚いたのは、新聞やテレビなどが軒並み報じていたことと、ネット上で『三橋貴明はDV常習犯』、『妻を日常的に監禁し、暴力を振るい続けている』という記事のようなものが大量に掲載されていたことです。もし私が、今の妻や過去に結婚していた女性に、一方的な暴力を振るったり、虐待をしたりしていれば、釈放など絶対にされません。起訴され、裁判が開かれていたでしょう」

という言い分が載せられている。

 

→ここにも多くの間違いがありそれが第7の点である。すなわち、過去にDVがあったとしても、いまの妻が被害届を取り下げて、示談が成立すれば「釈放」、不起訴になることはいくらでもある。だからここは間違ったことを平気で書いているということになる。釈放された、不起訴だから、まったくの無罪で、DV ではないという主張をしている。だが、不起訴はDVの不存在を意味しない。程度問題で、DV ではあるが、程度が軽ければ起訴まではいかなということもある。また起訴しうるほどのDVではあるが被害者が被害届を取り下げ、示談が成立していれば、起訴しないことはよくあることだ。

 

ここは詩織さんレイプもみ消し事件で、山口敬之氏が不起訴となったからレイプはなかったと主張しているのと同じ誤りがある。不起訴自体が適正かどうかの問題もあるが、法律で訴えて有罪にするまでの証拠が十分ないがゆえに起訴しないということもあるわけで、不起訴がレイプやDVの不存在を意味しないのは当然だ。

また「釈放」もDVではないという判断でなされるわけではない。在宅起訴などいくらでもあるのであり、逃亡の恐れとか証拠隠滅の危険性といた理由をつけて拘留を続けるか保釈するかが恣意的に判断されているのが現状である。(森友事件の籠池夫婦の長期拘留の不当性など)

 

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記事「 ちなみに三橋氏は1月8日に釈放された際、集まったメディアに質問責めを受け、「マスコミの連中にこれだけ言ってやる! くそくらえ!」と中指を立てたことを自身のブログで正直に明かしている。もっとも今は「さすがに大人げなかったです」と振り返る。

 

 

→ここからは怒りに任せて行動してしまう三橋氏の性格が見て取れる、こうして怒ってDVした可能性が高いと想像できる。

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 記事「「妻が19歳ということで、扇情的なニュースになったのは事実でしょう。『10代』との見出しからか、『妻の実年齢は16歳』とか『17歳で妊娠させて結婚した』といった根も葉もない嘘が拡散しました。実際は妻の高校卒業後、18歳の時に知り合い、結婚して子供が産まれました。ところがDVという“バズワード”、つまりネット上で拡散しやすいキーワードにより、いわゆる“炎上”という状況になりました。ブログで皆さんに謝罪すれば、『ブログに記事を更新するなんて反省していない証拠だ』などと攻撃されるという具合です」

 

→ 年齢差あるパートナー関係自体は様々なケース・事情があるので、それだけではダメとは言えない。しかし、3回目の結婚であることと、かなりの年齢差ということから、その夫婦関係の権力関係の危険性が類推されることには注意を要する。元妻の言葉や今の妻も警察に複数回DV通報していることなどと合わせると、年齢差もその力関係にかかわっている可能性がある。

高橋ジョージのケースでも指摘したが、18歳前後というような年齢の人には様々な展開の未来があり、早くから結婚というものに囲いこむこと自体に危険性はあるとみるべき。結婚せず数年付き合ってもいいし、妊娠については細心の注意で避妊すべき時期といえる。結果として生まれる場合は、それをサポートする必要があるが、年上のものが相手が十代の時に妊娠については十分な配慮をすべきであるとは一般的に言える。早い妊娠、早い結婚には、DVの危険性があるとみておく必要がある。そうしたことへの配慮が全くないところは権力性/DVに鈍感と言わざるを得ない。

 

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記事「 釈放されてから三橋夫妻はカウンセリングを受けている。専門家からは「思考人間(thinker)」と「感情人間(feeler)」の齟齬を指摘されたという。三橋氏は前者で、妻は後者だと説明された。」

 

→そうした分類によっても何らDvではないということにはならない。性格の違い、コミュニケーションのずれでのちょっとしたいさかいだという軽視が見て取れる。

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記事「執筆中、私は相当に集中しています。そういう時は正直、放っておいてほしい。しかし妻は自分の気持ちを落ち着かせるための相談を、執筆中の私の傍らで続けます。思考人間の私はロジカルな解決策を提示しますが、これはカウンセリングで間違いだと指摘されました。感情を重視する妻には共感を示す必要があるそうです。私は論理なら得意ですが、共感は苦手です。私が2回、離婚しており、3回目の結婚なのは事実です。これまで結婚が破綻してきたのも、私が極度の思考人間であることは大きいと認識するようになりました」

 

→ここには、自分が共感をしてこなかったという大事な点の気づきが少し見て取れる。それを単なる言い訳とせず、より学んで、自分のしたことがDVと認めて、コミュニケーションの仕方も変えてDVをしないようになっていってほしいと思う。思考人間だから仕方ないと逃げてはダメだ。

 

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記事「 痛感したのは「核家族の弊害」だという。マンションで、三橋氏と妻、そして生後5カ月の子供との3人暮らし。双方の実家は東京から遠く、なかなか行き来は難しい。 「私と妻が対立しても、大家族なら誰かが間に入ってくれる。あと昔は仲人さんが喧嘩の仲裁をしてくれたとも言います。でも、今は妻だけでなく、夫である私も孤立しているわけです。誰か、間に入ってくれる人が近くにいれば、状況は違っていたと思います」」

 

→ これも核家族が言い訳に使われている点が問題である。同じ状況でも、DVをしないような考え方に変えればDVはしなくなる。核家族であるなど、緊張が悪化しやすい環境要因があっても、だから必ずだれもがDvするわけではない。そこを押さえておくならば、対策として、早めに誰かに相談するなどの配慮は大事だろう。

 

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記事「 苦しい状況下にあっても、嬉しかった出来事もあった。逮捕の影響で講演のキャンセルが相次ぎ、謝罪を重ねる中、「予定通り講演してほしい」という主催者もいたという。 「主催者の方々と、お目にかかったんです。私が19歳の妻と喧嘩を繰り返し、警察に逮捕されるような馬鹿男であっても、日常的に妻へ暴力を振るう夫ではないことは、会えば誰でも分かると思います。『本当にあなたは馬鹿だ。でも話は面白くて、正しいから予定通り呼ぶよ』と、お客様が言って下さったのは力になりました。そして講演で聴衆の皆さんに謝罪し、事実を説明できたのもありがたかったです」

 

→DVが全く分かっていないためにまたまた墓穴を掘っている。「日常的に妻へ暴力を振るう夫ではないことは、会えば誰でも分かると思います。」というのは典型的なDV加害者のいいわけである。だい3しゃにひとあたりがよくても、優しい人でもDVしている可能性はある。会っても、その人がDVする人かどうかはわからない。しかもまたここでも「日常的に」という条件を付けて今回のことは例外的な1回だけのことという言い訳をしている。反省が全く足りない。

また公園主催者もDVや暴力の認識においては甘いことがある。講演に呼ばれたからと言って、DVではないという証明にはならない。むしろ周りを味方にして、またまた味方を増やし、被害者を責めていく行動をとっている(DV 加害の否認 )ともいえる可能性がある。「事実を説明できた」というのは、DVでなかったことが説明できたという意味であり、避妊を繰り返すというDVを続けているのであるが、ホ人は全くそのことをわかっていない。カウンセリングに言っていても今のところ、その効果はほとんど出ていないといえる。

 

 

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記事「「ネットでの言論活動には、利点が少なくありません。・・略・・ 逆に問題点ですが、ネットは個人攻撃を容易にするツールだと再認識させられました。相手を名指ししない抽象的な表現、あやふやな印象操作で他者を貶めることが可能で、民事でも刑事でも名誉棄損の訴訟が難しいのです。法整備が後手に回っていると指摘せざるを得ません」  三橋氏は「データを提示せず、印象で経済を語る危険性を訴え続けてきましたが、印象操作で私の名誉が毀損されたというのは皮肉です」と苦笑する。講演のキャンセルは起きたが、最新作の刊行は予定通りに行われる。三橋氏は「ネットで語られる妄想は無視し、可能な限り関係者に償いを続けます」と締めくくった。」

 

 

→ ここにもDVをしたという批判は「妄想だ」「印象操作による名誉棄損だ」として、DV性を認めない姿勢を繰り返している。そして妻に謝罪し償なっていくというのではなく、関係者に償いをするという点で、言い訳をしていくという姿勢であることを示している。

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以上みてきたように、記事を書いた記者の姿勢も含めて、三橋氏は一部DVの勉強をして共感が足りなかったという反省は示しているものの、その主張のほとんどはDVではない、妻も悪い、メディアが間違っている、ネットで名誉棄損された、という言い訳と被害者意識の吐露となっている。

そこにはDVについての素人的な間違い認識がいくつも横たわっている。

三橋氏がどこの「カウンセリング」機関にかかっているかは不明だが、正しく学んで真摯に反省してほしいと思う。そのカウンセリング機関が適切なDV加害者教育をしているかどうかも不明であるが、三橋氏の誤った認識を正さないならば、そこも問題といえる。(カウンセラーは適切にかかわっているが、三橋氏が理解しないで悪用している可能性もあるので、そこは断定しがたい。)

 

 

この記事全体が、間違った情報を伝える面が多分にあるので、基礎的な知識を伝える反論を書いておいた。デイリー新潮の記者さんもDVを正しく学んで、検証補足記事/訂正記事を出してほしいと思う。

 

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