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東田 直樹さんのドキュメント『自閉症の君が教えてくれたこと』

東田 直樹さんのドキュメント『自閉症の君が教えてくれたこと』をみた。


自閉症の君が教えてくれたこと」という番組で、東田 直樹さんのことをはじめて知った。
やらせ、インチキという意見もあるようだが、私にはそうは思えなかった。

自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)
東田 直樹 (著)

blog
東田直樹 オフィシャルブログ 自閉症の僕が跳びはねる理由
会話のできない重度の自閉症者が自分の想いを伝えます
http://higashida999.blog77.fc2.com/
https://naoki-higashida.jp/index.html


番組の感想メモ。
本人が教えてくれる。すごいこと。
周りには理解不能でも、本人はいろいろ思っている。自分が苦しいのは仕方ないが、周りが苦しむのがつらいから、見守り、否定せず、受け入れてほしいということを伝える。

「ありのままでいい」を消して「人生は短い」

はげましは届かないという。生きていると同じ景色が違って見えてくるという。そういう言葉をかけたいという。

認知症の祖母。かわいそうは周りが決めつけたことではないか。

この番組みていて、何度も彼に、すげー、と思った。
彼、すごかった。笑えた。何度も。心が軽くなりキレイになっていく感じ。

東田直樹さんは、自閉症でよかった という。
いのちをつなぐ、という言葉に対して、人の人生は一人で完結するという。

前の番組で彼を紹介した丸山ディレクターは、自身が 2年前に、がんになり後遺症あり、毎月再発していないか、検査する状態になっていて、その中での仕事再開、そして、また直樹さんに取材したいと申し込みこの番組ができた。

直樹さんは、丸山ディレクターの自閉症にこだわる質問場k利に少しいら立ち、何故自閉症にこだわるのかと問いかける。
直樹さんにしか言えない言葉を聞きたいと、丸山は言うが、足りないと感じた。

僕は自閉症で苦しんだのは事実ですが、生み出す言葉と、自閉症ということに直接関係はないとおもっているという。
なるほど。

アイルランドに招かれる。息子10歳が重度の自閉症のミッチェルさん
息子に友達出来るかと聞くと、
その質問に、息子に友達ができてほしいという親の思いだと東田はいう。
僕に友達はいない、ぼくのことは不幸にみえますか?
僕(たち)が感じているのは、友達がいないのがかわいそうと思っている人たちが勘違いしていること
すげー

息子のノア君、最後に直樹と握手。
すげー
ノアは昔の僕と似ているという直樹。
ミッチェル:直樹の自閉症は私たちに幸いである、感謝している。世界中の人に大事なことを伝えてくれる。

おばあちゃんに質問。迷子の子供を見つけたらなんて声を掛けますか?
「お母さんをいっしょに捜してあげる」
やさしさは同じだった。
不幸と決めつけていたのは自分も含めて周りの人ではないかと気づく。

丸山さんが質問
僕の人生にとって前に向くために必要なことぉ教えてほしい(ひどい質問だと思うが)
直樹:人はどんな困難を抱えていても幸せを見つけ生きることができる。

地閉所と僕は切り離して考えることはできない。
かわいそうともいわれたいわけではない。只みんなと一緒に生きていたいのです。
みんなの未来と僕たちの未来が同じ場所にありますように

 

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NHK番組紹介
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/1300002/index.html
詳しく書いてあるので番組を見ないでも一部わかる

【どんな番組ですか?】
東田直樹さんは、会話ができない重度の自閉症ですが、文字盤やパソコンを前にすると自分の意思を伝えられるという世界的にも極めてまれな能力を持っています。2年前には13歳の時に書いたエッセイが、同じ自閉症の息子を持つ、アイルランド在住の高名な作家デビッド・ミッチェル氏の目にとまり、翻訳され、世界30カ国でベストセラーとなりました。直樹さんは謎に包まれた自閉症の世界を明かし世界に衝撃を与えました。
それから2年がたち、直樹さんはプロの作家として、病気や障害などハンディキャップを抱える人たちに向けてエッセイや小説を書いています。この夏、私たちは直樹さんの思索の旅に同行しました。一般的なコミュニケーションを取れない自分だからこそ、救える人がいるのではないかと考え、ミッチェル氏の住むアイルランドを訪ね、自閉症の息子と出会い、その心の声に耳を澄ませました。さらには、北九州に暮らす認知症の祖母にも正面から向き合い、記憶を失いつつある祖母の幸せを見出そうとしました。ハンディキャップを抱える人は、どう幸せを見つけていけばいいのか、突然、若くしてガンを患うことになった私の視線で、直樹さんの葛藤と成長を描く番組です。私の一人称によるナレーションで番組は進行します。その部分は、俳優の滝藤賢一さんに読んでもらっていますが、ちょっとかっこよすぎかもしれません。

 

【番組の見どころは?】
直樹さんの圧倒的な言葉の力です。人と会話することがない分だけ、直樹さんは、自分の頭の中でさまざまな出来事をどう捉えるか、自問自答を繰り返してきました。その過程の中から生まれた言葉は鮮烈です。たとえば、番組のなかではこんな文章を紹介しています。
「僕は命というものは大切だからこそ、つなぐものではなく、完結するものだと考えている。
命がつなぐものであるなら、つなげなくなった人は、どうなるのだろう。
バトンを握りしめて泣いているのか、途方にくれているのか。
それを思うだけで、僕は悲しい気持ちになる。
人生を生き切る。残された人は、その姿を見て、自分の人生を生き続ける」。
直樹さんの孤独な決意が力強く綴られています。番組では、直樹さんの文章の朗読を、俳優の三浦春馬さんが担当しています。瑞々しさと切なさのあふれる文章と声をぜひ深く味わってください。

 

前作の番組情報
「君が僕の息子について教えてくれたこと」
2016年12月10日放送

みてみたい


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blogより
「すぐ側にある幸せは、気づかないものだと言います。だけど、気づかない幸せを

幸せと呼ばないなら、気づかない不幸も、不幸とは言わないのかもしれません。」

「さっそうと生きている人は、かっこいい。地道に生きている人は、すばらしい。葛藤を抱え生きている人は、すてきだ。どんな人の人生も、尊敬に値します。だから、比べる必要はありません。」

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東田さんの連載記事
https://kadobun.jp/readings/481/ec8df5da


自閉症の僕が 跳びはねる理由』の作家・東田直樹さん。人とは違うこだわりや困難を持ちながら過ごす26歳の日常生活で、気づいたことや感じたことを、初の公開日記で綴ります。思いがけない発想に目からウロコ…!?


>>【連載第48回】東田直樹の絆創膏日記「長袖の不自由」
2018年10月18日(木)


 毎日は、慌ただしく過ぎていく。予定がない時間というのは、ある意味、贅沢な時間といえよう。
 そんな時間が出来たら何をしたいか、旅行や映画、ライブやゲーム、人によってさまざまだ。一日中ごろごろ寝ていたい人もいるだろう。何をしても許される時間だからだ。
 僕が小学生の頃、時間の過ごし方で、いちばん困っていたのが、休み時間である。
「好きなことをすればいいんだよ、自由にしていい時間なんだから」
 そう言われたが、今やれる僕の好きなことは何だろう……と考えている内に、休み時間は終了した。
 僕がひとりで運動場を走り回ったり、砂に字を書いたりしていると、「友達は、あっちにいるよ」と誘われた。手を引いて連れて行かれることもあったが、みんなの所に行っても、僕は自分が何をすればいいのか、わからなかった。
 僕の目に映るみんなは、楽しそうだった。きらきらと輝いて見えた。
「何がやりたいの?」と聞かれれば、僕の答えは「ブランコ」。頭には、この単語しか思い浮かばなかったのだ。
 休み時間に何をするか、当時の僕には、かなり難しい課題だった。
「自由に」と言われたとたん、不自由さを感じる。
 それは、自由が何かを知らなかったせいではない。自由になっている自分の姿を、うまく想像できなかったからだと思う。
 現在の僕も、他の人がうらやむような自由時間を過ごしているとは言い難い。でも、僕なりに自由を満喫することは出来るようになった。

 

2018年10月20日(土)
「おやっ、おやっ、おやっ」と僕が言ったら、相手には「違うよ、違うよ、違うよ」と言ってほしい。
 これが今、僕が凝っている言葉遊びだ。
 深い意味はない。
 僕はただ、こんな言葉のやりとりで、おしゃべりしたいだけである。
 決まりきったフレーズなんて、会話じゃないと言う人もいるだろう。でも、「こんにちは」と言えば「こんにちは」、「いいお天気ですね」「そうですね」など、ある程度パターンが決まっているとされる会話もある。


 うまく話せないのに、言葉遊びのフレーズは、すぐに僕の口から出て来る。
 言葉遊びは、その場にふさわしい会話ではないだろう。でも、僕がその時誰かとおしゃべりしたいという気持ちは本物だ。
「おやっ、おやっ、おやっ」と言っても、「違うよ、違うよ、違うよ」と言ってもらえなかったり、他の言葉で返事をされると、少し寂しい。僕の思い通りに会話が出来ると大満足だ。心の中の不満が、ひとつ解決した気分になる。
 誰かと言葉を交わす。それは、心が外に向いている証拠である。
 会話とは、言葉のキャッチボールだという。言葉を受け取ってくれる人がいなければ、いつか言葉を投げかけることすらやめてしまうかもしれない。
 自分が望む会話と相手が望む会話、成立させるのは、どちらも難しい。

 

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