ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

2020年4月、福岡県5歳餓死“ママ友”によるDV的支配・虐待事件

久しぶりに書きます。

以下の文章の前提には拙著「DVと虐待」の話があります。

 

2020年4月、福岡県5歳餓死“ママ友”によるDV的支配・虐待事件

2020年4月、福岡県、ママ友が母親を精神的に支配し、子どもを虐待・餓死させる事件。021年3月逮捕、DVに似た「支配/被支配の中の虐待事件」

 

2020年4月に福岡県・篠栗(ささぐり)町で、母親とその友人”ママ友”によって子供の碇(いかり)翔士郎(しょうじろう)ちゃん(5)が十分な食事を与えられず餓死した事件が起こった。2021年3月、翔士郎ちゃんの食事を制限して低栄養状態にして死なせたとして、母親の碇利恵容疑者(39)とママ友の赤堀恵美子容疑者(48)が保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された。以下に示すように、この事件は、DVに似た「支配/被支配の中の虐待事件」という特長を持っている。県警は、赤堀容疑者は子供の親ではないが、碇家の家計を事実上握っていたため赤堀容疑者にも衰弱した翔士郎ちゃんを保護する責任があったとして同容疑を適用した。

 

*経済的困窮、支配と虐待への経緯

両容疑者は2016年4月、子どもを同じ幼稚園に通わせる保護者として知り合い、懇意になった。県外から転入してきた赤堀容疑者は保護者の間で孤立していたが「(碇容疑者の)子供が園内で問題を起こしている」「住民が(碇容疑者の)悪口を言っている」などのトラブルをでっち上げて不安をあおり「自分は味方だ」「信用していいのは私だけ」と言って碇容疑者に接近した。ママ友・赤堀容疑者はトラブル介入や子育てなどを通して次第に碇容疑者の家庭に入り込み、子育てなどに介入するようになり、家計まで握るようになった。碇容疑者はトラブルを解決したと装う赤堀容疑者の指示通りに動くようになっていった。

碇容疑者は周りの人から子煩悩にみられていたため、皆はその変容ぶりに驚きをもっていた。ある保護者は「碇さんはやんちゃでいつも笑顔の翔士郎君をにこにこ見つめていた。子供たち3人とよく遊び、夫との仲も良さそうだった。それなのに赤堀(恵美子)容疑者と付き合いだしてから人が変わってしまった」と語った。 

脂肪事件の約2年前の2018年5月ごろ、碇容疑者に「あなたの子どもが他の子に砂を投げた。示談してあげる」などと言われ、母親は、赤堀容疑者が作った「私たち2人が、幼稚園の別の保護者の親族から裁判で訴えられている」という架空のトラブルを信じ、「暴力団と関係がある知人に仲裁してもらおう」「この問題のバックにはヤクザがいて話をまとめてもらう」などといわれて、実際にトラブルを解決してくれたと思ってトラブルの示談金名目で50万円を赤堀容疑者に払った。母親はこれを機に赤堀容疑者に信頼を寄せていき、徐々に指示通りに動くようになっていった。

 

このころ、他のママ友たちは、両容疑者(ママ友赤堀と母親・碇)が事実でないことを事実であるかのように触れ回るために、この二人から離れていった。2018年ごろから両容疑者は2人だけで行動するようになり、周囲が声をかけにくい雰囲気になった。言い換えれば、碇容疑者は、赤堀によって周囲との関係を次々と断ち切られていった。結果、この二人は孤立し、仲が深まっていった。お互いの家を頻繁に行き来するようになったり、赤堀容疑者が碇容疑者の子供を幼稚園に送迎するようになっていった。

なお、赤堀容疑者は地元のスーパーなどでは文句を言ってくる有名なクレーマーで、従業員はレジで遭遇するのを恐れていたという。赤堀容疑者は自分では「ユウナ」と名乗り、年齢も30代だと偽っていた。新聞取材において複数の保護者が、赤堀容疑者について、「人の悪口ばかり言っている」と証言した。そういう人物であった。

また赤堀容疑者は「親族が裏切っている」という趣旨の話もして18年6月ごろから碇容疑者と親族の関係が悪化するようにも仕向けた。

 

次にママ友は、母親に対し、「(碇容疑者の)夫が浮気している」とうそを吹き込み、碇容疑者に信じ込ませ、「児童手当がもらえるから養育費はいらない」といって離婚を促した。そして2019年5月に離婚させ、その過程やその後に、嘘の浮気調査費用や、架空の離婚訴訟の費用として金を要求して碇容疑者から多額の金をだまし取った。赤堀容疑者は、ある保護者を碇容疑者の前で「ボス」と呼び、暴力団と関係のある「ボス」が碇容疑者の元夫の浮気調査をしているとして、浮気調査費の名目で碇容疑者から金をだまし取った。

5月の離婚後、赤堀容疑者から「(元夫に慰謝料を請求する)裁判に勝つためには質素な暮らしをしないといけない」「裁判で勝てば多額の慰謝料が入る」などと言われ、2019年8月ごろから赤堀容疑者が指示した過酷な食事制限に従っていった。ママ友は「子どもが太っていたら、夫との裁判で養育費や慰謝料が取れない」というような理屈を何回も吹き込んだ。

 

赤堀容疑者は碇容疑者に他の保護者が悪口を言っていると偽り、関係を悪化させることもした(孤立化というDV 手口)。つまり、夫、友人、親族などから離れさせられた。離婚もして孤立した碇容疑者は唯一の相談相手の赤堀容疑者の言いなりとなり、要求されるがまま貯金を取り崩したり、車を売却したりして金を工面し赤堀容疑者に渡した。また赤堀容疑者に勧められるまま2019年9月に生活保護を申請した。手当の申請手続きも赤堀容疑者が手伝った。

碇容疑者は、19年10月から翔士郎ちゃんが死亡する20年4月までの7カ月間で生活保護児童扶養手当(月20万円程度)などに加え、家賃滞納による強制退居で支給される臨時の引っ越し費用など計約230万円の公的扶助を受給。それらは赤堀容疑者がすべて受け取るようになっていった。元夫からの養育費も赤堀が母親から受け取っていた。三男が亡くなった後の2020年5月には事後払いの約20万円の葬儀代を含む50万円以上が口座に振り込まれた。これら収入の大半は、元夫に慰謝料を求める裁判や浮気調査の費用という名目で赤堀容疑者がだまし取った。

結局、貯金なども含めて合計1200万円程度を赤堀容疑者にとられることになった。碇容疑者は消費者記入から数百万円を借りる状態となった。碇一家は、料金が払えず通話ができなかったり、電気やガスを止められるほどに困窮していった。疎遠だった中学時代の同級生に借金を申し込む電話をするようになった[1]。赤堀容疑者は碇家には一部の金(パンなど)しか使わず、残った金で服やブランド品などを買っていた。

こうした事実のために、今回(2021年3月)の虐待死亡事件の逮捕とは別に、県警は2020年12月、碇容疑者の元夫との裁判の手続き名目で、碇容疑者から現金12万円をだまし取ったとして赤堀容疑者を詐欺の疑いで逮捕。2021年1月には元夫の浮気調査費用などの名目で碇容疑者の預金通帳のほか、児童手当生活保護費として支給された現金など約187万円をだまし取ったり、盗んだりしたとして詐欺と窃盗の疑いで再逮捕されている(いずれも起訴)。

 

虐待とDV的支配

碇容疑者は、長男、次男、三男の翔士郎ちゃんの4人で篠栗町マンションに暮らしていた。

ママ友・赤堀容疑者は、2019年8月ごろから一家の食事の量や回数を減らして低栄養状態にしていった。一家の食事は数日おきに赤堀容疑者が運んでくる菓子やパンや米のみにされ、わずかの米でのおかゆなどを分け合っていた。母親・碇容疑者と3人の子どもは日に日に痩せていった。赤堀は、監視カメラ10数台で見張っていると言い、「ボス(共通の知人)が食べすぎと言っている」「ボスが見張っている」などと信じ込ませて、やくざ的な大物が背後にいるかのように思わせ、脅し、食事を管理し続けた。赤堀容疑者は母親に対して、「言うことを聞かないと、離婚した元夫にやくざを送り込む」とも言って脅していた。

またコロナ禍が矛盾を激化させた面もあった。長男と次男は学校給食でなんとか栄養を確保できていたが、翔士郎ちゃんが亡くなる約1カ月半前の2020年3月初めにコロナウィルス感染拡大により学校が休校になった。そのため碇家の家庭内の食事配分はさらに厳しくなり、翔士郎ちゃんの衰弱が進んだ。

 

赤堀容疑者は翔士郎ちゃんが長男と次男に比べて、言うことを聞かないことがあるとして、兄2人よりもご飯の量を少なくしたり食事を抜いたりするよう碇容疑者に指示したこともあった(例えば長男は茶碗一杯のごはん、次男は少し減らし、三男は茶碗半分あるいはごはん無し)。2020年4月には赤堀容疑者から食べ物が届かなくなり、碇容疑者は友人から食べ物を譲ってもらっていたが、家族全員が何も食べられない日もあった。

、最終的には3男の翔士郎ちゃんが20年4月18日に餓死(低栄養での衰弱死亡)した。翔士郎ちゃんはあばら骨が浮くほど痩せており、体重は10キロ前後で、同年齢の平均の半分ほどだった。

翔士郎ちゃんが亡くなる前には10日連続で水しか与えられていなかった。司法解剖胸腺の萎縮も確認された。虐待など強いストレスを受けた場合にみられる所見で、福岡県警は翔士郎ちゃんが食事を抜かれるなどの虐待を日常的に受けていたとみている。

 碇容疑者は調べに対し「赤堀容疑者は(翔士郎ちゃんを)たたいたり、日常的に怒鳴りつけたりしていた」と供述した。子供が言うことを聞かないと罰として食事を抜くことや押しれに閉じ込めるように指示されてもいた。赤堀容疑者は、幼稚園に通わなくなった翔士郎ちゃんを家で留守番させるよう碇容疑者に指示した。しかし留守番中、翔士郎ちゃんが外出したり、お菓子を無断で食べたりしたため、赤堀容疑者は「しつけ」と称して食事をさらに減らすよう指示し、虐待がさらにエスカレート。たたいたり押し入れに閉じ込めたりすることもあった。赤堀容疑者は、碇容疑者や翔士郎ちゃんに対し「食べ過ぎたらいけない」などと指示し、守らなければ碇容疑者を屋外に長時間立たせたり、睡眠をとらせなかったり、罰を科すこともしていた(DVの面)。食事制限などで子供に歩行困難の症状がでたことを母親が赤堀に伝えたが赤堀は対処しなくていいよう指示したこともあった。

 

赤堀容疑者は仕事に出る碇容疑者に代わって幼稚園の送り迎えをしていたが、20年1月に翔士郎ちゃんは退園した。翔士郎ちゃんが幼稚園に持っていく弁当は、前日の夕食を半分残したものなどで、19年10月ごろには幼稚園から痩せた理由を聞かれた。それで翔士郎ちゃんが痩せていることを園に知られるとまずいと考え、幼稚園をやめさせるように赤堀容疑者から言われて、母親は3男を退園させた。その後、男児の育児状況を把握するため保育園への入園を勧めた町に対し、母親の碇利恵容疑者は「役場が関与するのは嫌だ」と拒絶していたが、その背景には、赤堀恵美子容疑者が、碇容疑者に行政側と接触しないよう指示していたことがあった。

 

事件後、一家が暮らした部屋から碇容疑者が書いたとみられるメモが複数見つかった。「翔ちゃん、きょうも食べれんかったね。ごめんね」と書いてあった。満足に食べさせられない碇容疑者が母親としての気持ちを持ち矛盾を抱えていた様子が見て取れる。

赤堀容疑者は、碇容疑者を言葉巧みに夫や知人から分断・孤立させ、様々な手法で支配していった。赤堀容疑者は、碇容疑者が近くに住む親族から支援を受けないように接触を禁じていた。碇容疑者は、赤堀容疑者に周りとのトラブル、夫のことや子育て方法など様々なことを言われ、背後にいる大物の人物への恐怖や赤堀容疑者自身への恐怖と洗脳などによって精神的に支配されて、逆らうことができなくなるマインドコントロールされている状態(≒DV被害と類似)となっていた。

警察は餓死的なほどやせていたので事件を疑って三男の死後、捜査を開始した。碇容疑者は20年6月以降に事情聴取を受けて初めて元夫の浮気調査や裁判が赤堀容疑者のでっち上げだったと知った。それほどママ友を信頼しきっていた、あるいは騙され続けていた。逮捕後、碇容疑者は県警の調べに「だまされていた。絶対に許せない。母親として守ってやりたかった」「赤堀容疑者に逆らうことができなかった。母親として守ってやれればよかった」「洗脳が解けてとても苦しい」と、後悔の言葉と苦悩を口にした。

だが、逮捕までの期間、子どもが危なくなった時期や死後も赤堀容疑者を一定期間信頼し続けた様子があり、精神的支配は警察からの話を聞いて洗脳が解けるまで長く続いていた。

 

たとえば、ママ友・赤堀容疑者は4月の男児死亡後も母親から生活費を搾取し続けた。搾取された生活費には公的扶助として支給された男児の葬儀代約20万円も含まれていた。

また男児が死亡する前に自宅で意識不明の危篤状態に陥った際、母親の碇容疑者は119番せずにまずママ友に連絡していた。20年4月18日、翔士郎ちゃんが急にうずくまり動かなくなったとき、碇容疑者はママ友に電話し、駆けつけたママ友が、この時は「翔士郎ちゃんが息をしているから」ということで通報しないように指示し引き揚げた。その後3~4時間後に翔士郎ちゃんが息をしなくなった後再び母親はママ友に電話し、駆けつけたママ友とその夫が、午後10時過ぎに119番したが既に意識はなかった。碇容疑者が危急の事態を前にしても的確に判断できないほど赤堀容疑者に心理的に支配されていたとみなせる。

DVという観点で考えると、母親は「子供への虐待を見させられていた」、「虐待に加担させられていた」という面があり、この子供にかかわる面でも、母親は「ママ友にDV的支配をされていた」といえる。

この全体像からは、”ママ友”赤堀容疑者による母親への精神的・経済的な支配、ママ友・赤堀容疑者が主たる虐待者・支配者で、母親の碇容疑者はそれに従わされていた被害者の面もある関係で、そのなかで子供を虐待していった「受動的な虐待加害者」という性質が見て取れる。[2]

 

行政のかかわりの失敗

母親とママ友が食事制限をし始めた8月の後の新学期、2019年9月に、長男、次男が通う小学校から「体重が大きく減っている」という情報、三男が通う幼稚園から「母親と連絡が取れない」という情報などが行政・篠栗町や福岡児童相談所に寄せられた。小学校や幼稚園が家庭訪問を行ったがまだ児相や要対協の対応はなかった。

翌月の10月ごろから三男が幼稚園を休みがちになったがまだ対応しなかった。11月に通園しなくなってようやく、子どもたちの体重の減少や母親との連絡が取りづらいことなどから「要保護児童対策地域協議会」(要対協)で見守り対象とした。しかしこの時点でも虐待を発見できないままであった。

 

 篠栗町こども育成課は、碇容疑者一家に支援が必要と判断し家庭訪問をしたが、赤堀容疑者がこれに抗議し、支援を断ったことがあった。それにたいして適切に対応しないまま時間が流れてしまった。

翔士郎ちゃんは当時通っていた幼稚園を同11月ごろから欠席するようになった。異変に気付いた町などは碇容疑者に翔士郎ちゃんの登園を促そうとしたが、碇容疑者とはなかなか連絡が取れず、赤堀容疑者が「(碇容疑者は)体調が悪い」と割って入り、退園の手続きを進めた。

 翔士郎ちゃんが20年1月に正式に退園すると、町や県の児童相談所などの関係機関でつくる要対協は、翔士郎ちゃんの健康状態や育児状況を把握するため、同町の別の保育園に入園を勧めることを決定。しかし、翌2月、碇容疑者から町に「役場職員が面接に入るのが嫌だ。役場の関与がない施設を探そうと思う。今回はキャンセルする」と連絡があった。碇容疑者は退園や入園拒絶の理由について「(翔士郎ちゃんが)痩せていることについて、食事のことなどをいろいろ聞かれるのが嫌だった」と述べている。

 

篠栗町こども育成課や児童相談所、学校、生活保護担当課などは、2019年9月から事件で死亡する2020年4月までの間に合計40回程度にわたり碇容疑者や翔士郎ちゃんの家庭訪問や電話相談を行っていたというが、実際は非常に不十分なものであった。児相は2020年に2回訪問しただけであった。2019年9月~2020年4月に町など各機関が分担して家庭訪問を計19回実施、町役場の職員は母親と3回、三男とは5回ほど面談し、電話相談が17回、学校や幼稚園の家庭訪問、生活保護担当課の面談もあったということであるが、内容が乏しく、横の連携がなく、DV的な関係や虐待を見抜く質がないもの、子どもの健康状態や安全性・虐待被害を適切に調べないものであった。

つまり翔士郎ちゃんに会えたのは5回で、その際、赤堀容疑者による妨害を受けたこともあったがーー職員が「母親と話をしている時に間に入ってきたり、家庭訪問を行った際になぜ来たのか?と言ったりーー、そ子に問題を見抜くことができなかった。

 

2020年1月に三男が幼稚園を退園したあと、近所から児相への通報――朝8時くらいから4~5歳くらいの子供が一人で外に出ているーーがあって、福岡児童相談所がようやく1回目の家庭訪問をしたが不在(応答がなかった)ということで、不在票を投函するだけで帰った。母親はその後電話で「訪問時に具合が悪くて出られなかった。朝は具合が悪くて寝ていて、子供が外に出ていることに気づかなかった」と言ったので、児相は電話で指導したという。だが電話の話だけに終わりそれが事実かも確認しないままにした

それは実質、当時の真の状況を調査しないまま、虐待を見逃したということである。本当に体調が悪く寝ていたのかもしれないが、実は起きていても児相に子供を見られたくないために居留守を使ったのかもしれない。母の体調が悪いのが事実としてもそれは子供に対してはネグレクト状態であるので危険性は高かった。客観的にはこの時点でも低体重になっていたので、病院に行かせるとか、絶対に会って調べるべきであった。

 

2020年2月に近隣住民から「母親が大声でしかる声が聞こえる」「母親が子供を残して外出することがある」との虐待(心理的+ネグレクト)の疑いの通報があったので碇容疑者の家を警察が訪問するも、3人の子どもに外傷は確認できず、「異常なし」の判断をした。そして3月5日に児相に虐待の疑いがあると通告した。

その通告を受けて、児相は2020年3月11日、2回目の家庭訪問をしたが、危険性はないと判断して帰ってしまった。福岡児相の森本浩所長は事件後の記者会見で、3月11日の訪問で「差し迫った危険ははないと判断」したと説明したが、それが間違いや問題とすることはなく児相の対応を正当化していた。

だが、子どもは最終的にやせ細って死亡したので、死亡【4月18日】の1か月前の3月11日に「会って」いたのに「危険性はなかった」という児相の弁明はおかしい。「顔や頭部にあざ・きずはなく、顔色がいいので、差し迫った危険性はないと判断した」というが、またまた見えるところだけのあざや傷だけが判断基準で、これでは精神的な虐待などは見逃されてしまう。しかもインターホン越しと少しのチラ見だけだったと思われる。こうした説明で済むと思っているところに、従来と同じレベルでしか対応できていない問題が浮かび上がる。

また母親の碇容疑者の親族が、男児が死亡する約1カ月前から4回、福岡児童相談所男児らを引き取りたいなどと相談していたことが、事件後メディアによって判明した。児相は、碇容疑者らが逮捕された翌日の記者会見では、この「3月12日~4月、碇容疑者の親族が3人の子どもの安否を心配する相談を4回していたこと」は公表しておらず、事実(対応失敗)の隠蔽と言える。これの意味するのは、親族が危機感を持っており、児相が適切に調査のうえで、親族に三男を預けていたらこの虐待死は避けられたということである。この点だけでも児相の対応失敗の責任は重い。

 

2020年3月12日、碇容疑者から「金を貸してほしい」と無心された親族が児相を訪問。親族は、碇容疑者に「経済的に困っているのなら、子供たちを預かろうか」と提案したが受け入れられなかったとして児相に対応を求めた。この時、児相は3月11日の家庭訪問で翔士郎ちゃんら子供3人が元気だったことを確認したと伝えた。 3月31日に親族が再び児相を訪れた際、児相は関係機関と見守りを続けると説明した。碇容疑者は家賃滞納による強制退去で3月下旬に転居。碇容疑者と連絡が取れない親族は、4月8日に「子供たちを自分が引き取れないか」と相談し、転居先を教えてほしいと求めたが、児相は「個人情報で教えられない」と回答した。翔士郎ちゃんはその10日後に死亡した。この経緯を見れば、児相は単位不作為というだけでなく、客観的には「親族のなんとかしたいという動き」を妨害し続けた、かなり「積極的」に不介入を選んでしまった、虐待死を招いた点で大きな責任がある失敗をしていた、といえる。

 

児相は3月3日の記者会見ではこの事実を隠していたが、メディアに暴かれて3月5日にようやく福岡児相の森本浩所長は、親族から複数回相談があったことを認めた。しかし「個人情報にかかわるため積極的に公表しなかった」と言い訳した。しかしそれ「個人情報」という人権に反するものでないため、非論理的な言い訳でしかない。むしろ親族の提案を拒否したという自分たちの失敗を隠蔽した犯罪的な態度であるといえる。親族が当該家族に接触できず心配している場合、児相は(親族に言った)「個人情報なので教えられない」ではなく、まず自分たちが実態を把握することに加えて、親族から詳しく聞き取り、親族と一緒になってこの「危機的な状況にあった碇一家、特に三男の命」を助けるべきだったのである。「個人情報なので教えられない」などといって親族の努力を否定する対応の選択は、人権意識も能力もない人にしかできないものである。

またこの時、児相所長は、児相としては翔士郎ちゃんの家庭は見守り対象の中で一番軽微な事案のCケースと判断していた、兄2人が通う小学校など関係機関で見守りを進める程度のかかわりだったことを明かした。これは児相が大きく現実判断を誤っていたことを示している。しかし児相所長はそれを自分で認識できない。福祉にかかわる基礎的な能力が欠如している。

 

、さらに児相は、全く不十分な「確認」であったにもかかわらず、20年3月に家庭訪問して以降は、児相として訪問予定はなかったという。その直後に餓死的に死んでいるのである。愚かと言わざるを得ないなほどの無能である。

なお児相は、3月12日の親族からの相談については粕屋保健福祉事務所に連絡したが、その後の3回の相談については関係機関に連絡していなかった。横の連携が大きく欠如していた。

警察は一般的に傷あざが中心の対応【それも見直していく必要アリ】だが、児相はネグレクトで保護できるので、体重チェックなどで虐待がないか見ていく責任と権限がある。近隣からの情報、過去の経緯、警察からの通告もあったのであるから、児相は適切に子供たちと会って虐待被害がないかをしっかり調べるべきであったが、体重も調べていない。つまり虐待を調べなかった。これで危険性はないという判断できるわけがない。児相訪問時、インターホン越しに子供をみたという情報もあり、ドアのところで少しだけちらっと見ただけという情報もあるが、適切に家の中の状態や、子どもの状態、顔以外の服の下の見えないところの身体の調査、体重測定、精神的な状態などを何も調べなかった。1月段階でも、3月段階でも保護すべきレベルであったのにしなかったことは明確である。

 

またこの3月の訪問で児相は母親にも会えていない。その時に代わりに対応したママ友・赤堀容疑者が「この一月ほど、母親は体調が悪くて起き上がることができないので児相に会えない」といった。このとき以外にも、何度も碇容疑者の自宅に出入りしていた赤堀容疑者が確認されている。そして「(碇容疑者は)対人恐怖症だ」などと抗議して追い返したり、一家への連絡は自分にするように主張したことがあった。これらに異常を感じることができないとは、支援者失格である。また碇容疑者も「(行政のかかわりは)迷惑だ」などと行政側の接触を拒むようになっていたのであるから、その背景を調べるべきであった。

子供の実の親が寝ていて世話もできない状態だとか、対人恐怖症的であるなら、それも大問題(少なくともネグレクトは明白)であるので、しっかりと会って調査し、何が問題か、どういう支援が必要か検討すべきであった。そもそも、母親(碇容疑者)が急激に痩せて体調を崩すようになったのも、赤堀に食事を極端に制限されたりしたためであった。だが、よくわからない「知人」が出てきて、「連絡は自分にしろ」などよくわからないことを言ったのに、実態を調べず、3月の訪問では児相職員はそのまますごすごと帰ってしまった。そしてその後何もしなかった。

 

この、その後何もしないことが一番の問題で、結局1か月後に死んでしまうのである。低体重だけでも見つけて、それは虐待とみなせるので、一時保護できていたらこの悲劇は避けられた。行政側は得体のしれない赤堀容疑者が翔士郎ちゃんを幼稚園に送迎したり、碇容疑者が滞納した給食費を納めたりした時期があり、それを認識しながら、善意で一家の世話をしている知人と認識していたという[3]親子の極度の貧困状態や不健康状態や被支配状態も見抜けず、実態を調べず、危険性を感じられないというありさだった。

こうした不十分な対応であったので、餓死する1か月前の3月に「危険性はないという判断をし、その後も何も対応しなかった、それは問題なかったとすること」は、対応の失敗(判断の誤り)を認めない姿勢でしかない。

 

そもそも、2019年御9月にすでに子供3人とも低体重になったという連絡があったのである。そして痩せたことがばれないように、幼稚園に行かせないようになりついには退園させていたのである。おかしな知人も介入していた【それはすさまじいDV的支配であった】。家族全員が食事も満足にとれない極貧状態であった。それなのに「顔色良かった、危険性なかった」というのはおかしい。子供に対しても母親に対してもちゃんとみていなかっただけであり、児相や町の職員に危機感も能力も欠如していたというしかない

翔士郎ちゃんの死後、ようやく長男と次男は児相に保護された。遅すぎた。

以上の様々な対応の不手際は野田市や目黒区事件と非常によく似ている

赤堀容疑者は職員と碇容疑者の話に割って入ったり、「なぜ来たのか」と聞いてきたのであるから、おかしいと感じるべきであった。ママ友に金銭をほとんどとられ、異常な食事制限を母親が受け入れていたということは、母親が正常な判断力を奪われていたということ[4]であるので、周りの支援者がそれを見抜くべきであった。

 

碇容疑者は2019年12月、生活保護の手続きの際、県の保健福祉事務所に「親族は離婚に反対したので関係が悪化している」と訴え、親族に生活保護費の受給を伝えないよう求めた。こうした点においても、「離婚に反対とはどういうことか」「親族から孤立しているのか」「親族族はどう見ているのか」「なぜこれほど貧困化しているのか」「赤堀容疑者のかかわりがおかしい」などと問題意識を持ち異常を感じて、生活保護課は関係機関と情報を共有して実態を調べるべきであった。

3人の子供の低体重化以外にも、夫と離婚させる孤立化、母親と連絡を取りにくかったこと、幼稚園を退園したこと、児相への対応で赤堀容疑者が出てくることがあったこと、母親とママ友の児相・要対協などへの敵対的な態度、経済的困窮状態、母親の体調が悪いという情報、ママ友がクレーマーであったことなども、重要な「DVや虐待可能性が高い危険信号」であったが、関係機関はそれらにすべて適切に対応しなかった。連携が全く不十分で、各機関が情報を総合して危機を察知する能力に欠けていた。児相等は支配/被支配関係を感じ取って、ママ友がいないところで、母親から状況(精神的経済的に支配され、食事制限などの身体虐待があったこと、子どもへの虐待を見せられていたこと等)を聞き取るべきであった。

 

だが、児相や自治体などでつくる要対協の、生活実態を正確に把握しようと動きも見受けられない。危険度認識も間違っていた。過去、何度も言われてきた「各関係機関の連携」は今回も決定的に不十分だった。

結果的に虐待を見抜けず、はハイヤと赤堀から児相に対して敵対的な対応を取られていたにもかかわらず適切な対ができなかった。赤堀容疑者の母親への支配を見抜いての「被害者としての母親の救助」というかかわりもできていなかった。母親が「信頼する友人」ということで赤堀の同席を望んだということだが[5]、そこに支配関係を見抜くべきであったので、これは、目黒区や野田市のDVを見抜けなかったことと同質の「DVと虐待の連関における支援の失敗事例」である。ママ友・赤堀容疑者と母親が同罪・共犯とみるべきではなく、ママ友が主犯、母親が従犯という主従関係を認識すべきである。

4月13日、つまり三男死亡の直前(5日前)には、県の祉保健福祉事務所職員が家庭訪問したが、碇容疑者の「(子供たちは)元気にしている」の言葉を聞いただけで、子どもの安全・健康状態を確認することなく引きあげている。上記児相と同様の問題、連携不足がここにも出ている。

 

関係者は情報を共有し、何としても、2019年9月に低体重とわかってから早い段階から「病院に連れて行くなどで健康確認をするべき」であった。それを2019年内にできないどころか2020年になってもそれを全くしないまま、つまり体重チェックなどをしないまま、4月の死亡まで安全確認できず、結果的に虐待餓死という悲惨な状態まで放置してしまった。碇容疑者が支配されている状況にも支援・介入できないままであった。ネグレクトなどを感じていたにもかかわらず、また通報があったりおかしな状況であることが見えるはずであったのに、ことごとく適切な介入をしないまま事件の日を迎えてしまった。

 

今回の事件でも、虐待やDVに対する近年の失敗事例(目黒区、野田市事件)から学んだという改善の兆候――虐待の裏にDVがないか常に敏感に感じ取り調べることの重要性、DV被害者への支援をすること、危険性の見落としをしないようにすること、必ず会ってちゃんと調査すること(目視確認)、各機関の連携、各部門の情報を持ち寄り総合的に検討できる要対協を最大限活用すること――がみられない。今回も、行政側が適切に対応していれば救えた命であった。

 

[1] 碇容疑者の友人の言葉「(電話で)旦那と離婚して家賃が払えなくて大変だからお金を貸してくれないかという内容でした。その後、毎日1週間ほど、トータルで数百件になるのかな。泣きつくような人では無かったのでちょっとびっくりはしました」

[2] 他人を操って支配する人のことを「マニピュレーター(manipulator)」ということがあるので、赤堀容疑者は「マニピュレーター」であったともいえる。「マニピュレーター」とは、「マニピュレート(manipulate)」する人、つまり他人を思い通りに操ろうとする人のこと。マニピュレーターは、「相手の悪意を見抜かず信じるタイプ、自分で決めるのが苦手、受動性、自分が悪いと思い込みやすい特性(自責の念)、等の特徴のあるひと」に付け込んで、相手の弱点を巧みについたり不安や恐怖をかき立てるのがうまい、相手をだましたり傷つけることに罪悪感を覚えない、支配に快感を覚える等の特徴がある。ただし、家族とか子供の面倒を見る親友というイメージを使って家族単位的にコントロールしており、虐待とセットであるので、私はほかの事件との類似性を示すために、「DV的支配」とここでは呼んでいる。

[3]  メディアの取材に対し、町のある関係者は「善意の第三者と思っていた」と悔やんだという。

[4] 目黒事件で母親がDV夫にいわれて子供への食事制限していたこと、体重を記録し、100グラム体重が減ったことに喜ぶ状態になっていたというような異常状態であったことと非常に類似している。

[5] 困窮当事者の支援者が行政などとの面会で同席することはあり得る。申請主義などの中で当事者が行政などにうまく対応したり相談できないこと、権利行使がうまくできないことがあるので、当事者が支援者の同席を望むなら、役所や児相や警察が同席者を拒否することはすべきでないし、できない。しかし、それが本当に当事者の権利・利益を支援する「支援者/同行者/アドボケーター」であるのか、当事者を搾取したり支配している者であるのかを見抜かねばならない。それはDV加害者や毒親の同席に注意が必要であることと同じである。